hisashinakai
河北潟干拓地への雑感
冬には少ないながらもそれなりに雪が積もり、その雪が解け始める頃になると、雪の下にあった青々とした麦たちが、薄く張られたような雪解け水から顔を出す。
さらにそれらは春の陽気と共に一気に成長し、風に揺れるくらいになると、すぐに黄金色になって刈り採られていく。
梅雨に入った時季の河北潟干拓地にはいろいろな顔があり、人工的に作られた農地とは言え、大らかな自然の息吹を感じさせるものがある。
この干拓地をずっと好きになれずにいた。
河北潟は広い水域をもってこその宝であり、そこから簡単に水を抜いて作られた土地にはどうしても馴染めなかった。
小学校の低学年から中学年にかけての頃だろうか、河北潟に奇妙な形の船が浮かび始め、秋田県や滋賀県から転校生がやって来た。
干拓が始まろうとしていたのだ。
転校生たちは、それぞれが八郎潟や琵琶湖の干拓従事者たちの子供らで、彼らは中学の頃までいただろうか。
正直言って、初めの頃は何をしていたのか、まったく分かっていなかった。
小学校に入学する頃には、すでに岸に近いところに出島のようにして水田が作られ、潟そのものはやや遠い存在になっていたが、それでも道路と出島型水田の間には、川のような場所があり、藻が張って大きなフナたちが泳いでいた。
そして、その水田の中の道を歩いて潟の岸辺にまで行くと、すぐ前に太い鉄管がいくつも繋ぎ合わされ延びていた。
水面よりかなり高い位置に木で組まれた橋桁のようなものがあり、その上に鉄管は繋がれているのだ。
先端からは黒い泥のようなものが流れ出ていて、その勢いは子供たちにとって恐ろしいものでもあった。
鉄管は八郎潟や琵琶湖で使われてきたものだったに違いない。赤錆が全体を覆っているものも多くあった。
ボクたち“地元全ガキ連”の有志は、岸にまで延びてきていた鉄管の上に上り、そのまま潟の方へと歩いて行く度胸だめしみたいなことをよくやった。
砂の上ではちょっと大胆に速足などが出来たが、水上に出るとそんなわけにはいかず、十メートルも入るとすぐに足がすくんだ。そのまま引き返すのも大変だった。
今から思えば、干拓はいつの間にか終わっていた。
十年以上はかかっていたのに、見た目的にはあまりにも大らかな進捗であったせいか、干拓工事自体が日常の生活の中に溶け込んでいたような気がする。
今思えば、干拓地のど真ん中に立っていても、かつて祖父が舵を取る小舟で向かい岸の町まで出かけていたことなど想像しがたい。
北海道や山陰の海で鳴らした名物漁師の一人だった祖父は、漁業の衰退とともに河北潟の細々とした川魚漁に転じた。
それでも生活は厳しく、砂丘で作るさつまいも(五郎島金時などまだない)を向かい岸まで売りに行っていた。
さつまいもは金になるというより、米との交換品でもあり、わずかしかもらえない米のために、大量のさつまいもを置いてきた。
保育所に入った頃の自分が、なぜかその時の様子をはっきりと覚えているのは、偉大な祖父が手拭いで汗を拭きつつ、お客さんに腰を折りアタマを下げているのを見ていたからだ。
夕方の帰りには河北潟に少し波が立ち始め、舟の揺れが大きくなった。そんな時は、舟の先端に身を屈めてじっと舟底を見ていた。
干拓が進んで、潟の半分以上が陸地(農地)になった時は、ある意味の珍しさもあってか、その風景に興味も湧いた。
しかし、それ以上に、米が過剰に作られるという異様な社会の動きの中で、河北潟の干拓に何の意味があったのだろうと思うようにもなっていった。
ボクよりも年長の人たちには、その思いはもっと大きかったに違いない。
潟がそのとおりの水域として残っていたら、もっと自分たちの心に豊かな何かがもたらされたのではないか…と思うようにもなっていた。
小学校の校歌にも、中学校の校歌にも、河北潟の名はしっかりと刻まれている。
今のような半分以下になった小さな潟では、そのイメージは伝わらない。
しかし、すべては人の成したことだ。
失敗だったとしても、それを今更どうできるだろう。
子供たちは、干拓地の農場で採れた牛乳で作られるアイスクリームを、おいしいおいしいといって食べている。
十数年前に故郷に家を建て、河北潟干拓地によく足を運ぶようになった。
冬のスキーウォークを含め、四季それぞれの風景を見る、歩きながらそんな楽しみを知るようになり、いつしか干拓地そのものを認めるようにもなっていった。
少しずつビューポイントも掴んでいる。
今はただそれだけの、河北潟干拓地なのだ……
とてもいい話に出会いました。
私自身の、なんだか遠い昔の、
幼い頃のことを思い出しました。
中居さんのサイトは久しぶりに立ち寄らせていただきましたが、
心がほっとしたり、きゅっとしたり、
さらにいろいろとさせてくれますね。
ますます書きこんでいただきたく、
期待しております。
ありがとうございます。プレッシャーですが、励みます。