🖋 甲府行き (2) 長野を出て 姨捨~塩尻 車中書き下ろしは続く


一年前の車窓より「姥捨」あたり…

 長野に着いた。金沢から1時間半ほど。

 新幹線なのだから特別なことでもないが、今回は「はくたか」だから、北陸新幹線としては一応各駅停車なのである。何となく“各駅停車”という言葉に弱い。

 篠ノ井線に乗り換えている。特急「ワイドビューしなの」である。「しなの」の前に「ワイドビュー」が付いていることの意味は、この路線上にある有名なビューポイントのせいであろうか。

 そのことももちろんだが、この路線にいい印象を持つのは他にも理由がある。と言っているうちに、そのことがすぐに証明された。

 アナウンスの響きがいいのである。去年も同じことを感じていた(実は去年のノートにもそう書いてある)。録音されたアナウンスであるが、どこかあたたかくて懐かしい。ただ何がそうなんだろう…と考えてみるが、答は出てこない。

 窓外の風景がゆっくりと流れていく。

 と言いながら、当然また実況ナマ書き体勢に入っている。

 耳からのダイレクトな音楽はやめた。ここからは風景に神経を向けていなければならないと思っている。

 だから、途中でこの書きなぐりも一時ストップするに違いない。音楽も、今日は多分もうこれ以上聴くこともないだろうと思う。

 心の準備もないままに、最初の篠ノ井駅に着いた。少し落ち着こう。

 この列車もそれほど混んではいない。指定をとっているからそう感じるのかもしれないが、この空気感がいい。

 この前、上越妙高から新潟へと向かう特急「しらゆき」の車内でも感じた。ローカル線の特急たちには、やはりのどかな空気が満ちている。そう言えば、金沢と大阪を結ぶ「サンダーバード」にそれを感じないのはなぜだろうか。仕事で使っているからか……

 どうでもいいことまで考え始めたので、金沢駅で買ってきた「加賀棒茶」の小さなペットボトルを開ける。相変わらず素朴ないい味だ。

 通路を挟んで反対側の窓際席に、外国人の若者がいて、静かに本を読んでいる。その姿がいい。辛うじて見えるが本の表紙の文字は英語だ。

 薄着でシンプルないで立ち、不精っぽいがそれなりに整っても見えるヒゲ、いかにも静かでやさしそうで、知的な雰囲気を若いながらに漂わせている。薄着と思っていたが、棚にはビッグサイズのリュックとともに無造作に置かれたダウンジャケットがあった。

 ……篠ノ井線の人気スポットに差し掛かり始めている。

 広大な善光寺平を眼下にして高台を走るというこのシーンでは、書きなぐりの文字もさらにズタズタになるだけだろうから、しばらく休筆……

 落ち着いて振り返る。

 そこは日本三大車窓のひとつ、“姥捨(おばすて)の棚田”と呼ばれるところだ。とにかく凄い。しかし、本来は特急の車窓から見るのがベストではなく、同じ篠ノ井線の普通列車に乗って見るか、もしくは「姥捨駅」で降りて散策すべき場所だ。

 実はかなり前のことだが、何も知らずにその辺りへ来たことがあった。クルマでだが、美しい風景に激しく感動した。

 ただ、その頃は棚田というものをそれほど意識していなかった。去年同じ車窓から見た後、そこが人気のスポットになっているということを知ったのであるから不覚であった。

 どちらにせよ、この恐ろしい名の付いた「姥捨」という場所へは、近いうちに改めてクルマで来ようと思っている。

 実はこの辺りでもう一つ注目していることがある。「姥捨」の次の駅の名前だ。無人の小さなホームの看板には「冠着」と記されてある。

 “かむりき”と読むのであるが、一年前この駅を通り過ぎた時に眼に焼き付けられた駅名だ。そして、駅名もいいが、周辺の田園風景もまた素晴らしく、一気に好きになった。

 …などと思い返したりしながら、先程の外国人青年にまた目をやる。

 彼も小さなノートを前の席から倒したテーブルの上に乗せ、何やら書き始めている。こちらに刺激されたのだろうか。

 明るいブルーのインクの入ったペンによって、ノート上に文字が綴られていくのが分かる。

 彼もこの美しい日本の風景を記録に残そうとしているのだろうかと想像する。

 しばらくボーッとしていたら、外国人青年は大きな上半身を窮屈そうに屈め、リュックの中からガサゴソとビニール袋を取り出している。

 そして、なんと“おにぎり”を手にした。手づくり感いっぱいの、やや大きめの“おにぎり”である。

 窓外に広がる日本の美しい風景をおかずに、海苔に巻かれた美味そうな“おにぎり”を頬張る外国人青年。

 なんと爽やかで美しい光景だろうか。

 ふと思い浮かべたのは、ボクのリュックに放り込まれてある、朝コンビニで買ったパンのこと。

 チョコチップの入った細長い一斤120円(税別)也の、特に深い意味などもないパンを、ボクは信州のこの窓外の風景を見ながら、しかもコーヒーとともに後で食べようとしている。

 せめて、あの青年が下車するまで我慢しようと思う。

 次の松本駅までまだ少し時間がある。

 美しい田園地帯にも、太陽光発電のパネルが並んでいる。これらも時代の流れとともに風景の一部として認知されていくのか?…と考える。

 少し眠っておかねばならない。今夜は一年ぶりの友人たちと酒宴だ。

 聖高原を過ぎ、安曇野に入って明科駅あたりから燕・常念岳などの北アルプスの山並みを意識する。

 岡田喜秋氏の名著『旅に出る日』に収められた、「常念岳の黙示」という短編の文章を思い出す。

 安曇野の地に立ち、自分も常念岳の黙示を受けたいという計画を立てている。

 実行は再来週あたりだ。今年は冬にチカラがなかったから、春への気配が満開になっているかもしれない。

 桜が咲く頃よりも、咲く前や散った後の空気感が好きなのは、気持ちが落ち着けるからだ。

 自分は海のそばで生まれ育ったが、いつの間にか山やその周辺の文化風土を愛するようになった。

 自分の中ではそうなっていくきっかけのようなものを認識しているつもりでいるが、まだまだそれには確信がない。

 岡田氏の文章を読んだとき感じた自分の軽薄さに、何かで終止符を打ちたいと思っている。

 それが、安曇野で常念岳を見てみるという行為に繋がっているとも思う。まだまだニンゲンとして甘い。

 雪の山並みが美しい。

 旅はどんどん想像を膨らませ、それをいつか必ず実現させようと仕向ける。

 枯草を燃やす煙が、安曇野の平野に靄のように広がっている。  

 春になっていく空気感がある。また世の中も人々も慌ただしくなっていくのだろうと、切なさも募る。

 松本に近づき、車内アナウンスには、大糸線や上高地線などの懐かしい名前が出て来た。

 外国人青年が降りる身支度を始めている。ボクはこの電車で塩尻まで行く。

 そこで中央本線に乗り換えるが、塩尻から甲府までは各駅停車だ。そして、塩尻からはひとりの友人と合流する。

 松本を過ぎたら、パンとコーヒーで少し腹を満たしておこうと思う……

 旅はまだまだ続くが、この雑文の続きは「3月の旅~終末編」になる……


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