晩秋京旅・圧倒編その2


土塀屋根の紅葉

京・高雄方面は実に深いのである。

市の中心部からすると、その奥まり方はかなりな印象がある。

さらに、クルマを下りてからの道も、さらにまだ奥があったのかと思わせる。

急な石段登りは、断片的に登山に近い印象を与える。

晩秋京旅の二日目は高雄に決めていた。

予習資料には厳しい道とあった。

午前10時頃、阪急桂駅前で娘たちと合流した。

大阪豊中に住む次女のところに、前日一緒に来て、JR山科駅から電車に乗り換え大阪で友達と会っていた長女が泊まりに行き、その日の朝阪急で桂まで二人一緒に来た。

桂はこの前まで次女が住んでいた町だ。

こっちも少しは土地勘のあるところだったので、待ち合わせ地点になった。

到着が予定よりも一本遅れた電車になったのは、多分朝が早かったせいだろう。

久しぶりに四人が揃った… と言っても特に儀式などないが。

高雄までは道中が長い。

それに何しろ、晩秋京旅である。

しばらく走って、すぐに渋滞らしき雰囲気。

まあこんなもんだろうと覚悟を決める。

ところが、途中から交通事情は恐れたほどのこともなくスムーズになった。

周辺の風景は、高雄に向かっていることを少しずつ印象付けるものとなっていく。

この先はたしか周山街道と呼ばれる道だ。

かなり山間に入って、周辺が騒がしくなってきたあたりが神護寺へと向かう拠点だった。

無理やりのように、民家の庭がそのまま駐車場になったスペースにクルマを突っ込む。

このあたりの民家は、この時季いい稼ぎになるのだろうなあと余計なことを考える。

清滝川

神護寺へは混み合う道路をしばらく歩き、それから左に折れて清滝川沿いを行く。

清流を見下ろしながら歩くうちに、西明寺への道を右に見送ってまっすぐ進む。

西明寺は帰りに寄ることになる。

しばらく歩くと、左手に急な石段が延びている。

目にした瞬間から、家人が神妙な顔付きになった。

家人にとってはかなりきつそうな登りである。

山で鍛えている長女は、屁みたいなものといった顔で登り始め、毎日自分の住まいと駅とのアップダウンを自転車で往復している次女も同じように登り始めた。

家人をサポートしながら、次女の大学入学式の翌日(だったか)、三人で鞍馬山に登ったのを思い出した。

履物が適合しておらず、二人は苦労したみたいだったが、天候にも恵まれいい思い出になったという話題が出て懐かしかった。

神護寺への道は厳しい…というほどではないが、やはり普通に考えれば楽な道ではない。

笠

途中には休憩処が何軒かあり、その前を通るたびに出ているメニューを覗き込む。

昼に近い時間であるから、団子などのおやつ系よりも、うどんや丼物などのメシ系に目が行く。

秘かに「きつねうどん」に目を付けておいた。

ただ出来れば、「いなりうどん」の方がネーミングとしてはいい。

立ち寄るのは帰りだ。

楼門と呼ばれる、神護寺の正門が、最強に急な石段の向こうに見えてきた。

その前に、道から見下ろす休憩処の情景に目を奪われる。

モミジ食堂

強弱の光に包まれた全面紅葉の中に、食事する人たちの影が動いている。

あの人たちは自分たちの置かれた素晴らしい状況を理解した上で、食事をしているのだろうか?

もしそうでないとすれば、実に不幸なことかも知れない。

同じ状況下で後ほど食事をしようと考えている者としては、しっかりと今目に焼き付けておく必要があった。

神護寺正門

先を行く娘たちの後姿を追い、家人を励ましながら石段を登った。

ほどなく山門に辿り着く。

境内には山里の寺らしい、のどかな空気が流れていて、ふんわりと落ち着く。

金堂石段引き金堂より

当たり前だが、周囲に街中の寺でよく見られる現代建築などは見えず、そのことが新鮮に感じられる。

昔、街道探索などをしていた頃、視覚的な静寂というものを感じたことがあったが、まさにそれに近い感覚が蘇ってきた。

さらに石段を登ったところにある金堂を見上げていると、周囲の人たちの声も聞こえなくなった。

天気ののどかさが何よりだった。

金堂1神護寺境内2

神護寺は、約1200年前に出来たと言われる寺だ。

日本史に出てくる和気清麻呂(すぐに変換されて快感)ゆかりの寺で、後世では、空海や最澄とも深い縁があるらしい。

最も高い位置にある金堂前で、石段の下から写真を撮ってもらった。

家族四人の写真など久しぶりのことだ。

娘たちが進学で京都に移ってからは、そんなショットはすべて京都が舞台となっている。

ヒトは確かに多いのだが、前日の永観堂で見たうねりのような流れもなく、山寺の空気感もたまらなくいい。

金堂石段

金堂からの石段を下ると、またぶらぶらしたり、佇んだりを繰り返す。

だが、そのうち、例の「きつねうどん」のことが気になり始めた。

坂道を下りながら、上から数えて二軒目の店に入った。

屋根のあるテーブルと露天のテーブルが、それなりに整然?と並んでいて、すでに多くのテーブルが埋まっていた。

どのテーブルにも紅葉が舞い落ち、手元も足元も周囲は紅の斑模様だ。

きつねうどん

きつねうどんに、小さな松茸ご飯が付いた、上品な昼飯をいただく。

しかし、環境的にはそれなりにワイルドでもある。

京都らしい“はんなり”系の出汁が美味い。

そのやさしさを何かに例えようと考えたが、なかなかむずかしいので考えるのをやめた。

それくらいにやさしい味であるということにした。

大阪で独り住まいの次女だけが、とろとろ卵の親子丼を選び、残りの加賀の国内灘村からのお上り三人組はきつねうどんを食った。

何気なく、次女の日頃の食料事情について思う……

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再び清滝川沿いの道に下り、しばらくして西明寺への急坂を上る。

この急坂はかなりな角度である。

またしても家人の不安そうな顔に悩まされるが、ここは行くしかない。

あとで分かったのだが、最初に通り過ぎた分岐の道から上がるのが正しいアプローチらしかった。

だましだまし、いややさしく励ましながら、何とか急坂を上った。

想像していたよりも距離は短かった。

西明寺

西明寺は空海の弟子によって、9世紀の初め神護寺の別院として創建されたとある。

その後鎌倉時代に独立した寺になったらしい。

それほどの広さは感じないが、ここでも山里の空気感が存在感を高めている。

苔むした灯篭が並び、その上にふわりと乗っかった葉っぱたちが、どこか子供たちの無邪気に遊ぶ姿のようにも見えてくる。

灯篭に紅葉西明寺の下り

本堂にある釈迦如来さんたちは重要文化財であった。

本来の参道を逆に下って、現世とあの世との境目になるという橋を渡った。

この手の橋はよく渡っているので、何度もあの世に行ってきたことになるが、あの世の印象は全く残っていない。

茶屋のトイレを借りるかどうか、家族内でしばらく検討の時間があったが、まだ大丈夫ということで、もうひとつの目的地・高山寺へと向かう。

周山街道に戻って、さらに奥へと歩く。

少しずつヒトの数が減っていくのが分かる。

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高山寺石碑高山寺入り口

高山寺は「こうざんじ」や「こうさんじ」と呼ぶのだそうだ。

平安時代から山岳信仰の小さな寺が存在していたらしいが、鎌倉時代の明恵という僧によって開かれたとある。

街道から脇に登り始めた頃から、その凄さが予感できる空気感だ。

なぜか妙に懐かしさに駆られる。

参道に立つと、森の深さが静寂のためのエネルギーを醸し出しているのが分かる。

敷石

みな、声を落として話している。

しつこいが、境内は森の中であり、われわれが歩いている道は、その森の空気によって守られてきた聖なる道なのだ(と、神妙な思いが生まれた)。

どこかで味わった空気感だと何度も試みるが、やはり思い出せない。

家人に聞いたりもするが、知らないと言う。

その空気感は、ずっと若い頃に感じたものだったのかも知れなかった。

娘たちも、この空気感が気に入っている様子だった。

高山寺下石段高山寺

金堂への高い石段を上り、またその石段を下って、聖なる道を進む。

グッと現実に戻って、トイレにも立ち寄る。

そして、国宝の石水院へと足を向けた。

予習資料には、ここに置かれてある善財童子の像が美しく紹介されていた。

京都国立博物館で鳥獣戯画展が開かれていたが、その原本は高山寺所蔵のものだった。

(翌日、最終日のその展覧会行きを予定していたのだが、あまりの混乱に入館はやめにした)

石水院縁側

縁側に腰をおろし、晩秋の山並み風景に目をやるのは、かなりの贅沢さだった。

座敷の展示ケースの中に、申し訳なさそうに展示されていた「鳥獣戯画」も色あせて見えた。

善財童子の像は、屋久杉の床板が張られた“廂(ひさし)の間”に置かれてある。

童子童子2

床板は創建時(鎌倉初期)のものだそうだ。

高雄の山の深さとともに、その文化を生み育て、そして継承してきた人たちの思いの深さも感じる。

周囲の濃淡が続く晩秋の気配に包まれながら、中央に置かれた「善財童子」のシルエットに目を凝らした。

紅、橙、黄…… 石水院を出てからも、圧倒的な色のインタープレイに惑わされていた。

高山寺境内2案内板の屋根

池に紅葉樹間の紅葉

樹木に残った葉っぱたち、地上に落ちた葉っぱたち、その途中の何かの上に乗っかった葉っぱたち、それらが一帯を埋め尽くす彩は“圧倒的”という以外に表現言葉がないと思わせる(もちろん、ボクの場合であるが)。

今日めぐった三つの寺は、「三尾(さんび)の山寺」と言われるらしい。

この辺りが、高雄(高尾/たかお)・槇尾(まきのお)・栂尾(とがのお)と呼ばれるからだ。

たしかに見ごたえ十分な山寺めぐりだと感じた。

視覚だけでなく、カラダ全体が、もちろん精神も含めて、しっかりと充足感に浸れる場所だった。

大した足の疲れもなく、周山街道に戻った。

まだ晩秋の洛北の空は明るい。

歩きながらも、眩しいくらいの美しい大樹に長女がカメラを向けている。

家人と次女は何やら楽しそうに話し合っている。

午後のやや遅い時間。われわれはまた雑踏を求めて、京都市街のど真ん中へと向かった。家族四人で泊まる宿へと………

 

石水院からの紅葉

 

 

 


「晩秋京旅・圧倒編その2」への1件のフィードバック

  1. いつも読ませていただいています。
    小生も京都や奈良が好きで、時折出かけていますが、
    高雄方面はまだ極めていません。
    中居さんの文章を読ませていただき、
    昨年だったかの詩仙堂などを巡られた話に続き、
    今回もまた焦燥に駆られました。
    紅葉までは待てないので、新緑の頃にでも
    行ってみようと思っています。
    またほのぼのとしつつ、
    好奇心をそそる紀行をお願いします。

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