シナリオ書きの後に映画原案の謎が蘇る


10月最初の日曜日は、朝から一日がかりの映像シナリオ書きに終始した。そして今、その流れでこの文章を打っている。

夏の間は冷房なしで無理だったが、メッキリと涼しい雰囲気になってきて、久々に自分の部屋にも籠もった。

経験的にそれほど数をこなしているわけではないが、ボクは映像などのシナリオを書くのが嫌いではない。むしろ好きな方だと思う。口語体の文章(と言っても、時には結構固いのもあるが)で綴っていくことは、たまに快感にさえなったりする。

そして、その作られた映像が多くの人たちに見られていると感じた時には、かなり素朴に嬉しくなったりもする。そういう場合は、映像を見ていながらも、それを見てくれている人たちの表情などに目を取られたりして、その反応に、こちらも反応していたりする。

ある資料館で、ジオラマにつける語りのシナリオを作った時は、方言に注文が付き、その勉強から始めた。昔、河原で遊びながら石拾いをしていた子供の頃の話を、かなり高齢の老人が振り返るという設定だった。

その時は、実際にその経験がある地元の人から話を聞き、しかも敢えて方言も交えて語ってもらった。しかし、その場で方言で話してくださいと言っても、なかなか一般の人にはすんなりできなかったりする。

そこで、それなりに話してもらったら、一度原稿を作り、その方の前で方言を真似しながら話してみるのだ。すると、聞き手はすぐに違うところを指摘してくれる。

それから内容が詰まっていくと、その方の直接指導で方言はどんどん磨きがかけられていく。方言と言っても、同じ県内のことだから、基本的にそれほど困難なことでもないのだ。

そのシナリオを書いている時は、どこかで自分も老人になっていた。でないと、息継ぎとか、間とかいうものが掴めない。老人になるというのは、子供になるよりも簡単だとボクは思っている。それは自分が老人に近いからではない。活字にしていく時には、なんとなく大人の方がやりやすいのだ。

生地の石川県内灘町・権現森を舞台にして書いた、『ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり』では、子供の気持ちを描写できたと思うが、第三者的になると、子供になっての表現はむずかしい気がする。

TVモニターで上映するミニドラマなどでも同じだが、たとえば俳優さんなんかを使う時には、その俳優さんの雰囲気などを知っていないとやりにくかったりする。地方の小さな話のそれほどでもないミニドラマだからと言って、ナメてはいけない。撮影期間なんかも、極端な例で言うと一日しかないという場合などは、意向など無視して仕上がってしまうケースもあり、予算が乏しい仕事などはやり直しがきかないまま、完成ということもあったのだ。

ところで、嘘みたいな話で信用してもらえないかも知れないが、幼い頃からかなりマセた環境に育ったボクは、中学生の頃、なぜだか「東宝映画友の会」というのに入会していた。そして、送られてくる機関誌を見ながら、映画の作られていく過程などの話を、分かったような顔をして読んでいた。

そんな会報の中に、毎号、新作映画のアイデアを募集するページがあった。ボクは自分でもそれなりにいろいろと考えていることがあったので、いつかこれに自分のアイデアを出してみようと考えていた。そして、ある時、ボクは自分の中にあった青春映画の小さなアイデアを膨らまし、それを原稿用紙に書いて送った。原稿用紙と言っても、わずか2枚か3枚程度のものだ。

そのアイデアはたしか次の号のコーナーに掲載された。自分が書いた文字数からすれば、その5分の1くらいに縮められていたが、ボクは掲載されたことに十分満足し、そのアイデアがその後どうなっていくのかとかには、まったく無頓着でいた。

そして、そんなこともとっくに忘れてしまった頃、つまり「東宝映画友の会」にも会費を払わなくなり、機関誌も届かなくなった頃、ある映画雑誌で、ボクは不思議な記事を見つけた。

それは『俺たちの荒野』という映画が近々上映されるというものだった。その記事を読んでいくうちに、ボクは心臓がバクバクと揺れ動くのを、息苦しくなるのと同時に感じ始めていた。

監督出目昌伸。主役は黒沢年男。相手役は酒井和歌子。さらに新人の男優(東山なんとか)・・・・・・・・ 金沢では上映されなかったと思う。

ボクがかつて出したアイデアは、米軍基地で働きながらジャズドラマ―を目指す青年を主人公に、青年の恋人になる女性と青年の弟を絡めた青春映画だった。ストーリーは敢えて書かないが、タイトルは『熱狂の荒野』。

舞台は砂塵が舞う基地。中学生の田舎者が、名前と写真だけでしか知らない基地を舞台にしたアイデアを出すなんて、今から思うと恥ずかしくて穴があったら入りたいほどだが、とにかくボクはそんなアイデアを記して送っていたのだった。

タイトルといい、舞台、登場人物の設定といい、表向きにはボクのアイデアだと言ってもおかしくはなかったと思う。しかし、やはり田舎者の、世間知らずの、ただ青臭いだけの少年にそれ以上の思いは生まれなかった。ボクは、世の中には同じことを考える人がいるんだなあと思っていただけだった。

それから5年ほどが過ぎ、大学に通っていた頃、神田の本屋さんでボクは映画の本を何気に立ち読みしていた。

その中に、映画は原作本からシナリオをおこして作られるとか、まったくゼロから原案を作り、そこから仕上げられるとか、そのような意味のことが書かれていた。そして、その文章を読んでいくうちに、ボクは自分が書いたアイデアと、あの映画のことを思い出してしまった。あれはやっぱり、オレのアイデアだろう・・・・ 何だか虚しくて、切ない思いもあったが、そのうち、オレも大したもんなんだなあと、思うようになった。

久々に部屋でシナリオ書きをしたことで、懐かしくて、情けなくて、バカバカしくて、恥ずかしい話を思い出してしまった。

ついでに、ひとつ書いておく。『俺たちの荒野』という映画の原案は、中井正という人物のものらしい。ボクの名は中居ヒサシ(寿)だ。ちなみに脚本は、重森孝子。

中井正という人物の記録はほとんど残ってなくて、最近のボクは、その人物が実存したのかも疑っている・・・・・・・・・

 


「シナリオ書きの後に映画原案の謎が蘇る」への2件のフィードバック

  1. 興味深くというか、
    家でのんびり?原稿を書くN居さんの姿を想像していると、
    ヒトビトの時代(ちょっと大げさですが)の
    雰囲気を思い出しますね。
    ポレポレの時代は知らないのですが、
    楽しそうな気配が漂ってきます。
    N居さんのシナリオというと、
    根上ではなく能美市にある、あのミュージアムのあれですね。
    すごく印象に残った映像物語でした。
    N居さんが言うように、見ている人たちの表情も
    とてもよかったと思います。
    映画のアイデアの話は、なんか悔しいじゃないですか。
    その話、今度の小説のテーマにしたらいいと思います。
    では、また頑張ってください。

  2. ヒトビトの時代・・・いい言葉ですね。
    ということは、かなり読み込んでくれていた・・・?
    おかげさまで、いい文章(シナリオ)が書けました。
    いい評価ももらいました。
    ただし、家で書いているからと言って、
    前ほどのんびりとはしてないんです・・・・
    集中はできますが。
    映画のアイデアはもうどうでもよくて、
    あんな話も、大人になりすぎて書けませんね。
    いろいろと知らないと恥かくんで、ちょっと委縮します。
    でも、なんとなく楽しい思い出なんですね・・・・
    また、コメントください。では。

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