深夜のラジオから懐かしい声が


 

 冬の寒い夜には、寝床に入るとラジオを聴いた。

 三十分ほどのおやすみタイマーにしておくと、ほどよい頃に眠気が満ちてきて、すんなり寝入っているということが多かった。

ある土曜の夜だった。

いつものように深夜のNHK-FMを流しながら寝床に入った。

いつも音量を抑え気味にしているから、床に入ってすぐには番組の内容が聴き取れない。

枕のアタマの位置が定まるまでにまた少しの時間を要し、ようやくラジオの音に耳を慣らそうとした時、懐かしい声が耳の奥にまで届いてきた。

児山紀芳氏のジャズ番組での語りだった。

児山氏は、今は休刊中?のジャズ専門誌「スイングジャーナル」の元編集長である。

ボクの中での42年間のジャズ歴で、児山氏の存在は非常に重要だ。

初めてジャズの魅力、いや凄さというものに触れたのが、14か15の時に聴いた「ジャズフラッシュ」という番組で、その時のDJが児山氏だったのである。

周囲の友達の多くがグループサウンズとかの音楽を聴いていた時代。ませガキだったボクはジャズに目覚め始めていた。

そして、毎週木曜の夜八時から放送されていたその番組を聴くのが楽しみだった。録音もし、何度も聴き返したりもした。

そんな中、ボクが聴いた何回目かの放送は、“幸運”にもリクエスト特集だった。

リクエスト特集というと、だいたい名盤というのが流される。入門者にとっては、この上ないチャンスなのである。

その夜、兄の部屋に置かれたコロムビアだったか、ビクターだったかの大型ステレオの前に陣取ったボクは、初めて耳にする児山氏のトークを必死にメモった。

そして、その時はほとんど名前も知らなかったミュージシャンの名演を聴いた。

強く印象に残ったのが、今はジャズファン以外の人たちにも広く愛されているらしい、ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」だった。

そして、さらに強く印象に残った、いや激しく印象に残った名演があった。

ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」だった。

「セルフレスネス」というライブ盤に収められた、この17分余りに及ぶ緊張感に満ちた演奏で、ボクの音楽観はカンペキに変わった。

後に、ジャズを深く掘り下げていった原点が、この時にあったといっても過言ではない。

エバンスの演奏ももちろん、ジャズミュージシャンたちの音楽に対する姿勢にボクはかなりの感銘を受けた。

それからジャズの歴史本を買って読み、そして、児山氏が編集長のスイング・ジャーナルを毎月購読し始めた。

児山氏の声は、当時のボクにとって、かなりホンワカとした老人の声に近い響きがあった。

しかし、誌上で見た写真などから、自分が思っている以上に児山氏が若いことを知ると、なぜだかとても嬉しくなったのを覚えている。

そして、このラジオ番組に接してから、ボクは年齢のわりに稀なジャズ通になっていく。

ジャズ喫茶に行くようになったのが16歳の冬で、坊主頭の高校生(ボクは野球少年でもありました)が月に二三度、暗い店の中でペプシコーラをストローで吸い上げながら、目を閉じて大音量のジャズを聴いていた。

念のために、ボクは決して俗に言う不良ではなかった。だが、その頃には必要のないことなどを知っていたりして、理屈こきだったかも知れず、中学の後半あたりからは、学業の方も鋭角的に右下がり状態になったのは言うまでもない。

よく言えば、はっきりとした自分なりの価値観を持ち、悪く言えば、そのことにしか目を向けない少年でいた。

 

暖かくなってきて、なぜか深夜のラジオは聴かなくなっている。

児山氏の声もしばらく耳にしていない。

しかし、この冬に耳にした児山氏の昔と変わらない大らかで温かな声は、ボクの中にとてもやさしいものを残していった。

今、激しいコルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」をイヤホーンで聴きながら、この原稿を書いているが、音の向こうに児山氏の声も聴こえている。

「みなさん、ご機嫌いかがですか? ジャズフラッシュの時間です。今週の担当は、ワタクシ、児山紀芳……」

 


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