自分なりの旅について…の1


 旅というものを考える機会があって、自分なりに“自分の旅”について思いを巡らしていた。すると、自分の旅というのはどちらかと言えば地味で、当然今風でもなくて、人に勧めてもあまり乗ってこないものなのだということが改めて分かってきた。

 旅が好きだと言っても、恥ずかしながら海外経験は二回だけ。定番のような新婚旅行と、仕事の研修旅行だけだ。

 こんな状態なのであるから、所謂、旅は海外しかないというニンゲンたちと旅談義などをしていても何だか落ち着かなくなり、敢えてこちらからは話に入っていかないようにしてきた…… 実は周囲に、ボクのことを世界の観光地に行き慣れたニンゲンだと勘違いする人が数人いた。そういった何の根拠もない勘違いは、ボクにとってはある意味非常に迷惑であり、そこでまた余計な言い訳なんぞを求められたりするのが嫌だった。

 ボクはただセーヨーの都よりも、ニッポンの田舎の方が好きだったのだ。

 そんな中で、いつも旅のスタイルは大切にしていた。どんなところへ出かける時でも、できるだけ自分が求める旅のスタンスを基本において、主たる目的が仕事であろうと何であろうと、自分の中の旅というものに結び付けていた。

 その基本は、歩くことだった。そして、それはその土地の歴史などといった要素に直結することもあったが、土地そのものをただ漠然と見て歩くだけということでもあった。

 振り返ってみると、そのきっかけとなったのは、学生時代に上州のある山間の温泉場へ行った時、ふらふらと周辺を歩いたことだったように思う。まだ二十歳の頃で、しかもその時は大学の体育会の行事かなんかで行っていた記憶があり、旅情を求めるなんてことはない。しかし、漠然と歩いていながら、今まで全く知らなかった空気を感じた。

 晩春だったが、気が付くと土埃をかぶった雪がまだ残っていた。突き刺すような冷たい風が吹く朝に、元気に登校していく子供たちを見た。足元の雪解け水の激しい流れに身体を震わせながら、野菜を干す老婆の手にはめられた軍手に妙な温もりを感じた。

 そういうものたちが目に焼き付いていた。あれはいったい自分にとって何だったのか。

 その年の暮れだったろうか、年末のアルバイトを終えたあと、ボクは新宿から松本を経由して金沢に向かう帰省の計画をたて、その途中寄り道をして、木曽街道を歩こうと決めていた。島崎藤村を読み耽ったあとということもあり、木曽は憧れの土地でもあった。しかし、中途半端な年の暮れ、寒さと寂しさが身に沁みた旅だった。

 翌年から年末の帰省はこのルートにし、松本で三時間半ほどの時間を作って、まち歩きや好きな喫茶店での本読みに充てた。これはなかなかのリッチなひと時であった。そして、大糸線松本発金沢行き(糸魚川で新潟行きとに分かれる)の急行列車に揺られ、時折無人駅のホームで、長い停車時間が与えられるという出来事なども楽しみながらの上品極まりない旅であったのだ。

 大学卒業の春には京都・奈良へと出かけ、旅の締めくくりに柳生街道をカンペキに歩いた。一日がかりの山歩きといった感じだったが、最後に高台(峠)から夕暮れが近づく柳生の里を見下ろした時の胸の高まりは今も忘れていない。

 柳生の里ではすっかり日が落ち、奈良市内へ戻るバスを待つ間、地元のやさしい酒屋さんの店先で休ませてもらったのを覚えている。

 その四ヶ月後に出かけた同じ奈良の山辺の道は、しっかり二日がかりの歩き旅だった。

 入ったばかりの会社を三ヶ月ほどでやめ、ふらふらしていた頃で、気持ちとしては完全な解放状態とは言えなかった。しかし、のちに山へも頻繫に出かけるようになる親友Sとの最初の旅が山辺の道であり、その後のドタバタを予感させるに十分な愉しさに満ちていた。

 大きな古墳のある町で予約していた旅館。たしか道中には、他にユースホステルしかなく、そっちはいろいろ面倒だからと、その旅館に予約を入れておいた。

 歩き疲れて旅館に着くと、ボクたちには三つの部屋が与えられ、食事はここ、寛ぐのはここ、寝るのはここと案内された。

 ボクたちが行ったのは九月。宿帳が出され記帳しようとすると、ボクたちの前は六月の日付が記されていた。

 ゆっくりしようとクーラーのスイッチを入れると、白い埃とともにカッツンという音がし、クーラーはそのまま止まった。寛ぐ部屋は使用不可となり、食事する部屋へと移動。こちらのクーラーは問題なかった。

 トイレに行くと紙が置かれていないので当然もらいに行く。風呂は浴槽となる大きな桶が真ん中にドスンと置かれ、それ自体はもちろん、セメントの床もカラカラに乾いていた。もちろん湯は入っていない。どうすればよいかと聞きに行くと、自分で入れてくださいと言われた。ボクたちは当然浴室掃除もした……

 その反動もあってか、夕食時間は二人で異様に盛り上がった。その旅館は本業が仕出し屋さんで料理は質量ともに申し分なく、しばらくすると飲めや歌えとなり、床の間に置かれてあった太鼓と三味線までが持ち出された。Sが太鼓でボクが三味線を受け持ってのジャムセッション……ところが、乗ってきてトレモロ弾きをしたところで三味線の糸が切れてしまった。なぜか異様におかしく、二人してただ笑い転げていた。

 そのうち、立ち上がろうとして浴衣の裾を踏みつけると、下半分が切れ落ちてしまうなど、とにかく何が何だか分からなくなったが、それでもひたすら笑っていた。その後、隣の寝る部屋へとなだれ込んだのだろうが覚えていない……

 その後、再就職も決まって日々に落ち着きが生まれると、ボクの旅も少しずつ色を変えていった。歴史系からどんどん自然系に走っていった。しかし、道中の街道探訪や土地歩きなども欠かさず、旅に出ているという気持ちのあり方は今でも変わっていない。ディスにーランドへ行くというのを旅だとは思わないが、その道中は十分に旅にできる。そんなふうに考えられるようにもなったのである………

 

※古い文章に少しだけ加筆した……

 

 


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