🖋 吉祥寺でジャズを聴き込んでいた時代


10年くらい前、いつもの東京出張で利用したホテルのすぐ近くに小さなジャズの店を見つけた。

遅い時間だったが、数人の客がいた。週末には軽いライブもやっているらしい。洗面所にはそんな告知があった。

それから何度かそのホテルを利用するたびに、その店に行った。

今風のおしゃれな店だ。

かつては、会話禁止とか、リズムに合わせてテーブルをコツコツやっていても怒られるという店もあったが、今では聴くことよりも会話を楽しめるように店が出来ている。だから音量もまあまあ、昔のようにスピーカーそのもので圧倒するようなレイアウトもない。

カウンターの後方にはレコード、CDがずらりと並ぶが、レコードはきれいにビニール袋に入れられていたりする。歴史を感じさせるような名盤のレコードといったイメージも強調されていないし、オーディオを見せつけるでもなかった。

そう言えば最初に入った時、チコ・ハミルトンの懐かしい『ブルー・サンズ』(CD)がかかっていて、なぜか、さすが東京だなと思ったことをよく覚えている。

その数年後。

今、井の頭線沿線に住んでいるという人と話していた時、学生時代の自分の東京生活も、同じ井の頭線沿線から始まったんだということを思い出した。

そして、自分の小部屋からすぐのところに井の頭公園への入り口があり、その中を歩いて吉祥寺の街へと出ると、東京へ行ったら必ず行こうと決めていたジャズ喫茶Fがあったこともあらためて思い出していた。

上京して三日目のことだった……と思う。

生活に必要な小物を買うために、井の頭公園を通り吉祥寺の商店街に来ていた。

ついでに書くと、二日目つまり前日は新宿に出て、紀伊國屋で長時間の立ち読みを楽しみ、文庫本三冊を買った。

そのあと三峰にも寄った。買ったのはボタンダウンのシャツ2枚だった。

帰りは中央線で吉祥寺まで行き、そこからは井の頭公園を歩いた。輪ゴムで止められた文庫本のブックカバーを見るたびに、東京での生活が始まったことを実感していたような………

話を三日目に戻す。買い物を終え、Fのある辺りへと向かうと、意外と簡単に店を見つけることができた。ワクワクしながら重いドアを開けた…と思う。

しかしすぐに、相席など構わず空いた席に座るというシステムに戸惑った。

薄暗い店内は低いテーブルに深く座り込むイスで埋め尽くされ、通路は狭かった。

しかし、一度座ってしまうと居心地は最高のものとなる。

ジャズが大事にされている…… 漠然とそんな印象を持った。

そしてその瞬間から、Fは東京での最も好きな場所のひとつになっていった。

有無を言わせない完全なリスニングルームだった。

音には重みがあり、キレがあり、一曲一曲、一音一音が、明確に伝わってくる。

だからだろう……、心地よく本が読めた。

莫大な保有数を誇ると言われるレコード(スタジオ)室の、カッコいいお兄さんとも仲良く?なった。

そしてリクエストは当然のこと、いろいろな質問などもするようになったのは、学校にも慣れ始めた頃だ。

お兄さんは大きなエプロンをし、短い髪がかっこよく、笑顔がやさしかった。

かけられるすべてのレコードがリクエストで、紙に書いてお兄さんに渡す。

それをお兄さんがハシゴを使ったりして探す。

いつもヘッドホーンを首にかけていたのは、地下がボーカル専門で、1階とは別なレコードをかけていたからだと思う。

書き忘れていたが、まだCDのない頃だ………


結局、四年間ボクはその店に何度となく足を運んだ。

クラブの合宿などで長期間行っていない時などは、久しぶりに顔を出すと、オッという顔をされ、「帰省だったの?」などと聞かれたりした。

金沢にもジャズの師を得ていたが、東京でのジャズ生活は、そのお兄さんのおかげで充実したものになった。猛烈に聴きまくっていた頃だ。

何度かお話させてもらった有名なオーナーもかなり前に亡くなり、今は店の形態そのものが変わってしまっている。

一度だけ、出張の合間を見て店の前まで行ったことがあったが、店に入ることはなかった。

時代が変わっていることを今更のように痛感させられた。

そして、吉祥寺そのものも本当に遠い街になってしまった。

ところで、今は「ジャズ喫茶」という呼び方も消え去り、〝聴く〟というシチュエーションそのものも弱くなっていると言っていい。

かつては聴くことと読むこと・考えることなどが結び付いていて、それがジャズ喫茶の空気だったような気がする。

吉祥寺ジャズも、もう二度と聴けないのかと思うとさびしい………

※吉祥寺には“F”から始まるジャズ喫茶が2店舗あったが、ここで取り上げているのは、FのあとがUと続く方の店のことだ………


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