勝沼~ブドウとワインと友のこと
今から35年ほど前の話である。
大学時代の親友Mの実家のある山梨県勝沼町(現甲州市)で、貴重な体験をした。
彼の実家には現役時代にも何度もお邪魔していたが、卒業してからも毎年夏になると出かけていた。
勝沼と言えば、ブドウである。
と言っても、学生時代に彼と会わなかったら、そんな知識も希薄なものだっただろう。
初めて中央線の勝沼駅に降り立った時の驚きは今でも忘れない。
眼下に広がった勝沼の町は、ブドウ畑で覆われていた。
ブドウ畑の棚の隙間に家々の屋根が見えているといった感じだった。
南アルプスの逞しく美しい姿にも圧倒された。
当たり前だが、彼の家へ行けば必ずブドウ酒が出た。
彼の家もまた、ブドウ栽培の農家であった。
まだワインという呼び方も定番ではなかったと思う。
何度目かの訪問の時、そのブドウ酒一升瓶6本入の木箱を予約し、石川の自分の実家へ送ったこともある。
市場では一本が千円あまりで、飲みやすいブドウ酒だった。実家でも好評で、それから何度か送っていた。
大学を卒業してから、毎年夏には信州から八ヶ岳山麓へと出かけるようになった。
そして、その際にはいつもMの家に寄り、同行もよくしていた。
その最初か二回目あたりだったと思う。勝沼に着いた日にMから、夜、地元の愛好家たちで結成されている「ワインの会?」に一緒に出ないかと誘われた。
彼の家に独りでいるわけにはいかない。面倒だが行くことにした。
勝沼町内のペンションが会場だった。そのペンションには数年後に泊まったこともある。
昼間は暑さの厳しい甲府盆地だが、夜になると涼しい風が吹き始め、グッと過ごしやすくなる。その夜もそんな感じだった。
ペンション一階のレストランには、大きなテーブルに向かう十人ほどのワイン愛好家たちがいた。
年齢はばらばら、知的な匂いが漂う若い女性も独りだけだがいた。
天井では優雅にプロペラがまわっている。
今なら普通であろうが、その頃にワインの会と聞かされると緊張度は異常に高まるのだ。
嫌な予感どおり、ボクはテーブルの真ん中あたりに座らされ、金沢からのスペシャルゲストのような紹介をされた。
たしかにゲストではあっただろうが、その後の情けない行動からすれば、実にみじめな数時間のスタートであった。
テーブルの真ん中に、ハムや新鮮な野菜などが並べられていた。
そして、会の代表らしき男性が話し始める。これから十種類ほどのワインを飲み、ランク付けをする……というのだ。
何? ボクはたしか左横にいたMの顔を見た。彼は笑いながら、まあまあといった顔をしている。
困った。お遊びでやっていい会なのかどうなのかと、Mに問おうとしたが、彼は相変わらず楽しそうに笑っている。
ワインが、いやボクの認識ではブドウ酒がどんどんグラスに注がれて運ばれてくる。
グラスの下に番号が書かれたカードが置かれていて、その番号をランク表に記入していくのだ。
何だかよく分からないうちに、ひと通り口に運んだ。そして、ランク表に何とか数字を入れた。
慣れていないせいもあって、どれも酸味が強く感じられた。正直、積極的に飲みたいと思ったものはなかった。
その中で、なんとか口に合ったブドウ酒がひとつだけあった。
全く口に合わないブドウ酒も明解に自覚できた。
先に後者(つまり最下位)から言うと、恥ずかしながら、それはボルドーの最高級ワインらしかった。
赤のフルボディ、うま味など全く感じ取れなかった。
そして、前者、つまり口に合った唯一のブドウ酒が地元勝沼産。
例の一升瓶で販売されているブドウ酒だったのである。
正直言って、赤のフルボディは“まずい”とさえ感じた。
咽喉を通すのもかなりの労力と勇気を必要とした(少なくとも当時の自分には)。
さすがに、地元の人たちはボクが最下位にしたワインを一番にしていた。
見た目だけで判別がつくくらいの人たちばかりだった。
紅一点、大学で日本文学を専攻していたという女性も、柔らかな物腰のイメージを吹き飛ばすほどの酒豪、いやワイン通であった。
その利き酒会的なイベントの終わりに、代表の方がやさしく言った。
たぶん、今日のゲストであるボクの感覚(無知か未知かの)が、今の日本人の平均的なワイン感覚なのであろうと。
救われたのか、いやその逆なのかと一瞬戸惑いながら、グラスに残ったままの高級赤ワインを見た。
Mが横で笑っていた。
話は一気にその数年後に飛ぶ。
クリスマス・イブの夜、金沢の行きつけになっていたバーで、ワイン・パーティをやることにした。
その店はマスターの高齢化でとっくに閉じられているが、初めてシングルモルトの美味さを教えてもらった店で、その後ボクにとっては貴重な場所でもあった。
パーティのことはマスターに一任した。
すると、テーブルの真ん中にワインの入った小さな樽が置かれるという、なかなかオシャレな趣向になっていて、マスターに感謝した。
参加者である会社の同僚たちも喜んでいたが、ワインなどほとんど飲む機会はない。正直企画した者としては大いに不安でもあったのだ。
樽はお店用の簡易な水道栓が付いたもので、中の小さなタンクが取り外し可能になっている。
空っぽになったら、マスターがそのタンクを裏へと持って行きワインを補充するのだ。
小さめのグラスにワインが注がれると、皆珍しそうにその“ 液体 を眺めている。
そして、乾杯。全員が美味いとか、飲みやすいとか、とにかく初めてのワインに驚きの声を上げた。
ボクはちょっと誇らしげだった。皆のグラスにどんどんワインが注がれていく。
マスターの作ってくれる料理との相性もいいみたいだ。
そして、ワイン補充の頻度も高くなってきた。
手の回らないマスターに言われて、ボクが裏へと入りそのタンクを取りに行くことになる。
そして、カウンターを抜けて裏へと入った時、そこにあったワイン、いやブドウ酒を見て驚いた。
あの懐かしい勝沼の一升瓶がそこにあった。
しかも、我が家に送ったこともある木箱に入っていた。
その時、思った。
あの夏の日の、勝沼のペンションでの感覚は決して間違いではなかったのだな……と。
たしかに日本においても、昔から高級ワインを飲んでいる人たちはいただろうが、平たく言えば、普通の日本人にはこのブドウ酒が“最も馴染めるワイン”の味なのかも知れない……と。
そして、あの会で代表の方が最後に言ってくれた言葉をあらためて思い出していた………。
それから後、いつの間にか一気にワインブームが来た。
誰もがワイン愛好家になっていた。
昔の勝沼の想い出話をしても、誰も信じてくれないような時代になった。
それどころか、半分バカにされたりもする始末だ。
若い女性たちが、ワイン評論家になる時代なのだ。
今勝沼のワインは、「甲州」というブランドでヨーロッパでも非常に高い評価を得ている。
Mは大学卒業後、地元公務員になり、20代の頃から勝沼のワインを普及するための研究に力を注いできた。
ヨーロッパやアメリカ西海岸などの産地に渡り、そこでの成果を地元の農家やワイナリーの人たちとの研究材料にもしていた。
若かった彼が記したそれらのレポートには、単にブドウ栽培やワインづくりの話ばかりではなく、ブドウ畑が作り出す美しい自然景観の話などが活き活きと綴られている。
ついでに書くと、ボクがかつて出していた『ヒトビト』という雑誌にも、彼は創刊から協力してくれ、勝沼からの季節感あふれるレポートを送ってくれていた。
その文章も、今風に言えば、ふるさと愛に満ちた温かく素晴らしい内容のものだった。
実際、勝沼におけるブドウの存在は完全に地域の文化だ。
今のワインブームの中では忘れられがちな、土地(地域)の匂いのようなものが伝わってくる。
それは、8世紀とか12世紀とかいう発祥説が物語る、勝沼のブドウの歴史そのものでもあるからだ。
そして、明治の初め、ワインづくりのためにフランスへ若者二人を送り込んだという剛健な気質にも、それは示されている。
その気候風土に合った文化を継承するワイナリーオーナーたちも見識が高い。
今、テレビをとおして国産ウイスキーの物語が人気を博しているが、ブドウづくりとワインづくりの歴史にも、多くの物語があったに違いない。
もうそろそろ5年前のことになるが、ボクは金沢の茶屋で甲州ワインを飲む会を催した。
そのために勝沼にMを訪ね、何軒かのワイナリーを巡ったが、あらためて感じ入ったのは、それぞれのワイナリーが実に個性的(平凡かつ軽薄な表現で恥ずかしいが)であったことだ。
そして、とても日本的であった?ということにも驚かされた。
明治の農村にあった「和と洋」。
……というとまた違っているかもしれないが、その独特の空気感は初めて味わうものだったのだ。
それもまた、ブドウやワインと言う日本国内では特殊な性格をもつ産物のせいとも言えた。
会は一応盛況だった。勝沼で買い込んだ数種類の甲州ワインを順番に出した。
ボクはMからもらった資料をもとに、勝沼の土地柄などの話を交えながら会をナビゲートした。
すでに世の中ワイン通だらけで、今さら国産ワインなどと言う人も多くいたが、一口飲んだだけで皆その口当たりの良さに驚いていた。
ただ、その時失敗したと思ったのは、茶屋という場を意識しすぎて、妙な高級感が出てしまったことだ。
口当たりが良くて、食べ物も進み、おしゃべりも弾むという、そんな生活感のあるワインの場にするべきだった。
それが自分が知っている勝沼らしい魅力の発信に繋がっただろうに…と、ずっと後悔している。
日本酒ももちろんだが、国産ワインにもその土地の個性がある。
こと国産ワインについて言えば、勝沼ほどそれが顕著な場所はないだろうと思う。
ブドウ畑が作り出すのどかな風景は、その第一の要素だ。
だから、本当のことを言えば、やはり甲州ワインは勝沼の地で楽しむのが一番いいと思う。
あのブドウ畑が広がる風景や、ワイナリーの新旧の香りが漂う佇まいなどを目にすると、ワインの味が確実に大きく広がっていくのは間違いない。
最近は我が家でも外国産のワインが普通になっているが、やはり甲州ワイン、いや勝沼のワインは別モノだ。
ボクにとっては、たくさんの大事なものが詰まっている、特別なモノであることは間違いない。
ここまで書いてきたら、飲みたくなってきたのだ………
※使った写真は、たまたま最近飲んだ銘柄のもの。
4年ぶりにMと再会して、
さらに磨きのかかった甲州ワインを飲ませてもらった。
よい友を持って、幸せなのである……