卯辰山の竹藪のこと


燃える竹

 枯れた竹が放置されたままの藪では、陽が差し込むと、突然その隙間に伸びていた新緑が輝き出す。

 春の始めだったりすると、その勢いも激しく、目がくらむというと大袈裟だが、ちょっとびっくりしたりする。

 金沢の卯辰山には、ところどころに竹林か竹藪かといった感じの場所があるが、どこもあまり整備されているとは言えず、かなり中途半端な様相だ。

 金沢といえば、やはり別所などの竹林が有名で、その美しさは卯辰山の比ではない。

 それはやはりよく整備されているからで、タケノコの産地であるということがそのことを裏付けてもいる。

 しかし、前にも書いたが、竹林というのは何となく日本の象徴的な風景をつくり出していて、その点でも卯辰山はちょっともったいない。

 たとえば、小さな社が三つ並ぶ卯辰三社周辺の竹藪はかなり傷んでいる。

 山麓の寺院群をめぐる「心の道」周辺も然りだ。

 傷んでいるから、整備されていないから竹林ではなく、竹藪なのだろうと勝手に思ってもいる。

 「心の道」の仕事に携わっていた頃、旧鶯町の松尾神社を抜け、そこから先、右に上るか左に下るかで結論を待たされたことがあった。

 ボクには当然決定権などなかったが、圧倒的に右行き派で、そこからの風景や空気感がこのルートの核心部になるとさえ思っていた。

 現にガイドを作った際、ボクはこの場所に向かう道の石柱と山門を撮影し使用している。

 小さな寺院と墓地。道は辛うじて木漏れ日が差す程度の明るさで静まり返っている。

西養寺墓地の道

 しかし、薄暗く荒れた墓地の中の道であることや、最後は厳しい下り坂となることもあって、雨の日の調査により、その道は危険と判断された。

 ルートは松尾神社を出て、左に下ることに決まったのだ。

 その辺りにも竹藪が続いていた。とても大きな竹が笹を垂れながら揺れていた。

 そして、それはそれなりに豪快で美しいものでもあった。

 竹藪というのは、なかなか手を入れるというのもむずかしいのだろうが、とにかく手を入れる価値が見出されていないのが本当のところなのかも知れない。

 卯辰山の瓢箪池から苔むした石段を登り、卯辰三社に上がると右手に深い竹藪が見えてくるが、その中の様子も荒れている。

竹藪の道

 しかし、竹藪に目をやりながら短い道を歩き、その途中に架かる小さなアーチ形の橋から見下ろすと、その竹藪が意外と深い広がりをもっていることに気が付く。

 その辺りまで来ると、少し竹藪が竹林になっているのではと期待ももたせてくれ、足を運ばせようとする。

 卯辰山は金沢市民にとって、あまりにも身近な存在だ。

 ボク自身も小学生の頃、天神橋の脇の旧御歩町に親戚があって、そこへ遊びに来ると、すぐに卯辰山に上った。

 もちろん歩いてであり、頂上?付近のグラウンドで遊んでいた。

 今から思えば、田舎から出てきた少年が、何の懸念もなく上り下りしていたのだから、やはりごく普通の丘みたいな山だったのだろう。

 墓地や健民公園や相撲場などがあって、今も日常の中にもそれなりに位置付けられているのはまちがいない。

 かつては相撲場で野外コンサートがあったりして、国内のそれなりに有名なジャズミュージシャンなどが来演していたこともあった。

 竹藪の話にまた戻すと、ボクはやはり、卯辰山の場合はもう少し手を入れて、せめて竹林と呼んでもおかしくないくらいにしたらどうだろうかと思う。

 前にも書いたとおり、「金沢らしさ」は「日本らしさ」なのだ。

 兼六園も武家屋敷も茶屋街も、伝統工芸も伝統料理も伝統芸能も、みな「日本らしさ」であり、今ははるかに及ばないが、卯辰山の竹藪、いや竹林もまた「日本らしさ」になる。

 卯辰山へ出かけたが、桜の印象は全くなく、ただ竹のことばかり考えて歩いていた……

卯辰山三社の石段と鳥居散策路の桜と


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