伝えることの大切さ・・・について
先日、県庁で開かれた「ブランディング」に関するセミナーに参加して、ふと思ったことがある。
講師の女性の感性と自分の感性とに妙な共通点があるような気がして、その裏にある共通の何かを探ろうと話に聞き入った。
ちなみに、連れは和菓子屋ご主人兼ジャズトランペッターのカーさん。プランナー兼野外活動家のアーさんなどで、眠気との戦いを念頭において一緒に参加しようと提案したのだった…
さらについでの話をすると、ボクのために空けておいてくれた席には、なぜかセミナーとは全く無関係の「モンタレー・ジャズ・フェスティバル in NOTO」のチラシが置かれていた。
粋な計らいは、カーさんの仕業だったのは間違いない。
で、共通点のことなのだが、しばらく聞いているうちに、“ストーリーをどう伝えるか?ということが大切だ”という話に至って、案外簡単に、あッそうか!と理解できた。
女史は、自分はもの書きだと言った。事実、某大手企業の社員でありながら著書が多い。
ボクもまた、某中小企業のプランナー兼役員でありながら、もの書きをしている。
正式に名前の明記された本は一冊しか出していないが、公私混同型で、あちこちさまざまなメディアに書きまくってきた。
伝えることの重要性というのは、その対象となるモノやコトに秘められたストーリーを知ってもらうことであり、そうすることによって、そのモノやコトにより深い趣を添えられるということだ。
つまり、その先生も同じようなことを言っていたのだ。
この場合、ボクの方が先生より後発ではないと自信を持って言えるのだが、世の中はそういう風には見てくれないので余計なことは言わない(そのことが余計かな?)。それに“レディ・ファースト”という言葉もある。
「松井秀喜から学んだ野球文化…」の中でも書いたが、ボクはストーリーをかなり重要視するタイプだ。
無理やり人目を引こうなどとは考えずに、そのことそのものをしっかりと伝えることだけを考える。
すると、不思議にその核心は確実に得られる。
例え話をすると、知り合いの山岳写真家の写真展を企画する時、その写真家の詳しいプロフィールと山への入り方、写真を撮る時のスタンスや、実際にこの写真はこういう状況で撮ったということを伝える(文章で)と、観ている人たちはとても感動してくれる。
アマチュア写真家や山好きの人たちは、ちょっとした自分との共通点、そして非共通点に納得し、そのことを喜んでくれる。
金沢21世紀美術館の展覧会のレセプションなんかに参加してもよく分かることがある。
それは作家の意図らしきものを学芸員から聞くだけで、作品への愛着が思った以上に膨らむということだ。
やはり、理解できたという思いはかなり強く作用するのだ。
A元館長から、いくら“感じてください”と言われても、その感じ方そのものに自信が持てない時もある。
ところで、今の世の中、モノ・コトはかなり経済で価値判断されるようになっている。しかし、その度合いの良し悪しもまたむずかしい。
経済の観念が大きくなり過ぎて、嫌気がさし、去って行ったという人も知っている。
ここでいう経済とは、社会的な知名度も含むような気がする。
その時に感じるのが、それを求める露骨な話には、ちょっと大きかったり、嘘っぽかったりする要素が多いということだ。
広告屋的には、モノ・コトすべて肯定的な視点が必要なのだが、それだけではなくなってきた感もある。
特に3.11からは、問題提起しないと世の中から置いてきぼりにされてしまうと思い込んだ人たちが多くなったようだ。
事象が似ていても、根本的に違うこともある。
昨年の9.11の時、3.11と同じ次元で語っているニンゲンを何人か見たが、あれは大いなる間違いだと思う。
そういう間違いが問題提起型ニンゲンには多いようなのだ。
社会的な問題提起に多くの力を注ぐ必要はそれほどないと思う。
自分自身のスタンスをしっかりと持っていれば、まったく不自然さはない。
少なくとも、ボク自身もまた何人かの被災者を大切な友人としてもち、その彼らに対する思いだけでも自分自身を高揚できるし、純化できている。
しっかりと彼らのことを考えていれば、自分のやらなければならないことも素直に見えてくる。
話がちょっと固くなったが、このことは地域づくりからお店づくりなど、また商品開発などにも応用されるし、博物館や資料館をつくる上でも絶対的に必要なものになる。
ないものを作り上げる努力も大事だが、あるものやあったものを探し出す(光をあてる)努力もまた価値は高いとボクは思っている。
ずっと生きてきて、仕事をし、それなりに考え、音楽を聴いたり、旅をしたり、本を読んだり、その他モロモロ興味を抱くものを、人よりはちょっと多く持ってきた。
まだまだ結論を出せるような域には至っていないが、モノ・コトに潜んでいる臭いにはかなり敏感になっている。
講師の話が終わることになって、そんなことがはっきりと分かってきた気がしていた…