風景に焦る朝について
毎朝七時十五分から二十分頃には家を出る。
その時間に出ておいた方が、道も空いていて、それほど気分を害することもなく出社できるからだ。
我が家のある石川県内灘町から、勤務地のある同県野々市市堀内までは、とにかく近くはない。
今頃は、若干早起きして、プランターや直植えした花たちに水をやることもある。
早く帰ることが出来れば、暮れる直前に水やりも出来るのだが、それはなかなか至難の技(と言うほどでもないが)で、やはり朝の水やりが多くなる。
クルマで家を出て二百メートルほど行くと、小さな十字路を右折し、高台の方へと上っていく。
緩やかというか、本当はかなり角度があると思うのだが、距離が長いせいもあってか、なかなか気分のいい登り坂なのである。
説明すると長くなるので省略的に書くが、ここはずっと砂丘台地だったところだ。それが少しずつ削られ、平地が後方(海の方)へと広がっていった。
今我が家は平地に建っているが、その場所どころか、そこから五十メートル手前辺りまで、かつては砂丘台地だった。
紀元前三千年とかの話ではない。ほんの四十年ほど前までの話だ。
日本という国が元気だった時代の土木・建設ラッシュなどで、砂がワンサカと必要となり、そのために我が家周辺の砂たちも、お国のためにと採取されていったわけである。
と、こんな話をしても、ほとんど理解してもらえないだろうから、説明はこのあたりでやめとこう。
登り坂の半分ほど来たところで、右手には河北潟干拓地の、六月から七月初めにかけての今頃であれば、ウスラぼんやりと霞がかったような風景が目に入ってくる。
梅雨の晴れ間的朝であっても、すでに高く上がりつつある太陽の光を受けていれば、そのぼんやり度がいい按配的に美しかったりもする。
もう少し前であれば、刈り入れ前の麦畑もかなり美しい。毎朝、ううむと唸る。
と同時に、チキショー…と口にはしないまでも、腹の中では思ったりもする。
写真に収めたくなるからで、焦りはかなりハゲしく募るのだ。
五月から六月の初めにかけては、晴れている朝は、毎朝唸り、そして焦っていた。
高台の通りに出るところで、だいたい決まって信号待ちになる。
交差点の正面方向は、かつてのゴンゲン森と海。道は真っ直ぐに伸びている。
左折して大通りに出ると、河北潟干拓地はさらに高度感を増した眺望となって、ますます唸らせる。
ここ(白帆台)に家を建てた人たちが羨ましい。
「ここに、わしらの畑があってんぞ!」などと言ったところで、負け惜しみか…
今度は左手になった風景が凄い。
はるか東の方向に、北アルプス北部の山並みも見え、さらに南に目を移すと、霊峰白山なども視界に入って来る。こうなると、もうカンペキだ。
今自分が会社へ向かってクルマを走らせているということに、罪悪感さえ抱いてしまう。
しかし、ぐっと堪える。
この短い葛藤の時間が、朝の日課になっている……