🖋 バナナとおじさんの話


 信号待ちで停車中、何気なくとなりの車を見ると、助手席の中年男性がまっすぐ前を見てバナナを食べている。

 なぜか真剣に食べているように見え、そういう風に食べなくてはならない理由を瞬時に考えたが、助手席の人だから特に思い当たることはなかった。

 その後すぐに、子供の頃に見たある光景を思い出した。目の前で近所のあるおじさんが、バナナ一本をバクバクと三秒ほどで食べ尽くした光景だ。こういうのを光景というかどうかは置いといて、ボクはそれを少し怯えながら見ていたような記憶がある。

 息もせずというのではなく、鼻で荒くはっきりと息をしながら、さらにうう~と唸り声を上げて食べていたような気がする。

 その人は、ボクの中では昔よくいた面白おじさんの代表格の一人である。よく家に遊びに来ていた。別段用事があるような様子もなく、ふらりとやって来るという感じだった。冬の記憶だが、どっぷり掘り炬燵に入り込み、キセルを吸い、どうでもいいような話をしてよく笑った。かつていた面白おじさんというのは、とにかく笑うのであった。

 ただ、それもまたなぜか面白かった。キセルは、うちでは祖父が吸っていたような記憶がある。あの独特な匂いも覚えている。真似して口に咥えてみたこともあった。金属の歯触りが異様に感じられ、年寄りの匂い?がしたような……

 その人の特技?は、とにかく何でもよく食べることだったのかもしれない。兄たちに言わせると、他のお客さんに出しておいたお菓子も、後から来たくせにいつの間にか一人で食べてしまうという人だったらしい。そんな光景?を、一度くらいは自分でも目にしていたかもしれない。

 そのおじさんは、物知りで話がうまかったようにも思う。多分、若い頃にいろいろと世の中を渡り歩いてきたのだろう。真実は分からないが、ボクのそれまでの人生(わずか十年ほどだが)の中で、話題の豊富さはいちばんだったかもしれない。そう感じるようになったのは、もう小学校高学年になった頃だろうけど。

 そんな頃には、バナナを食べることに特別な感覚なんぞもなくなっていたはずだ。もともとバナナを食べるという機会がそう豊富にあったわけでもない。

 小学校に入る前までのボクの家庭では、バナナは身近ではなかった。みかんやりんごや柿までが普通で、スイカは畑で作っていたから不自由しなかった。さらに、砂丘に植えられていたグミや雑木林の中の桑の実なども、それなりの満足度で存在していた。 かつて、バナナが文化度のバロメーターのように語られていた時代があったように思うが、小学校の遠足にバナナを持っていった記憶があるので、その頃は一応平均的になっていたのだろう 。

 ところで、根っからの海のオトコで、漁業を生業とし、山陰から北海道にかけての海で稼ぎまくっていた明治生まれの祖父は、バナナのことを「バナ」と呼んでいた。

 「ナ」を一文字省略して呼んでいたことになる。理由はよく分からないが、祖父らにとっては全く手の届かなかったバナナに対する畏敬の念か、その逆の蔑視か、あるいは照れ隠しのようなものだったのかもしれない。やはり文化度のバロメーターとしてのバナナのチカラだったのだろうか。祖父が皺だらけの手でバナナを食べているシーンの記憶はかすかにあるが、決して美味そうな顔をしていなかった。

 ところで、バナナはいつしかパフェの一員になったりして、おしゃれに食べるものになり、ヨーグルトなどといっしょにという健康的な食べ方なども日常になっている。皮をむき、そのままパクリということが少なくなり、その皮で滑って転んだという話も聞かなくなった。だからと言って、特別さびしいわけでもない。

 なぜか、バナナの話はまだまだ続きそうな予感がしてきたが、このあたりで終わりにしておこう。一応、いろいろなことを思い起こしている………


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