大糸線の思い出


夕刻の金沢駅でこのポスターを見つけた。

「JAZZ at紺屋坂」へ行ってきた帰りだった。

大糸線の全線開通55周年。

学生時代、なぜか正月前の帰省の際にだけ大糸線を利用していた。

ほとんど一日がかり、早朝中央線で新宿を発ち、松本へ向かい、松本から糸魚川へ経て金沢に着くのは夜だった。

この旅での楽しみのひとつは、三時間半ほどの松本滞在だった。

昼飯を食べ、街をたむろして、「山小屋」という喫茶店でコーヒーを飲んでから駅に戻る。

午後の急行「白馬」に乗る。

急行とは言え、鈍行みたいなのんびりさで行く。

正月に近い時はスキーヤーでいっぱいになり、後悔するが、そうでない時は一車両に二人だけといった時もあった。

同じ車両に乗り合わせた老人から、ウイスキーの角をストレートで勧められ、ガブ飲みしてひどい目に遭ったこともある。

NHKの撮影チームと一緒になり、やたらと長い無人駅での停車時間中のロケを見ていたこともあった。

ホームに降りて、初冬の風景を見るのもよかった。

当時は地名もあまり知らず、漠然と風景の素晴らしさに酔っていたと言っていい。

何よりも風景の素晴らしさが一番で、文庫本一冊を持って行っても、なかなか読み切れなかった。

急行「白馬」は、その数年後に廃止となった。

あんな旅を今味わうだけのゆとりもないが、あののどかさを求めることもむずかしいだろうなあ……


「大糸線の思い出」への3件のフィードバック

  1. 1960年代に、初めて八方尾根スキー場へ金沢発、ジィーゼル車の急行電車で行った時、糸魚川駅で車両の連結を外し半分は新潟行き、残りは大糸線の南小谷までで、そこから先は電化された電車で白馬駅に着いたのを思い出します。乗り換え前までの車輌は5,6輌ありましたが、その先は2輌しか無く、都会のラッシュ時並みの混雑で、一緒に行った友達は、座る場所も立っている場所も無く、網棚に寝そべっていました。           私はトイレの中で大人4、5人と居ました。                      

  2.  思いで、その2  帰る際、白馬駅で東京方面の列車待ちの人びとは、僕たちみたいに、誰一人、当時のヤッケや黒の長靴を身に着けて無く、しかもリュツクなどを背おわず、キャスター付きの大きなバックで移動していました。その光景を見るや、僕たちは、これから凄い田舎に帰るんだと、思ったりもしました。でも、糸魚川方面の人びとは、僕たちと一緒の容姿で大変、安心したのを思いだします。

  3. そうなんですよね、M野さん。
    こんな話できる人、M野さんしかいない!

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