メダカとツリーと地ビール&つばらつばら


尼崎市にある三菱電機の研究所で、石川県産業創出機構が主催する“技術提案展示会”があり、その会場づくりを受け持った。一ヶ月ほど前に大阪の日立造船所でもやってきたが、いろいろと情報を得たりできて、思いがけない出会いもあったりする。

大阪で久々にお会いし、尼崎でもご一緒できた大西健吾さんは、現在の石川県大阪事務所長さんで、大阪では知事に同行もされていた。大西さんとは実はかなり古い付き合いになる。石川県で国体が開かれた時の重要スタッフのお一人で、未知の仕事に一生懸命力を注いでおられた。かなりしんどい要求もあったが、大西さんの一生懸命さに負けて、ボクもひたすら頑張ったような気がする。大阪でも尼崎でも、ゆっくりお話はできなかったが、こちらに戻った後に、すぐ電話もいただいて、ボクとしては恐縮しているのだ。

尼崎はポカポカを通り越したような、かなりのんびりとした陽気だった。大阪から、JR宝塚線の猪名寺(いなでら)という駅で降り、線路沿いに10分ほど歩くと三菱電機の研究所の正門前に着く。と言っても、その敷地はとてつもなく広くて、駅の隣からすでにダァーんと研究所の施設が並んでいる。正門前が踏切になっているのも面白い。正門までの普通の道自体が研究所の敷地内らしい。写真撮影はできないという注意サインがあったりした。

 ポカポカを通り越しているのだから、歩いているだけでも首筋が何となく汗ばむ感覚がある。今の季節としては、さらに雪国ニンゲンとしては、思わず違和感を持ってしまうような状況なのだが、なんとも、ありがたいことであるまいか・・・と自分に言い聞かせて足を進める。

それに道の横を流れる小さな用水のような流れの中に、きらきらと光る小さな魚影なども見えたりして、それ自体も、なんでこんなところに、美しい小魚たちが泳いでいるのだろうと疑問を持たせつつ、和らいだ気分にさせてくれていた。

あとで分かったのだが、三菱電機では水の浄化に関する研究開発が進んでいる。一見、生活用水の流れる側溝(そっこう)と言ってもいいようなところを、小魚たちの棲める完璧に清らかな水の流れの場に変えていくのは、その成果の現れなのだろう。構内に入って、さらに何でもない小さな流れの中にメダカたちの姿を見つけた時は、足を止めて、しばらく懐かしい光景に見入ってしまった。撮影禁止だったので、写真で見せられないのがちょっと残念だ。

帰りに京都に寄り、夕方に近い頃、京都駅で冬のイルミネーション装飾を見てきた。駅だけで見ると、特に毎年変わったことをやっている気配はないのだが、毎年見てきただけに、どうしても続けて見たくなる。ある意味仕事的視点で見てしまうことに抵抗は感じるのだが、まず見なければコトは始まらない。相変わらず美しいツリーだった。

 ボクにとって、クリスマスツリーというのは、美しいものを見るという視点で存在しているしかない・・・というものだ。へそ曲がり屋的視点からだと、真実味のない“西洋かぶれ”の象徴みたいで、キリスト教徒でもないアジアのニンゲンが、よくここまでやれるなあと思ってしまうのだが、美しいものを見てうっとりするとか、夢を描くとか、そういう視点からは、それなりの存在価値があると思う。ジャズを聴くとか、イタリアンを食べるとかとは、かなり違う意味で。

最近ますます興味を深くしているのは、日本の仏教美術の凄さだ。特に仏像には果てしない力が備わっていると、あらためて感じるようになってきた。京都駅の階段状になった例のスペースから、大きなツリーを眺めている、あるいは見つめている老若男女たちも、家へ帰ると仏壇が置いてあるにも関わらず、うっとりとその美しさに見とれている。たぶん、その中に何かしらの自分を投影したり、誰かのことを投影したりしているのだろう。そういう意味で、ツリーが街に登場する時は、一年の終わりでもあり、何かを考えさせるシンボルにもなっているのかも知れない。

 数日前に、柿木畠の「広坂ハイボール」で、元気親分がつくる、ハイボールの合間に長野県志賀高原産の地ビールを飲んだ。美味かった。柄にもない表現をさせていただくと、“フルーティな美味しさ”のビールだった。今や世界に羽ばたく甲州ワインにも、同じような感覚に誘われるようなものがあるが、何となくそれを思い出した。ビールにも、日本的な解釈が生まれ、日本人好みのビールが出来上がったのだろうが、さらに日本でしかできない味で楽しめるビールが出来ていくというのはいいことだ。日本人的解釈は無限なのだし、そこにも自分が発見できる何かがあるかも知れない・・・・

尼崎で見たメダカたち、京都駅で見ているツリー、その時に思い出した長野県志賀高原産の地ビール・・・ 何だかアタマの中が整理出来ていないまま、伊勢丹地下の「鶴屋吉信」で『つばらつばら』という菓子を買った。特に強い意志などなく、何となく名前が気に入って買ってしまった。

 「つばらつばら」とは、“しみじみと、心ゆくままに、あれこれと”といった意味の万葉言葉であるとのこと。万葉集で大伴家持が詠んだ句に、物思いにふける様子として、この言葉が使われているらしいのだ。味よりも、このネーミングが優先した。ボクは、こういう言葉に弱い。

「ポレポレ=pole pole」もそうだった。スワヒリ語で“のんびり、ゆっくり”ときた。受け入れざるを得なかった。参ったと思った。あとで店の名前やホテルの名前にも登場してきたが、自分では相当前から注目していた言葉で、ご存知?『ポレポレ通信』の名は、そこから生まれたのだった・・・・・


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