門前黒島で頑張る時が来た


 

再び能登・旧門前町(現輪島市)の仕事に足を踏み入れ、とりあえず真っすぐに取り組んでいかねばならない状況下にあることを、数日前から悟りつつある。なにしろ、能登地震の震災復興最後の事業なのだ。

仕事の内容は、石川県の文化財に指定されている「角海家」という、かつて北前船で財をなした旧家における展示の計画と実施だ。数年前に同じ門前で総持寺に関する展示施設「禅の里交流館」というのをやらせてもらったが、門前の二大文化遺産を担当できるというのは実に幸せなことだ。ただ、今回の仕事は果てしなく厳しい。なにしろ六月のはじめにスタートしてから、八月中旬のオープンまで時間がないのだ。

角海家があるのは、黒島という地区。かつては天領であり、北前船の船主も多く、能登では最も廻船業の盛んな土地だった。今では昔の威勢はないが、それでも古い家々などを見ていくと、その面影に納得したりする。人々の気質も高く感じられるし、ボクたちのような中途半端な地域性しか持ち合わせていない者からすれば、その文化性はカンペキに高いと納得する。

ところで総持寺の住職さんは、代々輪番制で門前にやって来たわけだが、昔はもちろん船が交通手段だったわけで、能登の上陸地点は黒島だった。沖で小舟に移り、浜に上がると、そのまま黒島村の森岡さんという廻船業者(総持寺の御用商)の屋敷に入り、旅の疲れを落としたという。そこから総持寺の裏手にある小さな寺まで、お伴の者を引き連れての大行列。多いときには五百人くらいの行列となったそうだから壮観、凄い。このように黒島は門前の発展の礎となった総持寺の存在とも深く関わっていて、そういう意味でも貴重な地域性を持ってきたわけだ。

ちなみに総持寺は曹洞宗発展の基点となったとてつもない寺だが、明治に入って大火災で多くを焼失してから、横浜市鶴見に本山を移転した。移転された方は大打撃になり、祖院として存在を継続させたが、それほどまでに総持寺の存在は門前にとって大きかった。

しかし、先に書いた禅の里交流館の仕事をしている時にも思ったが、能登半島の先端に近い場所に、なぜあれだけ大勢力を張った寺院の本山が存在できたか?・・・なのだ。その答えが黒島にある。つまり、海運業だ。

昔は、少なくとも江戸時代までは、陸運といっても馬や荷車程度だから軽量な荷物の運搬しかできない。しかし、海運は船によって大量の荷物を動かすことが出来た。しかし、明治に入り日本にも産業革命の恩恵が押し寄せてくると、鉄道が敷かれ運送業のスタイルは一気に変わっていく。そういう時代の変化で海運業が廃れていくのに合わせ、総持寺の本山移転が実行されたのには、それなりの大きな理由があったわけだ。能登は東京から遠すぎた。

角海家の展示をとおして、ボクはこのような黒島の存在を伝えねばならぬゾ…と、秘かに思ってきた。なぜ、能登の先端にこのような豊かな文化が息づいたのか? これを伝えないで、黒島も角海家もない。そして、さらに黒島の人たちの誇りをいい方向へ向けてほしいとも思う。

先日行われた打ち合わせ会(委員会)で、資料調査を担当された神奈川大学のチームや、家屋復元の設計監理を担当された建築家のM先生、地元寺院の住職さんで、さすがだなあと唸らされた歴史家のK先生、さらに黒島区長さんであるKさんなどから、大変ためになる話をお聞きした。それらに返す言葉として、ボクも演出担当としていっぱしの話をさせてもらったが、やはり、根幹に置きたいのは“なぜ黒島が?”というテーマだった。そのことを平易にわかりやすく伝えられればと…

それにしても、黒島のまちは美しい。昔はなかった国道が海岸線にあり、あれがなかったらもっと素晴らしい景色が見れたのだがなあ…と、どこかの野暮な景観先生みたいなことは言わないが、何もないようで何かを感じさせる…、そんな“よいまち”のエキスが漂っている。高台にある神社や寺も、ちょっと歩くというだけの楽しみを誘発する。潮風に強いという板張りの家々も徹底していていい。

角海家は素朴さがいい。規模はそれなりに大きいが、決して豪邸ではない。とてつもない造りへのこだわりというより、普通に海が見えるとか、庭が見えるといった質素な目的が感じられて、安心したりする。廻船業が衰退した後、魚そのものや加工品などでの商いが続き、周辺の地区などで魚を売り歩いていたという、黒島の人たちのシンプルな生き方も角海家を通じて伝わってくる。地元のK先生が言われていた“黒島のカアカ(母ちゃん)”たちの働きぶりもまた浮かんできて、ボクなどはひたすら嬉しくなるのだ。

そんなわけで、この一件は今後ますます佳境に入って行き、いつものようにバタバタ・ズタズタ系の真剣勝負に突入していくだろう。かつて、地震の一週間後に門前入りした時、角海家は大きく崩れ、周辺の鳥居は折れて無残な姿だった。あれから地元の人たちは復興に向けて頑張った。その頑張り自体に意味があった。そのことを忘れず、そして、真夏の太陽がガンガンと照った空の下、黒島の砂浜で美味いビールが飲める日を、秘かにアタマの片隅に描いて、ボクたちも頑張るのだ…


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