雪のある、東京の思い出
東京に大雪が降って、銀座の街に雪ダルマの姿があった。
もう何年も前のニュース映像の中の記憶だ。
異様な光景ではあったが、何となく東京人の雪への思いを知った気がした。
そして、東京に降る雪も金沢に降る雪も同じはずだが、東京の雪の方がオシャレに見えたのはなぜだろうか、と考えていた。
もう35年ほども前だが、大学の卒業式が終わった夜のことだ。
当然のように、親友たちと飲んでいた。場所は中野。足もとから底冷えのする夜だった。
その数日前、東京に季節外れの大雪が降った。
ほとんどは融けてなくなっていたが、それでも所々に凍り付いたままの雪が残っていた。
かなり酔っ払った後、ボクたちは線路沿いに出ていた屋台でラーメンを食う。
酔っ払っていたのと寒かったのとで、そのラーメンは感動的にウマかった。
ボクたちはドンブリを持ったまま、ウロウロと歩き回ったり、何だか訳の分からない奇声を上げたりしながら、そのラーメンを食っていたのだった。
突然、そんなボクたちの横を轟音とともに中央線の電車が通り過ぎて行った。
まさに不意を突かれたといった感じで、そのときのボクたちの周囲にあったすべてのものが、一度に吹き飛ばされてしまったように感じた。
事実、その轟音によってボクたちのラーメンに対する感動はコッパ微塵にブチ壊され、冷たい風がボクたちの全身から温もりさえも奪い去っていったのだ。
ふっと訪れた白々しい静寂。ドンブリから上がっていた湯気さえも、虚しそうに冷気の中へと吸い込まれていく。
ああ、東京ともこれでお別れか……と、急にセンチメンタルな気分に襲われ、胸が痛くなってくる。
残されたラーメンの麺をすすろうとすると、カジかんだ手から割り箸が落ちた。
ふと見下ろすと、足元に小さな雪のかたまり。
東京の雪はすべてがアスファルトの上に積もっているのだなあと、その時何気なく思った。
東京では、雪融けが春を告げるものではないのだとも思った。
雪そのものも冬の風物詩ではなく、単なる冬の間の一時に訪れる珍客に過ぎないとも思った。
東京の雪は交通をマヒさせることはあっても、生活様式を変えてしまうようなものではない。
それが、あの銀座の雪ダルマに象徴されていたと思う。
当たり前だが、雪に埋もれた日々を送る人たちが持っている雪への思いと、東京の人たちが持っている雪への思いは違うのである。
そろそろ、こちらでは本格的に雪が積もり始める時節。そして、新年のあいさつにと東京の仕事先へ出向く頃でもある。
東京の冬は、やはり青空が似合う。東京で、雪は見たくない……
昔の文章をリライトした直後に、
また東京に大雪がやって来るとは……
しかも、同時に東京出張があり、
少しは解消していたが、かなりの危険状況だった。
冷え切った東京の夜には、ラーメンが似合う。
いやどこでも、凍てついていればラーメンなのだろう。
その点では、そばやうどんにそのパワーは乏しい。