今回の京都(3/4)今日の終いは、建仁寺


建仁寺の瓦

 今日はまだ終わっていない。

 強い日差しを受けながら、詩仙堂・小有門のちょっと上にある駐車場まで戻り、クルマでとりあえずホテルに向かうことにした。クルマの運転から解放されたいのだ。

 当然すぐにでも昼ご飯を食べなくてはならない。全く当てもなく坂道を下っていくと、突然小さな看板が目に入った。いかにも京都らしいメニュー写真。

 “中谷”という歴史のあるお菓子屋さんだった。お菓子屋さんにカフェがあり、昼ご飯セットもある。咄嗟に隣席の家人が、駐車場のあることを確認した。狭い駐車場の三台のうちの一台が空いていた。食事中か買い物中のお客さんを待つタクシーの運転手が、わざわざスペースを空けてくれる。京都の“おもてなし”だ。

 お粥と餅の入った味噌味?の吸い物と、豆腐と…、それから食後は栗のモンブランと上品な味のコーヒーをいただいた。この店は、和洋両方の菓子を製造販売している。

 いい気分になれる店だった。若い何代目かのご主人も、いかにもお菓子屋さんの跡取りといった柔らかな雰囲気で家人を喜ばせていた。

 さて、駅近くのホテルにとりあえずチェックイン。目的はクルマを置きたいだけだったが、大きなホテルだけあって人が大勢いる。クルマを横づけにして、ボーイさんに聞いてみると、クルマはすぐ目の前のかなり幸運な場所に停めることが出来た。時間が異様に早かったので、そのことが却ってよかったみたいだ。

 再びホテルを出たのが、3時半頃だったろうか。もうひとつ楽しみにしている寺があった。禅寺・建仁寺だ……

 場外馬券の売り場も隣接し、人でごった返す花見小路の方から入り、いきなり法堂で本日の目玉と対面。

 撮影は自由ですと、敢えて大きな声で案内を受ける。俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が正面に見え、その左手前にダウン症の女流書道家・金澤翔子さんの書『風神雷神』が展示されている。

風神雷神・屏風風神雷神

 最新のデジタルプリント技術によって複製された屏風の美しさに見入る。金箔のテイストが本物以上に金という色の特性を現しているような、もちろん本質的なことは分かっていないのだが、そんな錯覚?に陥った。

 自分の仕事柄や、何人かの友人たちにこのような関係の仕事をする者がいるが、自分としては、これは正しいやり方だと思っている。作品の素晴らしさを製作時の雰囲気と合わせて伝えることには、文句なしに意味があると思う。

 本物の展示は、時として本質を伝えていない時がある。特に褪色や傷み防止などに厳しい条件が付けられ、明るさの制限など、鑑賞する者にとっては決して望ましい状況でないことが多い。

 しかし、この屏風にはそんな心配は要らないのだ。前に立って、堂々とカメラを構え、鑑賞することよりも撮影することだけを目的にしたような人たちも大勢いた。

 人の波が一度静かになったところで、ゆっくりとカメラを手にした。真正面にしゃがんでカメラを構えると、とりあえず瞬間的に人は入って来られなくなる。何度もシャッターを押した。レプリカとは言え、国宝に向かってこれだけシャッターを押せるなど滅多にない。

 さて、金澤翔子さんの書である。屏風の絵をそのまま書で表現したような文字のレイアウトに“なるほど”と、まず唸る。それから表現された筆致について、“ふむ”と考えた。

 もう一度、屏風に目をやり、そして“そうか”と納得。この筆致は、雷神・風神という二人の神の表情や動作などがインスパイア-されたものだと確信した。

 800年を越えた臨済宗の本山。京都という都市の中で生かされていく、偉大な寺院のポテンシャルというのはこういうものなのだろうかと思う。奥へ進もう。

 人の数に京都の、しかも連休の初日を思った。これまでにも何度もこういった状況の中で京都を楽しんできた。無理して二人の娘を京都の大学に送り込んだことで、我々は京都にかなり慣れ親しんでいる。親としては、それなりに“してやったり?”なのかも知れない。

 さて、建仁寺は庭もいい。それも中庭がいいと聞いている。

 四方から眺められる「潮音庭」が気に入った。人の多さにじっくりと座れるまでには時間を要したが、中央に「三尊石」と呼ばれる庭石を眺めるのは格別だった。その隣には「座禅石」。まだ紅葉には早いが、質素で頑固な禅庭のイメージを強く意識させられる。ぐるりと回って回廊を下るあたりも上品で、脇の小さな部屋で写経する人たちの押し殺した息が伝わってくるようだ。

庭石を見る庭と回廊回廊退き

 建仁寺はまだ終わらない。もう西日が色濃く差しはじめ、空気もやや冷たく感じられるようになった頃、法堂であの天井画と初の対面だ。

 入ってすぐに、大きな柱の間から10年ほど前に作られたという巨大な双竜の図を見上げる。開創800年を記念しての一大事業。こうしたことが現代において実行されているのが京都の凄いところなのだ。やはり都だ。やはり、日本に京都があって良かった。

天井画と明かり

 足を進めていくと、正面奥に釈迦如来坐像が光り輝いていた。自分でもこの建仁寺に今まで来ていなかったことを不思議に思いながら、ゆっくりと合掌した。

 生まれて初めて、「お招きいただき、ありがとうございました」と心の中で呟いた。一瞬だが、まわりの人の声も聞こえなくなった気がした。今回の京都は、まだ終わらない……

勅使門木魚と屋根庭石と日差し天井画庭を見ている人たち天井画と仏像


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