ボクらの浜のゴミ拾い


砂浜

6月最後の日曜日は、6月最後の日でもあった。

が、そんなこととは特に関係ないと思うが、わが内灘町では、町の代名詞とも言える海岸の一斉清掃に、朝から町民たちは汗を流していたのだ。

と言っても、当然ながら内灘28000人の町民が全員海岸に押しかけたのではない。

もし、内灘町民全員が海岸に集まってしまったら、砂浜は立錐の余地もなくなり、ゴミ拾いどころか、身動きもとれない状態になってしまって大変なのだ。

そんなわけで、有志と各種団体、家族連れなどが参加し、それでもかなりの人数で賑々しく砂浜のゴミ拾いが続けられたのである。

公式開始時間は、午前7時。

しかし、ボクなどの地区役員はなぜか6時集合と聞かされていた。

ボクたちの拠点となるのは、権現(ゴンゲン)森海水浴場だ。

小さな海水浴場だが、夏真っ盛りの頃になると、それなりに金沢などから客が来る。

会社などのレクリエーションなどにも使われるケースが多く、人気がある。

海水浴場はというか、最初の浜茶屋がボクが小学生だった頃、地元のよく知っている人たちによって作られたと記憶する。

それまでは何にもない、ただの広い砂浜だった。

海水浴場が作られる時、権現森に一台のブルドーザーが入り込んで、まるでバリカンでアタマを刈るようにしながら森の中に一本の道を造ったのだ。

あの時代は、自然保護がどうのこうのなどと言う人もいなかったのだろう?

実を言うと、我々「悪ガキ隊」(もしくは「全ガキ連」とも言う)は、いち早くそのニュースをキャッチしていた。

そして、工事の始まるその日、すぐに権現森の手前にあったニセアカシヤの林の入り口へと走っていたのだ。

真新しいブルドーザーに跨り(実際、運転席に座っていたのは言うまでもないが)、颯爽と道を切り開いていく運転手のお兄さんとは、すぐに仲良しとなっていた。

それからは、毎日学校が終わると権現森に出かけ、ブルドーザーにも乗せてもらったりした。

その日の作業が終わり、開いた道を戻る時に乗せてもらったのだと思う。

樹木や雑草などで暗く薄気味悪かった権現森が、明るく開放的なイメージになり、もうビクビクしながら森の細い道を歩いて行かなくていいと思うと、高いブルドーザーの席から勝ち誇ったような気持ちで森を見下ろしていた。

本題とはあまり関係ないが、そんなわけで、とにかく権現森海水浴場は出来たという話である。

時計は6時半になっていた。しかし、ボクを入れて四人が集まっているだけで、あとは誰も来ない。

どうせ7時からだし、みんなはまだだろうと思っていると、後から来た一人が手にゴミ袋を持って砂浜に下りて行った。

聞くと、海水浴場駐車場のずっと手前で、ゴミ袋が渡されているという。

つまり、我々は事務局よりもちょっと早く来すぎていたのだ。

一人がわざわざゴミ袋を取りに戻ってくれた。

いよいよ浜茶屋あたりから砂浜に下り、ゴミ拾いをしながら進んで行くと、先の方には大勢の人だかりが見える。

あの集団はいい時間に来たので、そのままゴミ袋を手にゴミ拾いを始めていた。

早く来ていながら不覚をとったと、川中島の合戦における武田軍の山本勘助になった心境でいる……(それほど深くはない)

ゴミは無数に、しかも時折悪意のようなものを匂わせながら、ボクたちの足元に落ちていた。

しかも砂浜だから、ほとんどは砂に埋まっている。

ハングル文字の入ったものも多くある。

悪意を感じるのは、四駆車が入り込んできたあとに散乱しているペットボトル類だ。

大きなものが、海浜植物の隙間に多く散乱している様は、目にしただけでも気分が悪くなる。

と言っても、ゴミ拾いの面々は地元の仲間だ。やらねばならぬ的にやるしかないと思っている。

7時を過ぎてからか、雲が切れ、本格的に太陽が出はじめた。

海の朝はそれなりに空気も冷たいが、東からの陽光を受けるようになると一気に暑くなる。

鼻が高いせいだろうか、いつの間にか鼻のアタマに熱気を感じるようにもなっていた。

数百メートルにわたって、人のかたまりが動いて行く。

清掃部隊に少し遠慮しがちな釣り人たちも増えてきた。

ところどころに設置された、ゴミの集積場に流木などと一般的なゴミなどが分けられ、その量は見る見るうちに増えていく。

見た目に分かるほどに、砂浜はきれいになった。

そして、そろそろゴミも目途が立ち、少し身体も疲れてくると、そこかしこに立ち話チームが出てきた。

昨日の夜は一緒に飲んでいたという人たちもいれば、久しぶりに会ったということで会話が弾んでいるグループもある。

役場の中の委員会に参加したりして、かなりストレスが溜まったりするケースもあるのだが、こういった場はむずかしく考えなくていいから楽だ。

クルマに戻ろうと、砂浜をずっと歩いて行くと、砂の上に朽ち果てた椰子の実があった。

実は朝一番に目に付き、これはゴミではないと自分で決めていた椰子の実だった。

誰もこれをゴミ袋に入れようとしなかったことに、なぜかホッとした。

陽が出る前は、小さく波打っていたような海面が、今はもう穏やかに揺れている。

すぐには帰らずに、海浜植物の群れの中を高台に登ってみた。

かつては、完全に砂の山で、一気に浜へ駆け下りるといった醍醐味があったが、今は植物が執拗に拒む。

狭く小さくなった砂浜を見下ろしたが、特に何の感慨もなかった。

沖には小さなボートが浮かび、釣り人の赤いウエアがあざやかに浮かび上がっている。

小さかった頃は、毎日のようにこのあたりで遊んでいたような気がするが、こうして海岸清掃という行事をとおして来てみると、地元の人たちの顔もあってか、急にその思い出も濃くなったような気がする。

よくは分からないが、とにかく不思議なものだ……

狭くなった海岸海を背景にしたスコップヤシの実穏やかな海に釣り船砂の感触


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