🖋…マンガ『加能作次郎ものがたり』に込めたこと


能登の小さな漁村から、ふるさとをテーマにして始まる物語。

石川県志賀町教育委員会発行の、ふるさと偉人マンガ『加能作次郎ものがたり』がこの3月に完成し、地元の小中学校や県内の公立図書館に置かれている。

企画書を書いたのが2022年になっているから、1年半ほどかけて出来上がったことになる。主人公の主な作品や資料を読みなおし、取材も進めながら原作とシナリオを書かせていただいた。

最後は編集にもチカラを入れていた。しかし、最終段階に入った頃あの大地震が来た。長期中断もやむを得ないかと思っていたが、大変なはずの地元から〝 やり切りましょう!〟の声。何とか校了まで漕ぎつけ出来上がった。

慣れない作業に苦労しながら、作画の藤井裕子さんも最後まで頑張っていた。そして、志賀町図書館の事務局スタッフによるカンペキ・サポートも忘れてはいけない。

私の地元である内灘町では、特別に町内の小中学校図書館にも置いていただくことになった。

さらに7月には、町のサークルが開催している読書会で取り上げていただき、作品のテーマや執筆中の話などもさせてもらう。会には、作次郎と同じ志賀町西海出身で、今は内灘に住んでいるという方も参加されていた。西海の不思議な魅力を、生で伝えられる助っ人?の存在が心強かった。

参加者の多くは初めて知った名前だと話していた。無理もないだろうと思っていたが、作品を読んでみたいという声が多く出て嬉しくなる。すでに本を手に入れている人もいて、もっと、名前を広めるようにしなければいけないという声もあった。


これまで短編ムービーのシナリオを何本か書いたことはあったが、マンガは初めてだった。

まず、教材マンガとしての制作モードに入っていく。明治生まれの人物が主人公だから、時代背景やその他もろもろに亘って細かな調査に時間を費やす。収集した写真などの資料は相当数にのぼった。

中でも、前半の舞台である明治時代の能登西海の暮らしのようす、特に方言については地元の方に直接ご教示・ご指導を受けた。シナリオを読み合わせながら、長時間のヒヤリングをさせていただいたが、作品づくりに大きなパワーを得ていたのはまちがいない。

また、主人公が少年期に京都へと出たり、その後大学を目指して上京したりするが、その際の交通手段やルート、さらに所要時間などの情報収集にはかなり苦労した。金沢~東京ではなく、西海~東京という行程だったからだが、小舟や馬車などの登場は地元らしい話題をもたらしてくれた。

原作に書かなければそれほど苦労もしなくて済んだのだが、徒歩で2週間ほど要した旅が、鉄道の開通によって1日半ほどに短縮されたことは、当時の地元にとっても大きな出来事だっただろう。そのことは書いておきたかった。


ところで、マンガからそこまで言うか……と、言われるかもしれないが、地震からの復興へと歩み始めている今、この小さな作品にもそれなりの役割があると思っている。

当初から読者対象は地元志賀町の小中学生だけでなく、周辺の大人たちすべてであると企画書に書いてきた。

副題にもあるように、作次郎は「生涯をとおして ふるさとを書き続けた作家」と呼ばれてきたからだ。

自分にとってふるさととは、西海で一漁師として生き、西海沖の舟の上で倒れた父・浅次郎そのもの……と、作次郎は書き残している。 

企画書には、作次郎が残したその言葉の意味を自身に当てはめ、〝自分にとってのふるさととは何か?〟を考えてみようという意味のことを書いた。

そして今、家族や友だち、風景や日常、そして自身の将来、夢など、いろいろな視点から考え合わせてみることにより、復興に向けた自分の生き方に小さなヒントも生まれるのではないかと思っている。

志賀町には「加納文学顕彰作文コンクール」(1957~)や、「加能作次郎文学賞」(1985~)という貴重な事業が継承されているが、それらをこのマンガの発行を機に、さらに活かしていくことも重要だと思う。


個人的には、この作品にもうひとつの思いがあった。

「加能作次郎の会」の前会長で、作次郎との繋がりを深めてくれた、ある先生(故人)への感謝の気持ちだ。

震災後初めて訪れた西海風無の先生のご自宅にこの本を届けておいた。

先生からは、2007年に開設した「作次郎ふるさと記念館」(富来活性化センター内)の企画を任され、その後も冊子の制作など先生の熱い思いに煽られてきた。

打ち合わせなどでご自宅にも伺い、西海の空気に触れ、海に聳り立つような岸壁に家々が並ぶその風景が好きになった。

何度も歩いているうちに、明治の世に、この地から作次郎のような少年が巣立っていったという事実に不思議な風土を感じていった。

そんな先生と作次郎はどこか似ていたのかもしれない。今になってそう思ったりもする。


能登との付き合いはもう40年以上になる。

この仕事が終わってから、自分の中の能登について長い雑文を書き始め、最近になってようやく書き上げた。

震災後、自分の中の能登はすべてリセットされたような感覚に陥っていたが、そうではなかった。

能登はずっと〝黙示〟していただけだった。今も、これからもそうだろう。

だからぼんやりしていると、能登が発するメッセージを見過ごしてしまう。

能登から発したこの小さなマンガ1冊にも、そんな何かが潜んでいることを知ってもらえたら嬉しい。


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