白山麓~ 尾口の想い出話
白山麓の最奥部・旧白峰村の一つ手前にあったのが、旧尾口村である。
季節がはっきり夏から秋へと切り替わった頃、久しぶりに出かけてきた。
尾口は、白山麓の1町5村の中でいちばん思い入れが強かった地域だったかもしれない。
仕事でお付き合いさせていただいた人たちへの思いも、それなりに深かったような気がする。
白山麓の1町5村では最も小さな自治体であり、そのことがどこかに親しみみたいなものを感じさせていたのだろう。
頻繁に出向いていた頃の村の人口は、800人ほどだったのではないだろうか。
しかし、接点を持った人たちは皆、高い地域感覚とやさしさを持ち合わせていた。
そんなひとりが、Mさんだ。
今は道の駅になっている、瀬女(せな)の施設の仕事がお付き合いの始まりだった。
地元の伝統工芸であった桧細工で、大きなオブジェを天井から吊るしたいという提案をした。
それを喜んでくれたのが、当時村の収入役であったMさんで、すぐに協力していただけることになった。
Mさんが連れて行ってくれたのは、地元の名人だった深瀬地区のKさんという方のお宅で、お会いした早々そこで意外な事実が判明した。
実はKさんはその何年か前まで同じ会社で働いていた女性社員のお母さんだったのだ。
そんなこともあってか、Kさんはいろいろと無理を聞いてくれたが、最後まで制作費用を受け取ってはくれなかった。
それまで作ったことがないというとんでもない大きな作品だったにも関わらず、しかも打合せにお邪魔するたびに、養殖されていたイワナの稚魚の甘露煮(だったと思う)をどんぶりに一杯いただいていたにも関わらず…だ。
それにしても、あれはとても美味だった。
一緒に行った若いデザイナーたちがどんどん手を伸ばしていくのですぐになくなるのだが、打合せをしながら指をなめていたあの時のあの味は忘れられない。
Kさんの家は白峰に通じる国道沿い、手取川を見下ろす谷間の傾斜地にあった。
かつての深瀬の村は、道を下った川の底に眠っている。
昭和53年(1979)に完成した手取川ダムによって水没していた。
当時、村には50戸あまり、200~300人ほどが暮らしていたというが、多くの人たちが旧鶴来町へと下りている。
残ったのは5戸だけらしく、Kさんの家もこの土地を離れなかった。
イワナの養殖と関係があったのかは分からないが、同じように水没した白峰の桑島地区では、地区ごと高台に移り住んだような印象があり、深瀬はその点やはりどこか寂しい感じが拭い去れなかった。
制作途中を広い居間で何度か見せていただいた。
夏だったと思うが、涼しい風が吹き抜けていたような記憶がある。
そして、素晴らしい作品が出来上がっていったのだ。
それはどこかに力強さや逞しさみたいなものを匂わせ、普段はやさしい表情のKさんが作り出しているということを忘れさせた。
Kさんの畳の上に広げた作品を見る表情が印象的だった。
桧細工のオブジェが吊るされたその施設では、地元の産物が並べられ売られた。
二階は狭い空間だったが、地元出身の画家の作品を展示した。
そして、仕事はとにかく楽しかった。
現地にいる間には近くにカモシカが現れたり、サルの集団が木立を揺すったりして野性味にあふれた毎日が続いた。
工事で掘り出された岩を、知り合いだった業者の親方に頼んで家まで運んでもらったりもした。
尾口村との付き合いは長く続けさせてもらった。
白山麓全体を一つの観光エリアとして建国された「白山連峰合衆国」のサイン計画にも関わっていたおかげで、とにかく頻繁に山域に入ることが多かったのだ。
自然はもちろん、季節ごとに空気感が変わっていく小さな集落の情景を見るのも好きだった。
すでに金沢市内に日常の住まいを移しておられたMさんが、実家があるという尾添という地区の話をしてくれたことがあった。
そして、それからしばらくしたある日、その尾添にいた。
真夏の強い日差しが地区の中の坂道を照らしていた。
Mさんの言葉どおり、本当に静かだった。
誰一人ともすれ違ったりはしなかった。
今回も尾添でクルマを止め、ぶらぶらと地区の中を歩いてきた。
秋らしい(?)花が咲き、栗が道端に落ちていた。
実がしっかり入っているものもあり、そのまま拾っていってもいいのだろうかと思ったりしたが、さすがにそこまではしなかった。
とちの実が干されてあったり、野菜を洗うための水道(地下水だろう)が出しっ放しになっていたりと、生活の匂いがある。
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下った先にある神社には、終わったばかりの祭りの残り香も漂っていた。
せせらぎの音が聞こえている。
この辺りも、人形浄瑠璃「でくのまい」の芝居小屋がある東二口、さらに女原(おなはら)なども、山村らしい独特の空気感をもつ。
相当前だが、生暖かい強風が吹き荒れるこのあたりの道で、黒い大きなヘビを見たことを思い出した。
木々の枝が揺れ、葉っぱが舞い、草が波打っていた。
その中を緩く動いていくヘビの表面が、異様に渇いているように見えたことも思い出した。
夜には台風が通過するという日の午後だった。
自分には、山里などという言葉に対して異常なほどに反応するセンサーが備わっていると、ずっと思っている。
最近さらにその感度が高くなったような気もしている。
旧尾口村の中の小さな情景は、まさにそんな自分にとってのモチーフみたいな存在となっているのかもしれない。