内灘・私的メッセージ
内灘といえば、海です。
ただ、さまざまな表情があって、
どれが内灘の海だとは
簡単に言えません。
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内灘の海には
ちょっとつらい歴史がありました。
1950年代初めの頃です。
アメリカ軍の砲弾を試射する場所として
内灘の海岸が選ばれてしまったのです。
内灘の人々は、自分たちの“浜”を守ろうと
座り込みをして抵抗しました。
しかし、その甲斐もなく
砲弾は浜に突き刺さり、砂を蹴散らし、
人々を恐れさせたのです。
今は、かすかな残像として
その時代の遺構が立ち尽くしています。
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内灘の海は今も
たくさんの人たちに愛されています。
内灘の海を見つめながら、
それぞれの時代を振り返る人もいれば、
内灘の海を見つめながら、
それぞれの未来を夢見る人もいます。
多くの人たちが、内灘の海に何かを語りかけ、
内灘の海から、
何かを語りかけられてきたのだと思います。
問いかけも、叫びも、歓びも、
すべてを受け入れてくれる、内灘の海です。
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河北潟の半分ほどが干拓されるまで、
内灘は文字どおり水域に挟まれた町でした。
その面影は、
今もはっきりと残っています。
そして、大地として生まれ変わった後には、
それまで見ることのなかった美しい風景が、
私たちの目と心を楽しませてくれるようになっています。
美しい風景がまた美しい風景を生み、
今多くの人々が、
その大地に集っています。
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内灘はかつて貧しい村でした。
しかし、もうその貧しさの記憶を
甦らせるものはありません。
古くは加賀の殿様のご加護を
いただいたという神社が砂丘にあり、
その神社がいくつかの変遷を経て
人里に下りたという物語もありました。
大きな遊園地ができ、
電車が走り始めたという出来事もありました。
そして、内灘闘争―。
今、内灘は恵まれた環境の中で
そこに住む人々や
訪れる人々に安らぎを提供しています。
そして、内灘の人々はいつも元気です。
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内灘の砂丘台地からは、
遠く北アルプスの山並みから登る朝日も
穏やかに日本海へと沈む
夕陽も見ることができます。
空は360度の広がりを見せ、
青く澄みきった空に浮かぶ雲たちにも
心安らぐ表情があったりします。
空が広いこと……
それは内灘の〝タカラ〞です。