山には、悲劇も喜劇もある
今年の春も北アルプスで何人かの登山者が死んだ。厳冬期の遭難事故は少なくなったように感じられるが、春山での事故は一向に減っていないのではないだろうかと思ったりもする。
それになんと言っても、最近は高齢登山者の事故だ。
冬に比べれば、当然春の方が安定しているのは間違いない。しかし、その分、春の山には大きな落とし穴が待っているということだ。体感的には、真夏と真冬が同時に来ると言ってもいい。そんな中での冷静な判断や体力などは、生死を分ける分岐点上にある。
この本は、25年ほど前に山と渓谷社から出版されたものだ。
その頃のボクは、この本の中に出てくる富山県警山岳パトロールの人たちや、薬師岳方面遭難対策協議会の人たちとよく山で出会い、一緒に歩く機会もたびたびあった。だから、登場人物の名前はだいたい分かる。
実際に本の中に記されている救助活動の話もナマで聞いた。山小屋で停滞する時などは、よくそういう話になり、信じられないような遭難救助の実態を知らされた。
吹雪の中、腕を中空に突き上げ硬直したままの遺体や、もう衣服だけが辛うじて残った遺体、発狂したように叫びだす大学山岳部の青年、雪に埋もれたパートナーの横で財布の中のお金を数えていたという女性登山者、稜線から転落死した父の下山を待つ幼い兄弟…
今思い出すことのできる話だけでも、無数にある。
しかし、そんな中で、ホッとさせられた話がひとつあった。
生きとるぞーッ! 救助に向かった現場で遭難者がまだ生きていると分かった時の、何としてでも助けようという思いが遭難救助の原点にあるという話だった。
大雨による黒部源流の濁流の中で繰り広げられた救助活動の話は、よく知っている人たちの体験であったせいもあり、固唾をのんで聞き入った。救助隊員自身も死と相対しながらの決死の活動だったという。
とにかく山での話は、想像をはるかに超えた過酷さに驚かされる。
大好きな太郎平小屋のオヤジ・五十嶋博文さんも、高校を出て小屋の手伝いをするようになり、二十代半ばで山でやっていこうと決めた…と、いつか話してくれた。
日本の山岳史上最大の事故となった、昭和38年(1963)正月の愛知大学パーティの遭難が、そのきっかけだった。猛吹雪の薬師岳稜線で進むべき方向を誤り、パーティ全員が遭難した。死者13名。最後の遺体を発見したのがその年の10月。
オヤジさんはまだ新婚だったが、最後の遺体発見まで山を歩き回った。
当時は遭難者の遺体は山で荼毘にされていた。しかし、荼毘そのものよりも、人がこの美しい山で死ぬという事実の方が衝撃だったとオヤジさんは言った。そして、それ以降、50年に及ぶ山小屋のオヤジとしての日々の中で、一体何人の遭難者、ケガ人を背負ってきたことだろう。
山には、喜劇と悲劇が同居するとボクは思っている。楽しいことはとことん楽しい。酒を飲んで陽気に語り合うこともあれば、しみじみと顔を寄せ合い語ることもある。
ひたすら美しく、雄々しく、そして永遠を感じさせる風景の中にいるだけで、どれだけ大らかにいられることか…。
しかし、悲しい出来事もまた待っている。それが山だ。
特に何かを告げたいわけではなく、ただ、新聞やニュースで報道される遭難事故に、かつての想い出話がだぶったという、それだけの話なのだ……
この本、存在は知っていますが、
まだ読んでませんでした。
今度、図書館で借りて読んでみようと思います。