梅雨の夜らしい雑想


 十八年が過ぎても、まだ板壁の木の香りが残る二畳半の部屋。

 テーブル台に向かう椅子はハゲしく固い。固い椅子は、次女が小学校入学の時に買った学習デスクに付いていたものだ。

 だから、すぐにかなりケツが痛くなり、長居は非常にむずかしいのだ。

 冷暖房不完備だから、そろそろ部屋にこもることのできない季節が訪れようとしている。

 そんなある日の夜なのだ……。

 かつて某シンクタンクの外部スタッフ(研究員と言うと恥ずかしいので)をやっていた頃、いつも背中の後ろの方から、得体の知れない重いものが覆いかぶさってくるのを感じていた。

 自分に求められているものが、“自分が求めていないもの”に引っ張られているということが、少しずつ分かってきて、このままでは自分が自分でなくなると思うようになっていた。

 「あんたの肩に、この・・・の成功はかかってるんだよ」とか、

 「これ成功させると、凄いパワーを付けることになるよ」などと声をかけられ、自分の中ではかなりの戸惑いが生じていた。

 しかし、端的に言えば、ボクは煮え切っていなかった。

 自分の置かれていくポジションが安定を失い、バランスを崩され、その先自分が自分に嘘をついていくような気がしていた。

 自分がやるべきことでもないと思うようになっている。

 ボクは学者ではなかった。会社では営業マンもやり、プランナーとしての足元は確実に固めていたが、力の及ぶ範囲は知っているつもりだった。

 それでも頑張って? ある一本の研究レポートと、金沢最大のまつりについての調査と企画を練り上げ、さらに提言と、その他モロモロの調査をまとめた。

 中には二年から三年越しの、心身ともに中途半端な作業もあった。

 それらの文章を今更読み返してみたいなどといった思いは全くない。それなりに自分としては苦心して書き上げたものといった思いがあるだけだ。

 ただ、それ以前に手掛けていた観光や文化施設づくり、イベントなどに関した仕事に比べると、カンペキに違う匂いが漂っていた。

 そのいちばんの違いは「思い入れ」だった…ような気がする。

 いい加減な言葉だ、「思い入れ」というのは。

 ただ、自分の中に見え始めていたものは、誰(何)のためにこの仕事をやってるんだろう?という素朴な疑問であり、そのことがあまりにも漠然としていた。

 青臭いことを…と言われるかも知れないが、ニンゲンは、特にボクのような情緒型ニンゲンは、そういうことを真面目に考えるのだ。

 ボクの場合、上司からの指示でそういう仕事に関わるということはほとんどなかった。

 ほとんどが直接のオファーであり、自分自身の段取りもかなり受け入れてもらっていた。

 ただ過分な評価がいつも心の負担になっていた。

 そして、ある段階で、きっぱりこういう世界から足を洗うことになる。

 逃げ出したみたいにも言われたが、正直ほとんどが面倒臭くなっていく。

 自分の守備範囲も見えてきていた。

 知っている人たちの間では、ボクの代名詞みたいになった「私的エネルギー」の世界。

 自分の大切なモノやコトのために費やすエネルギー。それをそう名付けた。共鳴してくれる人たちもたくさんできた。

 いろいろな余計なお世話が肩から抜けていった。交遊も身軽になり、ただひたすら楽しい時間が流れた。

 ようやく自分らしい空気の中に身を置けるようにもなっていったのだ。

 そして、いい歳になって、この私的エネルギーの存在こそが、自分の求めていないものを求められた時の、逆のエネルギーになるのだなということが分かってきた。

 家に帰って、自分の部屋に入れば、テーブル台の上にすべて読みさしの、文庫や新書が五、六冊必ず置かれている。

 そのテーマは、山岳エッセイ、民俗および歴史的紀行もの、お酒の話、ジャズの話、そしてビジネスの話など節操がない。

 最近、同年代で、やたらと古い名作を読んでいるという人を知ったが、あの手はとっくの昔に読んでいた。

 パソコンには、暇をみて書き続けている二作目の創作話が、三百七十枚を超える字数で保存されている。ただ、話はまだまだ佳境に入っていない……。

 手が届くところにある雑多な物体(家人からはゴミ扱いされているが)も、何気に手にしたりするのにちょうどよかったりする。

 ちょっと蒸してきた。瞼もやや重くなっている。

 ここまでの文章は、昭和初期に作られたというガラスペンで書き殴ったものだ。

 このガラスペンの書き心地は格別で、実はその爽快感は、このガラスペンでも書き尽くせないのだ……?


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