滝港と福野勝彦さんとまちづくりと


世の中には面白ヒトビトがたくさんいて、そういうヒトビトと出会う機会を多く持っていることが、楽しい人生に繋がるひとつなのだと思ってきた。そして、いつもそういうヒトビトとの出会いを待っていると感じたりする。

能登半島の中ほど、羽咋市滝町に住んでいらっしゃる福野勝彦さんは、活躍畑の豊富さや深さやスケールの大きさなどからして、久々に出会った面白ヒトビトの一人だ。最初にお会いしたのが、もう二年ほども前なのだが、それからなかなかゆっくりお話ができる状況を作れないでいた。そうこうしているうちに、「寄ります」とメールしたら、「いつでも寄ってや」と返事が来たので、11月の終わりの晴れた日に出かけてきた。

福野さんの家は、魚港に面した道沿いに建つ。港の名は「滝港」。福野さんの家は、「海の家」と呼ぶ。なぜ、そういう固有名詞が付いているのかというと、その家は、生まれ育った家ではあるが、本来は金沢に住まいがあるため、福野さんはその家、つまり実家を隠れ家?として使っているのだ(と、勝手に解釈している…)。

その名前を聞いたときは、てっきり民宿とかペンションのような佇まいを想像していた。その割には、名前が当たり前的にシンプル過ぎるなとも思ったが、それ以上は考えてなかった。そして、実際に「海の家」に来てみると、そのシンプルさに却って安心した。

ついでにもう少し詳しく説明すると、「海の家」は平屋建ての、間口は狭いが奥に長く伸びた住宅だった。築約60年という。福野さんはここからすぐ近くにあった一宮小学校を卒業し、高校時代までをその家で過ごした。言わば、滝町暮らしは、誕生から青年期始めまでの一期と、現在の二期に分かれることになる。

 ところで、一宮小学校はすでに廃校となり、校舎は公民館として建て替えられているが、木造の体育館は残っていて、なかなかいい雰囲気を醸し出している。石碑には『明治・・年』と記されていた。二宮金次郎の像も残っており、できれば、校舎の方も残っていれば…と、部外者の勝手な思いが込み上げる懐かしい風景だ。

福野さんは67歳だと言われた。地元のテレビ局で報道記者やニュースデスク、番組づくりのプロデューサーなどを経て、7年前に引退(定年退職)。その後、故郷の滝町に戻り、「海の家」を拠点として、自由なスタンスでこの町の“未来創造”一派をリードしている様子だ。エッセー集「能登・ 加賀 東風(あいのかぜ)に吹かれて」(回天蒼生塾発行)の著者であり、講演などの活動されている。

簾(すだれ)がかかった玄関戸を開け中に入ると、上りのところに紙きれが一枚・・・・散歩中だから、ここへ電話せよとのメッセージが書いてある。しかし、福野さんはいた。その紙切れは外出時に玄関に貼っておくのだろう。

 まっすぐに奥に伸びた薄暗い廊下の手前に、坂本龍馬の絵がさりげなく置いてある。墨で描かれたような独特なトーンで古めかしい印象のする絵だ。

実は福野さんは、全国にある坂本龍馬を愛する人たちの集まりの、金沢版とも言うべき「金沢龍馬の会」という組織の設立に参画し、事務局をされている。もちろん、今のNHK大河ドラマの影響などとは無関係で、後で聞いたが、『龍馬伝』は全く見ていないらしい。

これはボクにも覚えのあることで、ボクの場合は、学生時代に山梨の友人の影響を受けて以来、戦国最強の武将(と決めつけている)武田信玄に心酔。信玄に関する本は読みあさり、史跡も見て回った。もし、「武田信玄ものしりクイズ・石川県大会」などが開催されたりしたら、上位入賞の自信がある。北陸大会でもいい。北信越大会だとかなり危ないが、準々決勝あたりまでは行けるかもしれない。そんなことはどうでもいいのだが、とにかくそういう自分は、武田信玄が出てくるドラマは積極的に見ないようにしている。自分の中にかつて具象化した武田信玄があり、それを崩すようなドラマは見る気がしない。ついでに言うと、信玄のライバル上杉謙信も同じで、最近のいい加減な人物像づくりには付いていけない。と言いつつも、文句言いながら結構見ていたりするのだが・・・・・

福野さんにとっても、龍馬はもう出来上がっていて、今更何を…的なものなんだろう。しかも、あんな野郎にやってほしくないという思いもあったかもしれない。勝手な想像だが・・・・

 囲炉裏のある薄暗い部屋が玄関から上がってすぐ右手にあり、福野さんが手招きされている。デスクトップ型の年季の入ったパソコンを前に胡坐(あぐら)をかき、フィルターのない煙草を指に挟んでいた。部屋はと言うと、かなり出来上がった、完成度の高い雑然さで構成されていた。

ボクも囲炉裏の前に腰を下ろす。コーヒーが小さなカップに入れられていた。

福野さんとは互いに間接的な知識しかなかったが、話し込んでいくうちに共通の話題が続々と出てくる。仕事や趣味や、その共通な話題は、ボクにとっても福野さんにとっても懐かしいものが多く、どんどんと話が膨らんでいく。

かつて小誌『ヒトビト』でインタビューさせていただいた面白ヒトビトたちが、共通の知り合いだったり、山や旅の話、本の話、まちづくりの話……。それらに福野さんの縦横無尽だった活動から生まれた話が重なった。ネパールをはじめとするアジアの山々や樺太、さらには東欧やその他世界各国を旅した話、それらにほとんど行かないところはなかったという国内の旅の話、そして密度の濃い地元の話などが交錯した。上品にも下品にもなった。取材した政治家の話もあれば、一緒に仕事をした芸能人たちとのエピソードもあった。好奇心というと少し意味が違うかもしれないが、ある情熱を持ったニンゲンの、自由に行動できる真っ直ぐな生き方みたいなものを感じた。・・・・書き忘れていたが、日本山岳会の会員でもある・・・・。

そして、印象深く残ったのが、福野さんの“ふるさとに対する思い”だった。そんな平凡な言葉で、福野さんの情熱を的確に表現できないのは分かっているのだが、とりあえずそう言わせていただく。今、福野さんは地元の同志の人たちと、地元の海の幸や山の幸を、広く多くの人たちに提供できる場を構築中だ。すでに休日には滝町会館前で「朝市」を開催していて、ちょっとユニークな展開が注目を集めている。12月最初の日曜日に顔を出してくる予定をしているが、福野さんたちは、こういう場を常設のものにしようと考えており、そのための手法についてはボクの方にもいろいろとアイデアがあって、整理してみることにした。

さらに、地元ゆかりの歌人・折口信夫(おりぐちしのぶ)を紹介するための文学館の開設のために、折口信夫が住んでいた藤井家を活用しようと構想されている話にも共感した。ボクはとなり町の志賀町で、加能作次郎や坪野哲久(つぼのてっきゅう)の文学館開設に参画してきたが、折口信夫については、客観的にみて、それ以上の価値を持っていると思っている。志賀町には、前にも紹介した熱心な人たちがいて、優秀なスタッフがその人たちを支えていた。そんな関係が福野さんたち周辺にも必要なのだと思う。旧一宮小学校の建物なども、そういう意味でこの地域の文化づくりの素晴らしい拠点になる。

 福野さんは、今日はもう外出しないからと、もらったばかりだというお酒を飲み始められた。朝から天気は良かったのだが、夕方近くになってちょっと雲が出てきていた。そろそろ失礼しようと立ち上がると、部屋の中に置かれた古い映像カメラが目に入った。ふたつあったが、ひとつは福野さんが実際に使っていたものだということだった。とにかく面白い部屋だ。この部屋では、近々囲炉裏を囲み「芋煮会」が開かれるとのこと。奥の部屋には布団もあるから、来なさいよと誘われた。とにかくにぎやかなのだ。

外に出ると、海風が冷たく感じた。港に上げられたボートの先には、北アルプス北部の山並みが見えた。楽しい時間だった・・・・・・


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