誕生日~暖かい午後の焚き火


58回目の誕生日となった日は、朝から美しく晴れ渡り、空気もほんわかと暖かくて、当事者としてはまるで人徳がそのまま表現されたのかと、錯覚を起こしてしまいそうな一日であった。

午前中は会社で会議があり、苦虫をつぶしたような顔でとおしたが、帰り際には草津で働き始めた次女から誕生日定番型のメールが届いていたりもして、一気に気持ちも緩んだ。

今日は何をするのかと聞いてきたが、そのときは天気もいいので歩きにでも行くかなと答えておいた。

誕生日だからと言っても、特に変わったことがあるわけではない。

午後になり、歩きに行くよりも、昨年から裏の無目的空き地に放置されてある、解体したオープンデッキの廃材を処分しなければなるまいと思いたつ。

処分すると言うのは、燃やすことである。

そして、同じく昨年枯らしてしまった木も、いっしょに燃やそうと考えた。

その木は、内灘のこの地に家を建てる時、母が隣地との境界線に沿って植えてくれたものだった。

母はその木を「モクデ」と読んでいたが、詳しいことは知らない。

隣りの畑が駐車場になる際に、どうしても移植しなければならなくなり、かなりきつかったが半日がかりでやった。

しかし、その時のやり方か、後の処置がよくなかったのだろう。両方もありうる。

移植一年目は葉も茂り、白い花も咲かせたが、翌年つまり昨年には全く葉も出なくなり、あっという間に生気を失っていった。

専門家に頼んでおけば問題なかったのだろうが、母もどこかから枝を切ってきて挿し木しただけのものだったから、安易に考えてしまったのだ。

四月の初めに、ただ無残に立ち尽くしているだけのその木を根元から切り落とした。

ひょっとして、また新たな芽が吹き出し、そこから元のように葉を茂らせてくれたらと秘かな期待もしている。

細かく折っておいたその木にまず火をつけた。

心の中で、母にすみませんと謝り、それから、それらがすべて灰になるのを見極めて、デッキの廃材を組み合わせていった。

20度を超える乾燥した空気の中で、焚火はすぐに大きくなり、デッキの廃材も半分以上は燃やし尽くした。

まだ半分は残っているが、なかなか一度に燃やせる量ではない。

この家に住むようになってから、よく焚火をした。

今はうしろの斜面も美しく整備されているが、かつてはニセアカシヤの雑木林であり、その枝が大きく被さってきていて、弱いニセアカシアの枝は強風のあとなど折れて落ちてきた。

それらを拾い集め、家の紙系のゴミなどと一緒に燃やした。

もともとが焚火大好きニンゲンでもあったので、月一回ぐらいの楽しみにもなった。

じっくり火と向き合っていると、アタマの中からすべてがなくなったり、逆にアイデアがいろいろと浮かんだりと楽しい体験ができる。

焚火をする時には、必ずポケットに文庫本を一冊差し込んでおくことも忘れない。

今回は、今ずっと読み続けて四冊目に入っている、民俗学の宮本常一のものを読みながら火の番をした。

焚火の前で、昔の山村の暮らしを読み、思い浮かべるのはなかなかいいものだ。

三時間ほどして、一応一区切り。

いつも思うのだが、あれだけの木片が、燃えてしまうとこれほどまでに少なくなってしまうのかと不思議さを感じる。

うちの無目的空き地にも隣地にも、だいこんの花が咲きまくっていた。

じっくり見てみると、白やうす紫の花びらが素朴に美しい。

中には立派な大根が地上から顔を出しているものもある。

放っておいても何かが生まれてくる“自然さ”を感じる。

そして、春はもうひとつ、嬉しいものを届けてくれた。

家の横でひっそりと存在する、膝くらいの丈しかない木々に花が咲き始めていたのだ。

これも母が植えてくれていたものだった。

家が建ってから、家の横の砂場にどっしりと座り込んで作業をしていた母の姿が懐かしい。

ボクもそれから、せめて花くらいは家の周りに植えようと思うようになり、そうしている。

この木は大事に育てていかなければならない。

ところで、この前気が付いたのだが、この文章で「無目的空き地」と書いている裏の場所なのだが、ついこの前まで「多目的空き地」だったはずで、いつの間にか変わってしまっている。

自分がそうしているだけなのだから、今更何を?なのだが、つまり、何となく近頃は無目的と多目的との境目が難しくなっている…、そんな気がするのだ。

まあ、それはそれとして、誕生日に焚火をする。それだけでもなかなかいいものなのであった……

 

 

 

 

 


「誕生日~暖かい午後の焚き火」への5件のフィードバック

  1. いくつになっても、
    楽しそうで、いいじゃないですか。
    それにしても、今日もポカポカで汗ばむくらい。
    本格的に春ですね……

  2. 木が枯れてしまったのは残念でしたね。
    しかもお母さんが植えてくれたという木なら、
    なおさらですね。
    でも、たき火は楽しそうです。
    私は実際一度も経験したことがなく、
    こういう光景はうらやましいかぎり。
    だいこんの花も、とても綺麗です…

  3. 僕にはまだ家を持つなど先のことですが、
    木を植えるというのはいいなあと思いました。
    焚き火ができる環境もいですね・・・

  4. 宮坂の生まれです。なんとなくこちらに来ました。
    読みながら貧乏だったあの頃と、苦労だったのか皆がそうだったのか不思議な気持ちで読んで今す。私は「よいとまけの歌」が好きです。歌いながら母ちゃんたちが苦労していたあの頃を思い出します。母ちゃんたちがみんな「きっつい者やった」あの頃です。
    井戸で水を汲んで「バギ」で風呂を沸かしていました。おばばは朝早くおきて松のこっさでご飯を炊いていました。秋になると権現森に芝刈りに行っていました。誰に話をしても信じてもらえない話です。母ちゃんが寝ているところは見たことがありませんでした。今は皆幸せで怖いくらいです。その鍬には家のしるしはありませんか?私の家のものには「ヤマ、マル、イチ」の焼印が押してありました。もちろん下駄にも。ヒサシさんは「しゃーし」と呼ばれていませんでしたか?

  5. かなり前にコメントいただいていたようですが、気付かずにおりました。申し訳ないです。リアルなお話ばかりですね。当方にも覚えがありますよ。当たり前のように時(世)代が変わっていく中で、ただ記しておきたいということがいっぱいあります。うちの焼印は「ヤマに久」です。久七=“きゅうひさ”が屋号でした。そう言えば、小さい頃は「しゃーし」と呼ばれていたような気もしますね……

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