🖋 ズボンの穿き方と膝の痛みと MRIと山への焦燥


 朝の着替えの時、ズボンを右足から穿く自分に気が付いた。大したというか、特に意味はなかったのだが、1954年生まれのニンゲンとしては、ちょっと遅すぎる気付きだったかもしれない。

 同じ日の夜、パジャマのズボンも同じように穿いていた。穿き終えた後、あらためて〝そのこと〟に気付いたという具合である。

 そして、そのことへの気付きがなぜ起こったのかを考えた。思い当たったのは、最近左足の曲げ具合にちょっと違和感があるという気掛かりであり、そのせいだろうと思った。

 それはある意味で間違ってはいなかった。たしかに左足をズボンにとおす時、右足ほどスムーズに入っていないように感じた。

 もう少し詳しく書くと、夜と朝にはそれほど差はなかった。穿くものの種類にもあまり関係はなかった。

 それから数日後の夜、咄嗟に〝あること〟を思いつく。

 風呂上り。これまでと順番を逆にし、左足から先に穿いてみたらどうなるか?であった。ちなみにパジャマのズボンだ。

 すると左足は、右足の後で穿いた時よりもスムーズにズボンをとおり抜けたように感じた。逆に今度は右足の方が少しおかしい。ぎこちなさがある。念の為と思いもう一回やってみるが、程度の差はあれ、やはり同じだった。

 すぐに利き足の問題ではないかと思い始めた。つまり右足が利き足である身としては、右足で踏ん張っている時の方が体勢は安定している。だから左足は余裕をもってすんなりと穿ける。それだけだが。 

 それから数日が過ぎて、重大事件が発生した。

 突然、右足のひざにビリリと痛みが走った。単にソファに腰を下ろす時と、立ち上がる時にだ。両方とも動作のフィニッシュの段階で痛みが来た。

 ひざには皿がある。その皿からこぼれ落ちた枝豆のような物体がひざの斜め上あたりに潜み、ひざを曲げるとそれがちょっと顔を出して、痛いよという信号を脳ミソめがけて送り付ける…といったイメージだった。

 そういえば、今年の夏も暑かったし、ビールをかなり飲んで、枝豆もよく食べていたなと振り返る……それが一個食道からこぼれたか?

 最近よくテレビのコマーシャルに出てくる、ひざを抱えて痛がるおじさんやおばさんたち(自分もほぼ同類に近づいてきた)の顔がしばらくしてアタマに浮かんだ。

 ズボンを穿くときの左足問題なんぞはどうでもよくなっていた。それよりも、この右足に潜む枝豆のような物体について、医学的処置が必要だと考えるようになり、自分の中で問題のレベルが一気に高まっていく。

 山でも森でも、山里でも街なかでも、歩くことを基本にしてきたニンゲンにとって足(特にひざ)は大切な部位である。

 数年前に出かけた長女との北アルプス山行の時、ひざはすでに黄信号を灯していた。その山行は数年ぶりに強行したもので、中途半端なトレーニングしかせず臨んだものだ。

 目を閉じても歩けるというほど親しんだ、登山口(折立)から太郎平小屋、さらに小屋から薬師岳山頂への道に不安など全くなかった。が、初日の、森林限界を過ぎた頃から危険な兆候がはっきりと見えていた。登行に安定感というかリズム感がない。すでに完璧に山岳ガールの域に入っている長女にも、当然ついていけない。

 そして、翌日の薬師岳登頂と下山、特に太郎平小屋でのカレーランチを済ませた後の最終の下りで、自分のカラダ(特に足)がコントロールできなくなった………

 脱水状態で幻覚を見ながら尾根を歩いていたという経験や、雪山での失態はいくつかあったが、ああいう類とは違う怖さが覆いかぶさってくる。山で味わう不気味な不安がアタマを過った。

 あの時のようなことがまたいつか起きるかもしれない。それは残された自分の人生においては致命的なことだ。

 実はコロナ禍の中、春先から脚部を中心に秘かに鍛えてきた。秘かにというのは、性懲りもなく、また北アルプスの空気に浸りたいという〝野望〟を抱いていたからだ。

 半月もしないうちに、大腿部には久しぶりに筋肉の盛り上がりが見えてきた。それを頼もしく見つめたりもしていた。しかし、猛烈な高温が続いた真夏。ペースはガクッと落ちた。そして、そのまま復活させることはできなかった。もちろん山の世界も自粛モードに入り、山の人たちもやり切れない夏を過ごすしかなかったのだが……

 ひざの痛みが決定的なものになってからしばらくして、病院へと向かった。正直、痛みの方は徐々に引いていき、激痛というほどのことはなくなっていた。

 レントゲンを撮ってもらったが、骨的には問題ないと言われた。枝豆の存在を少し控えめに訴えたが、軽くあしらわれた。以前にも別の病院で同じようなされ方をした記憶があった。肩の間接に何かある。そう伝えたが、痛みとは直接関係ないからと相手にされなかった。あの時は枝豆よりももっと大きなものがあり、例えるのはむずかしい(梅干しが近い)が、確かな存在感だった。

 それにしても、枝豆ではないとすると、痛みの素は何か?

 無意識ながら不審な顔をしていたのだろう。先生がいきなり、MRIやりましょうかと言った。

 ということで、翌日の検査(MRI)が即刻決まった。あっと言う間の出来事だった。が、時間がたつと、そこまでしなくてもいいのではないかという思いが湧き上がってくる。なんだか大袈裟になってきたなという思いと、説明を聞かされたMRIのことがアタマの中で交錯……

 20分から30分、狭い空間に入っていくと、工事現場のような音が鳴り響いて……と看護師さんが詳しく説明してくれたが、その話から広がっていく当方の空想癖も度が過ぎていく。

 「狭所恐怖症ではないですか?」と問われたあたりでは、かなりの衝撃もあり、「好きではないです」と答えていた。はっきり言って、余計な心配事が増えたという感じしかしなかった。

 子供の頃だが、スティーブ・マックィーン主演の『大脱走』という映画を見た。ナチスの捕虜収容所から脱走を試みるストーリーだが、塀の外へ出るために地下トンネルを掘り、その狭いトンネルを這いながら進むというシーンがあった。実はあのシーンを見た時の息が詰まりそうなほどの恐怖心は、その後もずっと残っていたのだ………

 そして、検査結果よりも、MRIそのものに対する“イヤな感じ”の方がアタマの多くを占める中、いよいよその時が来てしまった。

 その部屋は、いかにも秘密の実験室的な雰囲気で建物の奥にあった。何かあっても、すぐに裏口から運び出すことができる。それ用らしき鉄の扉も確認できた。

 部屋に入ると、猛暑も終わり、かなり涼しくなってきたというのに薄手の検査用衣類に着替える。冷房がガンガンに効いた奥の本当の検査室に入る。中から自分でカギをかける。その前にいろいろと説明を受け、検査台に横たわり、患部である右足のポジションや前身のポーズなどを決めて、ヘッドホンを耳に当てる。これが工事現場の騒音を防いでくれるらしい。しかし、流れてくるクラシックの生ぬるい音…これで大丈夫かと半信半疑。

 始まった。やはり予想していたとおり、音楽は見事にかき消され、9対1のコールドゲームで工事の音の圧勝だった。目を閉じて、いつ筒の中へと吸い込まれ、狭所恐怖症との闘いが始まるのかと緊張していたが、検査台上のカラダは全く移動せず、上半身はずっと筒の外にいたままだった。

 そのことが気持ちを大いに楽にしてくれた。あの看護師さんは一般的な説明をしただけだったのかと、おおらかな気持ちで考えたりすることもできていた。ちょっとひざが痛いようなふりをして検査室を出ると、次の人が待っていた。 

 いよいよ結果発表であったが、それほどの話はなかった。元来口数の少なそうな先生は、話すことがないから、ほとんど無口状態になっている。

 痛みも激痛という域からは出ていたし、少し様子をみて、また痛みがひどくなったら来ますと先生に告げた。先生もそれが賢明といったような顔をしていた。

 というわけで、ズボンを右から穿こうが左から穿こうが、特に気にすることはなくなり、今は膝の軽いトレーニングとストレッチに気を遣っている。

 願わくば、来夏せめて太郎平小屋まで行けるひざを再構築。さらに願わくば、五十嶋博文マスターと太郎山に上がり、半世紀以上も前、初代の小屋が建てられた場所から薬師岳を眺めたい。

 そのためも兼ね、とりあえず足を鍛えることにする。


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