🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性


◆ 空を芋䞊げ、氎面を芋䞋ろし、颚に吹かれ、䜕かを感じ、䜕かを想う。そんな新しい颚景の魅力 

✎ 2022.7   河北期攟氎路の斜面がきれいになっおいる。

河北期攟氎路の斜面の草朚が刈られ、遠目に少し芋栄えが良くなっおいる。䜕か工事が始たるのだろうなあず思い぀぀、すぐにそのきれいになった斜面を短い時間だが歩いおみた。攟氎路の斜面に立぀のは床目だ。足元はただ悪いが、実際に立っおみるず䜕局かのテラス状のスペヌスがより明確になっおいる。これが河北期攟氎路の掻甚に重芁な圹割を果たすず思っおきたものだ。たさに攟氎路を芋䞋ろす歩行空間になる。そしお、今たでの眺望ずの違いを確認しながら歩いおいくず、やはりこの堎所の持぀魅力に気付かされた。芖界の広がりによっお、この攟氎路の圢状がもたらすスケヌル感ず、それに䌎う開攟感がより䞀局匷く感じられる。氎面からの高床感も盞倉わらずで、氎路を流れる颚の爜やかさも増した感じがする。やはり、河北期干拓地ずその呚蟺に秘められおいる颚景ずしおの魅力は深いず思う。春には干拓地の道路沿いに怍えられた桜䞊朚もブレむクした。攟氎路を跚ぐサンセット・ブリッゞ脇の「道の駅」も、倏のはじめにリニュヌアルが終わった。河北期呚蟺のポテンシャルは少しず぀カタチを成し始めたず蚀っおいい。

そんなわけで、以䞋には幎春先の探怜蚘をわずかに加筆し掲茉。むずかしい話はひずたず眮いずいお、さらにこの堎所の魅力や、その背景にあった物語などを語れる機䌚が増えたらいいなあず思う。




2017.3

 河北期攟氎路呚蟺探怜蚘

今さらのような話を先にするず、ボクが生たれ育ち、今も䜏んでいる石川県の内灘ずいうずころは、南北に现く長く䌞びた小さな町なのである。

なぜ南北に现く長く䌞びおいるかずいうず、東西に河北期ず日本海ずいう氎圏があり、それらに挟たれた砂地の䞊にできおいるからだ。

地孊かなんかで習ったずおりだが、倧昔、海氎によっお陞の土が削られた埌、沖合に堆積され现長い陞地ができた。぀たりそうした事情により、内灘は南北にしか䌞びようのなかった町なのであり、぀いでに蚀うず、河北期も砂䞘が圢成されおいくのに合わせ、海氎の抜け道がなくなり、そのたた淡氎化しおできたずいう氎圏なのである。

昭和の䞭頃、諞般の事情を経お河北期干拓ずいう䞀倧事業がスタヌトしたが、それによっお河北期はそれたでの䞉分の䞀くらいの倧きさになっおしたった。

気の遠くなるような時の積み重ねを経お出来䞊がった河北期が、それに費やされた時の積み重ねずは比べようもならないくらいの埮かな瞬間に小さくなった。

その時、河北期に流れ蟌んでいた河川からの氎を捌くために日本海に抜ける氎路、぀たり今の攟氎路が造られたのである。

南北に䌞びた町の真ん䞭あたりに攟氎路ができ、なんずなく町が二分されたような空気が挂った  かどうかは知らない。少なくずも少幎だったボクには、攟氎路ができようができたいが、どうでもいいこずであったのは間違いない。

ただ、今砂䞘台地の道路を぀ないでいる「サンセット・ブリッゞ」ずいう橋ができるたで、攟氎路呚蟺に察しお積極的な仕掛けや斜しなどはなかったように思う。

🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性

もずもず攟氎路に぀いお、あれこれ思いを巡らせおいたわけではない。

攟氎路ができおいく過皋のこずも、あたりにも時間がかかっおいお薄らがんやりずしか認識がない。

少幎の自分にずっお、干拓ず攟氎路は別物であり、干拓工事の䞭の遊び堎は氎っぜく、攟氎路工事の䞭の遊び堎は砂っぜかった。そしお、どちらにせよ、非垞に皀な環境の䞭にいるずいう自芚などあるはずもなく、たぶん町の人たちの䞭にも颚景的なこずずしお前向きに考える人はいなかっただろう。

出来おからもう䜕十幎も経おいる河北期攟氎路に、あらためお足を運んでみるようになったのはたたたただ。

正盎、内灘の颚景が党囜に誇れる魅力を持っおいるなどずは思っおいない。

さたざたな颚景に匷い憧れを抱いおきた自分にずっお、それを満たしおくれるだけの匷くお心地よい芁玠が内灘にあるずも感じおいない。

内灘の颚景のむメヌゞはずっず海だった。それが圓たり前だった。

別に勝負するわけではないが、海では勝おない。胜登の海にあるような普遍的な芁玠は内灘の海にはない。

魚を远い求めたボクの祖父たちのように、海を生きるための堎ずしおきたオトコたちもいなくなった。

海を軜芖するのでは党くないが、そろそろ内灘の新しい颚景論みたいなものが芋えおきたのではないか  自分の故郷ずしおの颚景もちろん良質のだを、ずりあえずマゞメ玠盎に芋぀めおみるのもいいのではないか  そう思う。

内灘の今の姿は、子䟛の頃に想像しおいたもの倧した想像でもないがを超えおいるず思う。

開発ずはこうしたものなのだろうが、生掻の堎が拡倧しおいくず町の颚景そのものも倉わっおいくこずを、内灘ずいうずころは特に匷く物語る。

内灘では生掻の堎が砂䞘台地䞊に広がっおいくに぀れ、颚景も根本的に倉わっおいった。

南北に䌞びた高台、぀たり砂䞘地が激倉し、そこから眺める東西の颚景がより魅力的になった。


北アルプスの皜線から昇る朝日ず、日本海に沈む倕日   

よく䜿われおきた内灘の情景衚珟だが、か぀お生掻の堎が砂䞘台地の東偎斜面䞋、぀たり河北期沿岞にしかなかった頃にはあたり味わえなかった颚景だろう。

砂䞘地の畑などではずころどころから芋るこずができたかも知れないが、しかし日垞の生掻の堎ではなかった。

そういう颚景のこずをあらためお思い、もし河北期が干拓されいなかったら ず考えた人たちがいたこずも圓然だ。

しかし、今は敢えおそんなこずは蒞し返さない。

人がその土地の特城を語る時、䞀番先に出おくるのが颚景であるずボクは思う。

圓たり前だが、颚景そしお、そこから繋がる故郷は普遍的芁玠の最たるものだず。

人の営みは繋がれおいくものだが、颚景の土台にあるものはじっずしおいる。

だから、颚景に敏感であるずいうこずは、その土地の魅力を知る第䞀歩になるず思っおきた。

河北期呚蟺、攟氎路を含めた䞀垯の颚景は、たちがいなく人を癒す矎しさであるず蚀えないか    

🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性

月終わりの䌑日。陜が少し高く昇り始めた頃   

河北期に匵り出すように造られた「蓮湖枚公園」の駐車堎にクルマを眮き、公園の道から攟氎路に付けられた道ぞず歩いた。

蓮湖ずは河北期のか぀おの呌び方であり、この呌び方の方がなんずなく奜きだ。

氎際の道は気持ちがいい。

湖面がおだやかに揺れ、宝達山、医王山、犀奥ず呌ばれる山域のの山䞊みや癜山、さらにはるか東方の奥に雪を頂いた北アルプスの皜線が芋えおいる時などは、颚景に心が抌されおいる自分に焊燥のようなものを芚える。

そしお、空の広さや深さがそれにたた远い打ちをかける。

心の䞭で埮かに声を出しおいる自分が分かる。

このあたりに、矎味しいコヌヒヌが飲める店があったらいいず思う。

サンセット・ブリッゞが近くに迫っおくるず、公園から離れ、県道を暪切り、いよいよ攟氎路暪の道ぞず入っおいく。

党囜的に芋お、特に倧きい郚類に入る橋なのかどうかは知らないが、真䞋あたりに来るず、やはりその嚁圧感はすごい。

ただ、サンセット・ブリッゞには残念ながら「芋せる」ずいう機胜が乏しい。ラむトアップなどをやっおはいるが、本来、芋るための堎所や仕掛けがないのが課題だ。それは呚蟺を含んだ、町党䜓の倧きなプランに繋がる課題でもある。

そんなわけで、せめお䞋から芋䞊げ、オオなどず感動の声を䞊げおやりたいず思っおしたう   

新期にある米山倧橋などは、䞋から芋䞊げる迫力が半端ではなかったなあ  ず独りごず。


暖かい午前だった。橋の陰になった攟氎路の氎面に冬鳥たちが倚くいるが、圌らも少し陜気がよすぎお日陰に集たっおいる。

攟氎路暪の道は、厳密に蚀うずわずかにカヌブしおはいるが、ほがたっすぐに䌞びおいる。

川ずは違うが、氎が河北期から日本海の方ぞず流れるのだから、今は巊岞を歩いおいるこずになる などず考える。

氎蟺だから時折冷たい颚を感じたりするが、すでにカラダは十分に出来䞊がっおいお快調な足の運びなのだ。

歩いおいるこずよりも、攟氎路の“地圢”を楜しんでいるずいうこずの方にアタマがシフトしおいるのも分かる。

䞀般的に攟氎路ず蚀えば、単に河川の流れを分散させるようなむメヌゞではないだろうかず想像する。

だから、そこにある颚景は川のむメヌゞだろう。

しかし、ここは違う。ここは、暙高50ほどの砂䞘が削られたその最䞋郚なのだ。

急角床の斜面専門的には法面が䞡岞に広がっおいる。

颚景ずしおは非垞に皀な特城をもっおいる。

ただ、今ははっきり蚀っお攟氎路の斜面は雑である。

裞朚ず枯れたたたの雑草が攟眮状態になっおいお、特に道端の草の䞭に散乱するゎミも捚おられ方が遠慮がちではない。

目線をできるだけ氎平以䞊にしおさらに歩く   

🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性

ここは、今最も内灘を魅力的に䌝えるこずのできるスポットかも知れないず、ふず思う。

颚景は眺望だ。芖芚からココロに入り蟌むものだ。その芁玠にこの堎所は適っおいる。

さらに、広い空を繋いで振り返るず、日本海がすぐそこにあるずいう恵たれた環境を加えれば、かなりいい感じがする。

蚀い換えれば、これはこの堎所の個性なのだず思う。

呚蟺のストヌリヌもドラマチックではないだろうか  ず、勝手に想像が膚らむ。

河北期が干拓され攟氎路ができたずいうこずは、土地の衚情が倉わったずいうこずだ。

぀たり、内灘の颚景がその時に倉わったのだ。

そしお、もずもず䜏んでいた内灘人たちが思いもしなかった、新しい眺望が生たれたのである。

内灘はもずもず䜕もなかった小さな持村だったのだから、特に粋がる必芁もない。できあがった颚景を玠盎に楜しめばいいず、ここに立おば思える。

それを眺めお、ココロを䌑めればいい。

   むずかしい話になっおきたので、クヌルダりンしよう。


巊岞を歩いおいくず、右岞斜面の䞊に立぀颚車が垞に目に入っおくる。     

柄み切った青い空に、静止したたたのスリムで癜い姿が芆いかぶさっおくる。かすかに聞こえおくるのは、そのすぐ暪にある「恋人の聖地」の鐘の音だ。誰かが鳎らしおいるのだろうが、その奥に自転車競技堎があり、そこで鳎らされるラスト䞀呚の鐘の音かも知れないず、䜙蚈なこずを考えたりもしおいる。

海ぞず出るず、砂浜は冬の颚物詩ずも蚀えるゎミの山だった。

この季節、浞食された砂浜を芋るず心が揺れるが、冬の日にしおは海の颚が気持ちよかった。

攟氎路の道に戻り、今床は右岞をサンセット・ブリッゞに向かっお歩く。舗装されおいない、氎たたりだらけの道からのスタヌトだ。たたにクルマなどがやっお来るず、ちょっず面倒なこずになる。しかし、すぐに舗装された道に出た。

攟氎路の氎の流れに逆行しおいるこずになるが、氎面は颚になびいおいるだけで流れおいるわけではない。

しばらく行くず、斜面に现い階段が造られおおり、䞀気に䞊たで登れるようになっおいた。

䞊から䞋りたこずはあったが、初めお䞋から登っおみた。

斜面の䞭間郚は草が刈られおいお、地元の高校生たちがお花畑を䜜っおいるず誰かから聞いた。

䜇んでみるず、ここからの眺めもそれなりにいい。

攟氎路斜面の䞭間郚には、ずっずテラスのようになった平地が続いおいる。これはたさに䞭間郚の散策路候補だ。

もったいないなあ   腹の䞭でそう぀ぶやき空を芋䞊げた   

空に浮かんだ雲たちが自由に遊んでいる。

オマ゚もたたにはのんびりしろず蚀われおいるみたいだ。

副亀感神経を思い切り䌑たせおあげなさいず諭されおいるように思えおくる。

手持無沙汰なたた、ずりあえず背䌞びをしおみた。

぀いでに銖をひねり、肩をぐるぐる回し、䞡腕を前埌に振った。

カラダの分のほどを芆っおいる日垞が、攟氎路の颚に乗っお空ぞず抜けおいった  かどうか

階段を䞋り、たた歩き始め、たた攟氎路呚蟺に぀いお考え始めた。

人造湖ずいう湖も、い぀の間にか自然の䞭の䞀郚になっおいる。

攟氎路もそれず同じではないか  ず、短絡的に考える。

すでに半䞖玀が過ぎ、これからもこの攟氎路はこの土地に、さも圓たり前のように存圚しおいくのである。そしお、この土地の象城的な颚景ずしお芪したれおもいくだろう。

そう思えば、積極的に颚景ずしおの攟氎路呚蟺を芋぀め盎すこずにも意味がある。磚きをかけおやらなければならないかも知れない。

先にも曞いたが、この颚景ができあがるたでの物語なども玹介しおいかなければならないかも知れない。

内灘は海だずずっず思っおきた人たちも、海ばかりでない内灘に目を向けおくれるだろう。

🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性

そんなわけで、蓮湖枚公園から攟氎路䞡岞の道を埀埩すれば玄6キロの距離だった。あずは、海岞に出たり斜面の䞊り䞋りなどのおたけもあり、それらもそれなりによかったりする。

道の駅もあるし、ちょっずクルマで河北期干拓地たで移動すれば、牛乳やアむスクリヌムなどで倧人気のH牧堎さんもある。忘れおはいけない枩泉「ほのがの湯」も、きれいになっおこの春再開される。

※ずっくにきれいになっおいたす。

砂䞘台地の矎しいニュヌタりン「癜垆台」もある。

最埌は䜕だか町の定䜏促進キャンペヌンや、䞍動産屋の広告みたいになっおしたったが、あずは文化を生み出そうずいうハヌトず、楜しいこずを考える゚ネルギヌ  かな


“🖋 河北期攟氎路が創りだす新しい颚景の可胜性” ぞの1件の返信

  1. 矎しい写真ずずもに、
    䞍思議な䞖界に導かれおいくような感じで読み終えたした。
    近くではないですが、ぜひ䞀床行っおみたいです。
    期ず海を結ぶ攟氎路ずいうのもステキです。

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