hisashinakai
アイドルを逃がせ !!
クルマで移動中、久しぶりに聞いたNHKラジオの“ 午後マリ ”。
その日のゲストは YA(さん=省略)。アイドルなどとはあまり関わりのない人生を送ってきたつもりだが、恥ずかしながら、このYAだけには思い出がある。
と言っても、ファンクラブに入っていたとかではなく、当然全国追いかけまわしていたというのでもない。
1988年、金沢で『食と緑の博覧会いしかわ』という大きなイベントが開催された。
地方博というのが盛んに行われていた頃で、そのような博覧会には決まって人寄せコンサートみたいのが付いていた。今でも同じかな。
金沢の博覧会もご多聞に漏れず、会場となった西部緑地公園特設ステージにおける最大イベントが、YAのコンサートだったのだ。
YAと言えば、泣く子も黙る当時の超売れっ子(らしかった)。
博覧会の立ち上げから運営にまで関わっていたボクや仲間たちは、その超売れっ子を守るため警備補助の仕事を課せられた。
警備補助とは、コンサートが終わったのに帰らないお兄ちゃんたちが、Yちァ~んなどと叫びながら柵を越えて来た場合、力づくで押さえつけ、テメェ、コノヤロー、逮捕すっどというもので、実際数名が芝生の上にねじ伏せられたりしていた。
ボクはその様子を、博覧会テーマ館の正面エントランスから見ていた。
ボクの横には事務局スタッフ。そして、恐ろしく機嫌の悪いYAの関係者……?
そして、さらにもう一人……小柄な…YA…本人。帽子を深くかぶり顔はほとんど見えない。
その数日前のこと。
ボクは、コンサート終了後、YA様ご一行を速やかに会場から外へ出すための秘密誘導員係を告げられていた。
ほとんど耳元でのささやきに近いカタチでだった。
しかし、コトは順当には動いていなかった。お兄ちゃんたちのほとんどが帰らずにいたからだ。
不機嫌な関係者のオトッツァンが、事務局の段取りの悪さ?にどんどん表情をこわばらせていく。
いつ怒りの罵声が吐き散らされるか分からない。
段取りがどこかでズレ始め、怪訝な空気がエントランスに漂う。
その時、「タクシーをテーマ館の裏に付けたから、テーマ館の中を通って行ってくれ」
と、事務局の人がボクに言った。今回も耳元でのささやきに近かった。
その手で行くのか…… とボクは首を縦に振った。つまり肯いたのだ。
不機嫌なオトッツァンにも同じことが告げられていた。
オトッツァンは、よく聞き取れない声で何ごとか発したが、すぐに体を回転させた。
振り返ると、奥にYAがいる。
えっ?と思って横を見ると、ここにもYA…だ?
全く姿カタチの同じ少女が、ボクの周囲半径約5.0m以内に二人いる。
驚いている暇はなかった。影武者かと考えている暇なんぞもない。
オトッツァンが腹の底からダイレクトに響くような声で、早くしろ!と言った(ような記憶がある)。
ボクはホンモノのYAらしき少女とオトッツァンを引き連れて、人のいない静まり返ったテーマ館の展示ゾーンの中を走った。
何だかディズニーの映画みたいだなと思ったような、思わなかったような、必死なわりには楽しい時間であったような、なかったような。
裏にある搬入口の大きなシャッターが半分ほど開けられていた。
タクシーの運転手が、何かあったんですかといった顔で迎える。
いえ特に何もないですといった顔で応えようとしたが、多分オトッツァンの雰囲気で、運転手は何かあったに違いないと思ったことだろう。
タクシーが見えなくなるのを待って、フーッと息を吐き、スタッフの人たちの顔を見た。
みなそれ相応の安堵顔だった…………
何年も経ってから、YAの存在を知る機会があると、そのことを思い出すようになった。
今日も、ラジオから聞こえてきた、もうお母さんだというYAの声を聞きながら、なぜか一方的に身近な存在になってしまってるなあと思ったりした。
もともとの芸能界入りのきっかけは、応募したオーディションの副賞が真っ赤なラジカセで、それが欲しかったからとか。
素朴な、どこにでもいる女の子だったのだと、あの日見た小さな姿を思い返す。
今、幾分衰えつつ?ある感性にムチ打って、ミュージカルの稽古中だとラジオで話していた。
そうか、ガンバレ、Yちゃん。なんかあったら、オレがまた、誘導してやるから………?
当時、逮捕する側だった一人から、メールが来ていた。
本気だったと……