ひまわりを待つ


河北潟干拓地にある「ひまわり村」では、ひまわりが満開だ。なぜだか、陽が西から差しているのに、みな東の方を向いていたが、単なる鈍感なのか、反骨精神に満ち溢れた連中ばかりなのか分からない。しかし、とにかくひまわりたちは黄色く丸く開いていた。

実を言うと、ボクはひまわりを待っている。正確に言うと、我が家のひまわりの咲くのを待っている。

五月に種を植えてから、いよいよあともう少しで開花というところまで来た。うちの周りに植えたのは、大型のひまわりではなく、中型のひまわり。背丈は高いものでも一五〇センチくらい。成長のイマイチなものは五〇センチくらいしか伸びていない。特に七月の後半は天気がちょっと夏らしくなく、夏の代名詞として君臨しているひまわりとしては、さぞ歯がゆい思いをしていることだろう。

ボクも当然歯がゆい思いをしている。毎朝早く起きて水やりをする。ひまわり以外の花は苗から植えたもので、当然満開中だ。ちょっと液肥をやったりすると、花の咲き方に勢いがつく。特に純真で素直な花はすぐに順応する。逆に少しへそ曲がりな花は、せっかく液肥をやったのにそっぽを向くような態度に出たりもする。ニンゲンにも味噌ラーメンよりも豚骨ラーメンの方が好きというのがいるように、花たちにもそれなりの好みがあるのだろう。

苗から植えた花たちは、初めその上を簡単に跨ぐことができたが、最近はちょっとヨイショと力を入れないと跨げないほどになった。それも嬉しいことだ。

朝の水やりは気持ちがいい。時間は五時半ごろ。今は完全にサマータイム化していて、鼻歌も無理やりギル・エバンス編曲風の「Summer Time」にしている。水やりを終えると、その後にシャワーをし、コーヒーを淹れる。そう言えば、長女がベトナムで買ってきた、ベトナム版家庭の味的コーヒーに先日から変わったのだが、なんだかカラメルのような香りがきつくて、慣れるまでに時間がかかった。正直あまり好きなタイプのコーヒーではないが、飲み慣れてくると、ああホーチミンの朝の風の匂いがする・・・などと、行ったこともない土地のことを思ったりして、それなりに楽しんでいるのだ。

話を戻す・・・・・・ 朝起きると、まず家の前の馬つなぎの周辺に咲く、マリーゴールドなどの花たちにホースで水をまく。このあたりにもひまわりを植えてあるのだが、この場所のひまわりたちは陽の当たり方が弱いせいか、成長は鈍い。

馬つなぎの周辺が終わると、横に回っていくつかの岩を伝い奥へと向かう。岩というのは、この家を建てた翌年、白山の麓の工事の時に掘り出されたものだ。知り合いの土建屋さんに頼んでおいたら、我が家まで運んできてくれた。正直嬉しかったが、ちょっと戸惑ったのも事実で、とりあえずここに置いといて…と言って置かれたまま、ずっと場所は変わっていない。

岩を伝い奥へ行くというのは、別にそうしないと奥へは行けないという意味ではない。通れるスペースはたっぷりある。しかし、敢えてこの岩に順番に乗っていき、一番大きな岩の上にわざとらしく立って一呼吸おくというのが日課なのである。岩はやはり山を連想させてくれる。ちょっとでも山にいる気分に浸れるから、毎朝必ずこれをやる。岩があるとすぐに飛び乗りたくなる性分と、岩の感覚を足の裏に残しておきたいという思いにも、よいバランスで満足感をもたらしてくれているのだ。

もう一度、話を戻す・・・ 奥には、何とかという白い花と何とかという黄色い花、それと赤白のナデシコや紫のサルビアなどが狭いスペースに咲いている。先にも書いたとおり、かなりボリュームが出てきて、もっとゆったりと植えてやれば良かったと悔いている。そのさらに奥に、ひまわりが十五本ほど種から出てきた。花の名前を思い出せないのと、花への思いとは比例していない。

この場所のひまわりたちは、日当たりもよく成長は著しい。頑張っているのである。カマキリの悪ガキどもに葉っぱをかじられたりしながらも、余裕を感じさせている。奥ではジョウロで水をやる。六リットル入りのジョウロで二回水をやるが、カマキリの悪ガキどもは水をまくと葉っぱの裏側などに身を隠したりする。そのあたりが、ちょっと人をバカにしたような態度に見えるので、時々カチンとくる。

ボクはもともと小さい頃からカマキリが好きだった。ハチなどの危険分子を、あの鋭いカマで突き刺し、誇らしげに掲げている様などは昆虫界の王者にも思えた。ボクの家の木の壁には、ところどころにカマキリの卵がある。それが解体されると、ちょっと言葉では表現しがたい光景が現れ、五ミリぐらいの透明感に溢れたカマキリの子供たちが、集団でどっと社会に出てくるのである。

そのうちのいくつかが、幸運なことにひまわりの葉っぱにたどり着き、居付いたのだろう。半月くらいの間に、幼かったカマキリたちは、すっかり声変わりも済ませたように大きくなっている。

ところで、我が家の周辺には何軒かでひまわりが植えられており、なぜか我が家から北の方にある家では、ほとんどが満開になっている。育て方がよいと言ってしまえばそれまでだが、我が家から南の方では、激しいひまわり戦争が勃発しているような感じで、ボクとしては何とか南地区のトップに立ちたいと秘かに力を入れているのである。

ライバルはN西さんだ。南側の最も近い場所にあるN西さんちの畑のひまわりも、うちと似たような状況で一触即発的状況だ。N西さんというのは家庭菜園の模範的成功者とも言うべき人で、奥さんと一緒に畑にいる姿は、日本の正しい家庭菜園夫婦といった感じだ。そういう人が育てているひまわりなので勝ち目は薄いのだが、“なでしこジャパン”のこともあるので、最後まで諦めないのだ。

というわけで、もうすぐ我が家のひまわりは確実に開花する。本当は開花した時に、その喜びを綴るのが普通だろうが、ボクの場合は今のこの緊張感が実にいい感じだ。だったら、ずっと咲かなければいいではないかと言われそうだが、そんなこともない。

もうすぐ七月もフィナーレだ。何とか八月に入る前に、開花してほしいのだが……なあ~

※ ひまわり村のひまわりたち・・・ 陽は西にあったが、ひまわりたちはなぜか東に向いていた・・・?


“ひまわりを待つ” への4件の返信

  1. そういえば…
    わが家の庭先に(勝手に)入って花の苗を植えてくださる
    お隣のオバさんを思い出しました。
    みすぼらしい庭を見かねて、植えてくださるのは有難いのですが
    枯らさないようにお世話をするのは結構大変ですね。
    それがエスカレートし、一時はお隣さんの庭みたいに花で埋め尽くされ
    まさにミニ庭園と化したものです。(余った苗なので凄かった)
    水を撒いていると、隣の塀からヒョッコリ顔を出して
    「植えておきましたよ~」と急に出てきます。
    「ワッ!」と一瞬ビックリしますが、そこをグッとこらえて
    「あ、ありがとうございます~」とご挨拶を交わせば
    ご近所トークにも「花」が咲くってわけです。

  2. 花とか野菜とかは、拒めないからな。
    でも、地球上の人がすべてそんな人だったら、
    凄いだろうなあ。
    花だらけになって、癒やされるのでは。
    花の好き嫌いはあるだろうけどね・・・

  3. おっと、忘れてた。
    エッセイは三日前に書いたのだが、
    今日の夜見たら、一本開き始めていた。
    でも、雨がひどい。
    太陽がもっと元気になってくれないと・・・

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