蕎麦畑のそばにて
蕎麦の花が咲き広がる風景というのは、山村にひっそりと存在するものだと思っていた。
そして先日、富山の南砺市で出合った風景によって、その思いは変わった。
その蕎麦畑は、とても新鮮だった。単なるボクのせまい見識の中でのことだったのかも知れないが、その爽やかに広がった風景は、まるで昔話の世界のように感じた。
普通の道をクルマで走ってきた。そして、なんとなくアタマの中に予感が来た次の瞬間、周囲が蕎麦の花だらけになった。
人家もあり、神社もあり、当然その鳥居もあり、おまけに青空があって、水の流れもあった。
蕎麦の花にこれほど惹かれたのは初めてだった。
すぐに細い脇道へとハンドルを切り、しばらくしてエンジンを切った。カメラを持って来ていてよかったと心の底から(と言うと、ちょっと大げさだが)思った。
辺りをうろつきながら、何枚も写真を撮る。通り過ぎていくクルマの人たちが、不思議そうに見ていたりするのが分かる。
しかし、こっちはその人たちの視線に構ってはいられない。
時間にすると、二十分ほどいただけだろうか。
蕎麦の花から、「ざるそば」や「もりそば」、ましてや「おろしそば」などを想像することはできない。まったく別モノだ。
花は「蕎麦」という漢字で表現する方がよくて、食べるときは「そば」とひらがながいい。
恥かしながら(と言うべきか?)、ボクと蕎麦との出合は、小田急沿線の駅にあった立ち食いの『箱根そば』であった。
ただ、それは名称としての「そば」との出合であり、実際に食べていたのは「うどん」だった。一杯が百数十円の「たぬきうどん」が定番メニューだったのである。
カネがなくなると、一日三食「たぬきうどん」だったこともある。
富山のブラックラーメンの上をいくような濃い汁が、セーシュンの味だった。
店員は無造作な仕草で、天かすをどっさりとうどんの上にかけてくれた。これもまたセーシュンの味であり、うどんと一緒に口の中で混ざり合った時の満ち足りた瞬間は、セーシュンの味の絶妙なインタープレイ体験(?)だったのである。
正真正銘の「そば」との出合はいつだったのだろうか?
たぶん、大学を卒業して社会人になり、金沢のそば屋さんで食べた「にしんそば」が最初だっただろうと思う。
人生のナビゲーターの一人である、ヨーク(金沢ジャズの老舗)の亡き奥井進さんと、金沢のそば屋と言えば的存在であった『砂場』で食べたのである。
どういう状況でそうなったかは忘れたが、ヨークがまだ片町にあった頃の遅い昼飯だったか…?
奥井さんが店員に「にしんそば」と言った時、ボクも同じく…と言った。正直、本当は「いなりそば」あたりにしたかったはずだが、あの頃は奥井さんに追随する気持ちが強く、これも人生経験みたいな感じで注文したのだった。
しかし、「そば」はボクにとって、その後しばらく強く望むような食べ物ではなかった。
「そば」好きになったのは、いつの頃からか分からない。
食材に恵まれなかった山あいの人たちが蕎麦を作っていたという話も、二十代の中頃、信州へ頻繫に出かけていた頃に知った。
あの頃食べていたそばは、今ほど美味くはなかったような気がするが、単なる味音痴の的外れな話かもしれない。
今は、あたたかい「いなりそば」か、冷たい「おろしそば」が好きである。ただ、そのことと蕎麦の花の風景とは特に何ら関係はない………
Tさん、富山の福光か福野か井波か…?
そのあたりです。すいません………
こんにちは。
綺麗な文章です ね。
いつも思うことですが。
とくにリズムは志賀直哉を彷彿させるそれのように思います。
失礼します。