自然体のコミュニケーションについて、軽く考えた・・・


 5月16日のサンデーモーニング。最後のコーナーである「風をよむ」は、“本のある生活”というテーマだった。iPadなるものが出現し、デジタルブックなるものに人目が集まる中、そこから逆説的に語られる本の価値観みたいなものに、ボクはハゲしく納得していた。デジタルブックの出現とともに、活字や言葉、そして本そのものに対する思い入れが深くなったような気がしてもいる。特に、携帯のメールや、ツイッターなどと呼ばれる手法だけでコミュニケーションをとっていては、本来自然に伝わるべきものも伝わっていかないと、こちらもハゲしく思っている。

 と言いつつ、今日金沢市内の某書店で、32種類ほどのツイッターの本が一堂に並べられたコーナーを発見してしまった。ショックで、思わずそのうちの3冊ほどを手にとって、不覚にも合計30ページほどを読んでしまった。ただ、よかったのは、内容がよく分からなかったことだ。

 最近ボクは、日常のコミュニケーションの中で、言葉が正しく伝わらず、そして聞き返そうともせず、互いに本来大事にしてきたモノを失っていったという人の話を聞いた。言葉足らずのメールだったがゆえに、言葉にないものを深読みしすぎてしまい、本来自然体であるべき関係にもヒビが入っていく、そんな状況に追い込まれたと、その人は言った。

 きちんと話しておかないと、きちんと文章にしておかないと、やはり大切なものが逃げていく。分かって当たり前ということも確かにあるが、人はやはり言葉を持っているのだし、表現する能力を持っているのだから、それを活かしてコミュニケーションするべきだ。自然体の関係とは、言葉も気持ちも自然にやりとりできるということだ、と、ボクはハゲしく思い始めている…のだが。