バット名人との思い出


久保田さん

 この春、バット作りの名人・久保田五十一さんが現役を退くという。

 2005年の11月8日、岐阜県養老町のMIZUNOバット工場で、久保田さんとお会いしたことが当時のノートに走り書きされていた。

 しかし、それ以上に鮮明な記憶がアタマに残っている。

 早朝に金沢を発ち、約束時間よりもかなり早めに到着していた。

 空には雲ひとつなく、近くの河川敷や広大な平野と丘陵が美しかった。

 一ヶ月後に開館を控えた松井秀喜BBMに、松井選手が使ってきたバットの変遷を紹介しようと企画していた。

 そのための最終打ち合わせが目的だった。松井BBMの仕事というだけでボクは手厚く迎えられ、早々に久保田さんの作業場へと案内された。

 久保田さんに会った瞬間、飾らない性格がそのまま言動に表れる人だと思った。

 名人はボクの目の前で、当時の松井モデルを一本作ってくれた。その作業風景をボクはカメラに収めた。腰をかがめながら、定規を当てて微妙な寸法を調整していく。回転刃から弾き飛ばされる木が、作業場に独特の匂いを放つ。

 ネームの入っていない出来たてバットは、“これがあの松井のバットか?”と思うほどに細く、軽く感じるものだった。

 名人はそのバットをビニールの専用袋に入れて渡してくれた。

 工場を回りながら、バットのことをいろいろな角度から説明してくれる名人は、多くのプロ野球選手たちの特性やクセのようなものを感じ取っているように見える。

 落合モデルのバット、イチローモデルのバット… ずらりと並んだ有名選手たちのバットたちは壮観な印象を醸し出し、何だかとんでもない空気の中にいるように感じさせる。

 名人は、「松井さんは、一年に一度もバットを修正しませんでしたね。不振になっても、バットのせいにしなかったですよ。他の人はよくシーズン中に修正しましたが……。バットの重さの感じ方で、自分の調子を見てるという話もされてましたね…」と話した。

 正午に近づいた頃、名人は松井さんが訪れた時に必ず行ったという近くの食堂へ連れて行ってくれた。

 同じメニューの定食をご馳走してくれ、その席でも松井さんの話を楽しそうに語ってくれた。

 「松井さんが来ると、店に近所の人たちがたくさん集まってくるんです。松井さんは一人一人と握手したり、サインしたりしてましたね。とにかく人柄も素晴らしかったです…」

 そうこうしているうちに、店が少し賑やかになった。入り口の方からこちらを覗き込むような人が数人いる。

 名人が、「松井記念館のプロデューサーさんです」と、その人たちに紹介してくれると、その人たちも松井さんの印象などの話をしてくれた。

 バットを作る名人と、そのバットで一年を野球に打ち込む松井さんとの関係とはどういうものか?

 そんなことも感じ取ってみたいと思ったが、その場では結論らしきものは出ず、ボクはその後の展示プランを作成する際になって初めて、すべては一本のホームランなのではないかと思ったりした。

 ニューヨークデビュー戦で打ったグランドスラムの時の話を思い出したからだ。

 「嬉しかったです。ホッとしましたね…」

 名人の思いのこもった一言だった……


「バット名人との思い出」への1件のフィードバック

  1. いいお話との出会いでした。
    松井さんのミュージアムのお仕事されてるなんて羨ましい。
    一度だけ行きましたが、引退されてからは行っていません。
    そう言えば、金のバットもまだ見ていない。
    暖かくなったら行こうっと。

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