突然の秋と流れ落ちる目薬について


 

めっきり秋めいてきた…、などというにはあまりにも唐突にやって来た秋。

大袈裟に言えば、あっという間よりも短い時間で秋になってしまった日本…。

そのあまりの豹変ぶりには、呆れてものも言えないのだが、秋のことを言うよりは、夏を責めなければならない。

あのエネルギッシュだった夏はどこへ行ったのだろうか。日本中を暑くするだけしておいて、そろそろ交代しましょうかの一言もなく、まるで夜逃げのようにして突然去って行った夏。

ボクは今年のような夏が好きだったが、あの去り方にはさすがに疑問をもつ。あれではバトンを渡された秋もかわいそうだ。いきなり「あと頼むよ」では、秋だって大変だったろう。その証拠に、秋も準備不足で気温の調整などにかなり戸惑っていたところが感じられる。

東京などでは、昨日まではカンペキ真夏で、今日からはカンペキ真秋といった具合に、10℃以上も気温差が出る日が生じた。

冷奴のつもりで買っておいた豆腐を、湯豆腐に切り替えた家庭が、東京周辺では半数を超えたにちがいない。さぞかし多かったことだろう。冷奴だと生姜が少々あればいいが、湯豆腐にする場合は、ネギなどを追加しなければならなくなり、猛暑で値の上がっていたネギを控えなければならなかった悲惨な家庭もあったにちがいない。

そんないきなりトンズラ型の夏と、いきなり登場型の秋に戸惑っていたある日のこと、ボクはあることに、ハタと気が付いた。

それは、目薬を点す時のことだ。

目薬を点す時、左目は何でもないのに、右目に点すと、しばらくしたら目尻からジトッと、点したうちの六割五分ほどが流れ落ちてくるのだ。それも涙が流れ出るのに似ていて、これまでそんなことはほとんどなかったボクとしては、これはちょっとおかしいぞと思った。目薬を点すたびにいろいろと警戒するようになった。点した直後に流れ出るのではなく、しばらくしてからというところも問題だった。

ところで、ボクの目は生まれつき左右で形状が異なっている。ほとんど同じという人はいないだろうが、ボクの場合、右目は左目に比べて小さい。眉毛も鋭角的に右より下がっていて、瞼のふさがり具合が大きいとも言える。それに加えて、少し垂れ目傾向にもあり、同じ量の目薬を左右均等に点した場合、右目の容量が過剰気味になる可能性は高いのである。しかも垂れ目なのだから、容量オーバーしたものは流れ落ちやすくもなっている。

そうだったのか、とボクは一時的に納得した。が、すぐにまた疑問に襲われた。今までそんなことはなかったからだ。もっと根本的に原因があるのでは? そう思いはじめていた矢先………

久しぶりにお会いしたある人から、こんなことを言われた。

「最近、前のような眼力がなくなったね…、眼が訴えなくなってるよ…」 そう言えば、人生の大先輩であるその人やその人のスタッフの人たちは、以前からボクの眼にはパワーがあるとよく言ってくれていた。そんな眼力というものが、今のボクにはなくなっているのだろうか? それにしても眼力って何なのだろうか?

タイトル写真にある絵は、半年ほど前のボクの顔が描かれたものだ。しかし、その顔にも目がなかった。友人Dくんが何となく落書きのように描いてくれた絵で、ボクはこの絵に何となく愛着を感じているのだが、ここでもハタと気が付いてしまった。やはり、この頃からボクの目にはパワーがなくなってしまっていたのだろうかと。遠くから見ていると元気いっぱいに見えても、近くで見るとパワーがない。さらに得意な夏のパワーもそろそろトーンダウンしてき始めた、そんな感じなのだろうか…

こんなことに秋を感じていてはいけないのだが、そうかも知れないと思えるようになってきた。夏は無情にも行ってしまったが、その無情さを思いながら秋を受け入れるのには無理がある。やはり秋はしみじみと受け入れるのがいい。

だから、それらしくなってきた頃から、夜はモルトウイスキー(安もんだが)のロック一杯と、柿の種もどき型おつまみセット一袋で過ごすようになってきたし、時間はそれなりに正しい秋の過ごし方に流れているし、どちらにせよ、いろいろと抱えながらの時間になるのは夏も秋も全く同じだ。

目薬もめげずに何度でも点してやるか…… (つづく、かも知れぬ)


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