紀伊國屋に立ち寄る


 新宿へ行ったついでに、何年ぶりかで紀伊國屋に立ち寄った。

 前を通るとちょうど開店したばかりで、吸い込まれるように二階へのエスカレーターに乗っていた。

 思えば、大学に行くために東京生活を始めた二日目の午後、初めて新宿の街に出た。

 目指したのは紀伊國屋だった。なぜか、東京へ出たら紀伊國屋と、FUNKY(吉祥寺にあったジャズ喫茶)と、神宮球場へ行かねばならぬという強い使命感があり、まず手始めとして新宿へ乗り込み、紀伊國屋で本に埋もれてみようと思った。

 春を迎えたばかりの新宿駅東口は人が溢れ、雑然としていた。

 人が厚い層を成し、その人の波が一気に横断歩道を揺れながら流れるように渡って行く。

 その時あらためて、東京を感じた。

 何となく地理的には理解していた紀伊國屋に向けて緩い坂を上る。

 しかし、紀伊國屋を見つけたと同時に、ボクはその向かい側にあった洋服屋に入っていた。

 MITSUMINEだ。衝動的に、白と、からし色のボタンダウンのシャツ2枚を買った。

 店員さんとのスピーディな会話も楽しく、衝動買いの要因はそこにもあった。

 今はもうその店はないが、MITSUMINEとの関係はシンプルに続いている。

 金沢でも二年ほど前に店はなくなり、なかなか新しいモノを買う機会はなくなった。

 だが、20~30代の頃に買い、今も着ている洋服には、MITSUMINEのロゴの入ったモノがいくつかある。

 そのロゴを見るたびに、新宿のあの店を思い出すのだ。

 仕事の合間の紀伊國屋だから、久しぶりと言え時間はほんのわずかしかない。

 いきなり安部公房の『題未定』が目に飛び込んできたが、ぐっと堪える。

 結構分厚い未発表の短編集で、読んでみたいと思っていたものだ。

 だが、帰りの電車の中で読み切れるくらいの本にしようと、何となく決めていた。

 慌ただしく奥へ奥へと進んで行くと、最も奥に「ハルキ文庫」という小さなコーナーがあった。

 「ハルキ」は、角川春樹氏の「ハルキ」である。

 本の種類は少ないが、梶井基次郎の『檸檬(れもん)』がある。

 梶井は大正後期から昭和初めにかけていくつかの短編を残した人だ。31歳の若さで早死にしている。

 『檸檬』は、梶井の代名詞的短編で、ボクはこの本を金沢の友人に教えてもらった。

 その友人は、ボクに金沢出身の島田清次郎も教えてくれたのだが、梶井も島田も同じような時代に早死にしていた。

 しかし、ボクは圧倒的に梶井の方が好きになった。島田のことを知っている人なら、その理由はよく理解できるだろう。

 それに、もうひとつ大きな決め手があった。

 それは、顔だ。梶井のあの男臭い顔立ちが好きだったのだ。

 そんなことを思い出しながら、一冊しかなかったので、誰かに先を越されるとまずいと思い、すぐに『檸檬』を本棚から抜き取った。

 値段の安さに驚く。税別267円。

 こんな安い本を一冊だけ買って帰るのは申し訳ないと他に探すが、時間がなく気持ち的に慌ただしいだけだ。

 開店したばかりというのに、店の中にはそれなりの人がいた。

 客の一人が何だかマニアックな本の名前を言って、店員さんを困らせて?いる。

 しばらくすると、ようやく見つけたらしく、客の方へと店員が小走りに駆け寄っていった。

 若い店員の嬉しそうな顔が何とも言えない。書店員としての誇りなのだろう。さすがというべきか。

 学生時代はここで多くの本を買った。大学生協の書籍部でもかなり買ったが、今も変わらないあのブックカバーが決め手になっていたかも知れない。

 最近は、上京すると三省堂や丸善にも時間があれば立ち寄る。

 やはり本の種類が豊富で、何とも言えず愉しい。

 金沢では絶対に遭遇しなかったであろうと思われる本を手にした時の喜びは、普通ではない。

 そう言えば、かつて紀伊國屋で本を買った後は、近くにあったnewDUGというジャズ喫茶に寄って、その本を読んだりした。

 ボクは体育会系の文学青年で、いつも最低二冊以上は同時進行で読んでいた。

 外出時には必ずポケットに文庫本を入れていき、ジャズ喫茶にも必ず本を持ちこんだ。読む本は何でもよかった。

 活字中毒という言葉はあまり好きではないが、今でも手元に読む本があると安心できる。

 ところで、一応曲がりなりにも“著書をもつ者”としては、地元の書店の温もりも忘れていないのは当然だ。

 地元の作家を応援するのは、地元の書店として当たり前ですと、広告を出してくれたり、店頭の話題の本のコーナーに並べたりしてくれた書店のありがたさは身に染みている。

 全く置いてくれなかった近県出の書店(例えば、県庁近くの)もあったが、本をただ商品としてしか見ることができないというのも淋しい気がする。

 だんだんいい歳になってくると、書店の本棚を見ているのがつらくなってきた。

 それは、目が疲れるとか腰がだるくなるという意味ではない。

 新しい本ではないが、まだまだ読みたいものがいっぱい残っているのに、時間がどんどんなくなっていく焦りみたいなものだ。

 音楽、特にジャズも文学も、新しいものに興味もなく期待もしていない。

 ただそんな時に、ちょっといい書店に入って味わう感覚が、とても懐かしかったり、ホッとできたりするというのも、素直に受け入れられる事実なのだ……


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