一枚の写真が思い出させてくれたとき


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10年以上前に撮った一枚の写真。

5月はじめの妙高・笹ヶ峰だ。

ゆるく傾斜した雪原で、美しいYの字形の倒木を見つけ、スキーを外し、リュックを下ろした。

半分凍らせておいた缶ビールを雪の中に埋め、カップ麺とコーヒーのための湯を沸かす準備をする。

にぎり飯二個とソーセージ一本を取り出し、頬張り始める。

もちろん、缶ビール一本も同時に栓が開けられている。

その頃から毎年のように春は笹ヶ峰に行っていたように思う。

そして、毎年のように同じメニューだったようにも思う。

それ以前は立山や白馬、乗鞍方面で、それなりのテレマークスキーを楽しんでいたが、笹ヶ峰に行くようになって、同じテレマークでも、滑るより走り回るといったイメージが強くなった。

倒木はちょっと細い感じがした。

が、それでも二股のあたりに座るといい感じだった。

静寂の中、鍋がシューシューと音を立て始め、ガスを止める。

蓋をとって、お玉で湯をすくい用意しておいたカップ麺に注ぐ。

飯が終わる頃になると、もう一度着火し湯を温めなおす。

この頃使っていたカメラは、EOS。もちろんデジタルではない。

コーヒーの粉は、いつも部屋のテーブルに転がっていたフィルムケースに入れて持って行った。

まだインスタントだった。

コーヒーを用意すると、もうあとは片づける。

そして、カップに湯を注ぐ。

“豊かな時間”が訪れていることに、自分自身がと言うか、カラダが気が付いている。

残雪の上にドスンと座りなおし、倒木に背中を預けると、ちょうどいい具合にリュックが枕になっていたりするから不思議だ。

そして、こんなシチュエーションが待っているとは予想していなかったが、とにかく山の中で読もうと思って持ってきた一冊を手に取っていた。

星野道夫の『アラスカ 風のような物語』だ。

星野道夫の本を片っ端から読み漁っていた時期だった。

写真家ではあったが、エッセイストとしての彼の文章がより好きだった。

ニンゲンとしての、いや、ヒトとしての魅力がこれほどまでに伝わってくる文章に出会ったことはない…とさえ思っていた。

彼のさまざまなエピソードはもちろん、周囲の友人たち、家族、さらにアラスカで遭遇した風景や生き物たち、そのすべてに対する思いが、ボクにとっては写真よりも文章から伝わってくる気がしていた。

この本はすでに多くを読み終えており、意図したことであったが、フィニッシュを笹ヶ峰の残雪の上で迎えた。

それから昇りつめた太陽のぬくもりを受けて、少し眠った……

この写真はスキャンして残しておいたものだ。

ずっとパソコンのかなり奥の方で保存されていた。

忘れ去られていたと言った方が当たっているかもしれない。

だから尚更、その時の短い時間の経過が鮮明に甦ってきたのだろうか。

今も時々使うアナログとデジタルが一緒になった腕時計は、12時52分53秒を表示。

気温は29度を示しているが、これはやや高めを示すクセになっていた………


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