冷奴のことについて…


 拙著『ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり』の中に、夏休みの昼ごはんの定番として素麺が出てくるが、初期のもともとの話には、冷奴も入っていた。

冷奴だったら、自分一人でも食べられるのにといった、主人公ナツオのイラつきが描かれていた。あとでカットしてしまった文章なのだが、早く飯を済ませて連れの二人と海へ行きたいナツオにとって、冷奴は便利なおかずだったのだ。

今年の夏も、ボクは冷奴をほとんど毎日のように食べている。いや、夏だから食べているといった安直さではない。冬も春も食べてきた。もちろん便利だからではなく、美味いからだ。そして、秋になっても毎日のように食べるし、また冬がきても食べるし、とにかく命のある限りずっと食べ続けることにしている。

先日、一緒に仕事を終えた中途半端に若い二人と、金沢片町にめずらしく飲みに出た。洋風居酒屋とでも言うのか、洋食屋さん的居酒屋風の店(同じか)に入りメニューを見た。注文は中途半端に若い二人に任せていたが、冷奴だけは先に言っておいた。しかし、冷奴の表記がないと二人は言う。そんなバカなことがあるかと、自分でもチェックしてみたが、二人の言うようにやはりない。

笑顔がいっぱいの店員さんが、注文を聞きにやってきて、すかさず冷奴はないの?と聞くと、一応ないんですが、出来ないこともないと思います… と中途半端な答えが返ってきた。

では、お願いしますと伝えて、ついでに上には何ものっけないでね、と念を押した。笑顔がいっぱいの店員さんは、ちょっとどころか、かなりびっくりしたような顔をしていた。一応ないんですが、出来ないこともないと思います… 当たり前だ。豆腐を置いてない店なんて、日本中どこを探してもないだろう。その豆腐をそのまま持ってくればいいだけなんだから。

何も、のっけなくていいんですか…? 豆腐だけで…? と、二回ほど同じことを笑顔がいっぱいの店員さんは聞いた。

ボクはこの笑顔がいっぱいの店員さんが、ひょっとしてかなりの知性の持ち主ではないか? とその時思っていた。それは、広辞苑に、冷奴は「豆腐を冷水でひやし、醤油と薬味とで食べる料理…」としっかり書かれているからで、もし、そのことをこの笑顔がいっぱいの店員さんが知っていて聞いているのだとしたら、ボクの方が分が悪くなる… そう思ったのだった。

しかし、ボクは素知らぬ顔で、うん、いいんですよ、と明解に答えた。あっ、醤油は要るけどね… と付け加えて。

すると、豆腐一丁が皿の上に静かにのっただけの、正しき冷奴が目の前に届けられた。ちょっと感動した。何ものせなくていいという注文によって、冷奴は本来の、冷奴としての素朴さ、つまり自分は豆腐以外の何者でもないんだという、さわやかな自覚を取り戻しているかのようだった。

ボクの好きな冷奴は、せいぜい生姜がのるだけだ。ネギは少しならいい。いちばん要らないのが“カツオぶし”だ。特に最近は、豆腐が見えないくらいカツオぶしをのせてくる店が多かったりして、見た瞬間に絶望的になったりする。薬味とかいう言い方で、なくてはならないもののように思われがちだが、あれだけのせられたのでは豆腐の味がしない。キムチや明太子などは問題外だ。ああいう類は、冷奴と言う名前すら使わないでほしい。

豆腐自体にも、いろいろなものが出てきた。最近では、どれが本来の豆腐の味だったか分からなくなってしまう始末で、できるだけシンプルなものにこだわったりしている。

そんな時、ふと思い出したのが、冷奴の食べ方だった。今は何となく上品な食べ方を皆さんしているように感じている。だいたい、食べる時の量もそのことを物語ってはいないだろうか?

子供の頃、冷奴は豆腐一丁丸ごと食べていた。波線形の刃物のようなものでいくつかに切られていて、それに醤油をかけて食べていたが、ボクの食べ方としては、まず豆腐を箸で砕くことから始まった。つまり、ボクは子供の頃、今のように豆腐を箸で割った塊(かたまり)で食べるのではなく、箸で砕いて、かなりドロドロ状態に近くしてから食べていたのだ。

そして、少し前、そのことをもう一度実践してみた。そして、やはりその方が美味いということに納得した。中途半端に若い二人の前でも、当然そのことを実践して見せた。二人は驚いていたが、なんとなくボクの思いは理解してくれたみたいだった。

冷奴という名前は、大名行列の奴が着ていた半纏(はんてん)に四角の紋が入っていて、その四角が豆腐の形と同じだからと、「奴豆腐」と言うようになり、そこから「冷奴」とも言うようになった… らしい。それにしても、「冷たい奴」とは情けない。

温かい豆腐は「湯豆腐」と書かれ、いかにもほのぼのと温かそうな… 喉元を通り過ぎていく時に、ホクホク・ドキドキと胸をときめかせるようなイメージがあるのに、冷やすと「冷たい奴」になる。これでいいのだろうか……

そう言えば、ヨークの奥井さんも、店の小さな黒板に冷奴を「冷たい奴」と書いていた。ついでに言うと「乾きもの」は、「乾いたもの」だった。考えてみると、こんなユーモアにニタニタしていられるのも、豆腐の持つ大衆性なのだろう。ボクもずっと普通の冷奴を食べ続けていきたい、と思うことにしようッと……


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