門前黒島で、いしるづくりを見る
朝九時、快晴。通い慣れた山里や海沿いの道を経て、また門前黒島へとやって来た。
クルマを角海家裏に止め、背伸びしながらまずは目の前の海に目をやる。猿山岬が鮮明に見える。先端の灯台も白く光っていた。
いつもお世話になっている黒島区長のK端さん宅へと向かう。相棒は学芸員・K谷だ。
歩き慣れた黒島の町中だが、すれ違う人の多さに新鮮な感じを抱く。といってもほんの数人のこと。朝だからだろうか。それとも秋になって過ごしやすくなってきたからかもしれない。皆さんが、おはようございますと、にこやかに声をかけてくれるのも嬉しい。
当たり前のことに気持ちがリラックスしてくる。
K端さんと行くのは、“いしる”を作っている作業場だ。ちょうど今が仕上げの段階で、瓶詰していく最終工程が見れるということだった。
K端さんから急な電話をもらってから、その日が空いていることにホッとして、他の予定は入れないようにした。
とてつもなく心弾む?仕事だ。角海家の蔵を紹介する映像システムに画像を補充するという重要な使命がある。
国道249号線、黒島は変則的な区域になっているが、国道の海岸沿いに、いしるや糠漬けなどを作る作業場が二軒並ぶ。大きい方の一軒はT谷さん、そしてもう一軒がその日お邪魔したSさんという作業場だった。
空気が澄んでいて空も海も青い。十月の下旬に入ったとは思えないほどの日差しもある。
クルマを降りると、すぐに独特の匂いが漂ってきた。外の窯に載せられた鍋から白い湯煙りが上がっている。
近付くと、匂いは明確に魚の風味をもったものと認識できるようになり、鍋で温められた液体の中から、アクのようなものを取る作業が続けられていた。
いしるについて今更説明する必要はないだろうが、この辺りでは、かつてほとんどの家庭で作られていたという。それぞれの家で特有の味があったとK端さんも話していた。
夏、黒島の老人たちに集まってもらい、昔の生活風景などを語ってもらった(その時の映像は角海家で見ることが出来る)が、この辺りのいしるの原料となるイワシに関する話は特に楽しいものだった。
その中でも“こんかいわし”の話には、老人たちの少年時代の思い出がいっぱい詰まっていた。
山へ薪拾いに行くのが仕事のひとつだったという少年たちは、目一杯詰め込まれたご飯に梅干しが入れられた弁当箱と、家で作った“こんかいわし”を持たされた。そして、昼どきになると枯れ枝などで火をおこし、その火で“こんかいわし”を炙ってご飯の上にのせ食べたという。
その光景を思い浮かべただけで、口の中に唾液が湧いてきて困った。
戦後すぐにはイワシの大漁が続いた。戦争から戻ってきた男たちはすぐにそのイワシを追って海に出た。浜辺にはイワシを捕る漁船が並び、大漁に沸いた。大漁は五年ほど続いたが、乱獲が影響したのか、そのままイワシ漁は終わりを迎える。
いしるは、イワシの最後のエキスみたいなものだ。新鮮で形のいいものは、当然そのまま食用となる。そして、少し傷のついたものはこんかいわしに加工される。さらにかなりひどい状態になったものが搾られて、いしるを出すのである。ついでに言うと、そのカスは肥料にもなった。
この作業場では、アクを取ってきれいになったいしるを、さらに布で漉(こ)し、それを一升瓶に詰め、出荷するという。一般の店には置いていないらしい。
訪れた作業場では、海外航路の船員を引退したKさんが一人で作業をしていた。すでに七十歳を過ぎているという。冬の寒い時季には腰を曲げたりしながらの辛い仕事だろうと推測でき、もう自分で終わりになるだろうという意味の話も聞かされた。
作業場は古い木造の建物だ。能登の大震災の時には激しいダメージを受け、修復のために長く仕事はできなかったらしい。
小さな電燈と窓外からの明かりだけが、作業場に生気を与えているが、その息を潜めた生気に逆にほっとしたりもする。
中で使われている樽やさまざまな道具類が、地道な仕事であることを物語る。こういう作業場でよく言われる菌の存在も、なるほどと肌で感じるほどだ。建物の梁や柱、そして積まれた樽などがナニモノかを醸し出している。
すでに新しい道具類で作られているところが多いらしいが、ここでは年季の入った道具が目立っていた。
外に出ると、日差しが眩しかった。屋根瓦も太陽の光を反射している。その上の青空には、ぼんやりと月が浮かんでいる。
この辺りの砂浜では、かつて塩も作られていた。今は観光化された塩田が輪島と珠洲にあるが、とにかく海の恩恵を受けられるものは何でもやっていた…と、海浜植物で埋め尽くされた作業場の裏を見ながら、K端さんが話してくれた。
一時間近い取材を終えて、Kさんに礼を言う。次は冬の作業の取材をお願いしますと申し込むと、ああ、またどうぞと、Kさんは笑って応えてくれた。
K端さんのクルマで黒島の町中をめぐり、角海家へと戻った。
のどかそのものといった真昼の黒島。日差しを受けた古い町並みは静寂に包まれている。そんな中での立ち話は三十分ほど続いた。
話題は角海家を中心としたこの地区の近い将来のことなどだった。相変わらずむずかしい課題が待つ。K端さんと別れて中に入ってからも、角海家に勤めるY内さんらと同じような話題になった。
自分自身も、まだその考え方が整理できず歯がゆい。そして、その歯がゆさはどんどんエスカレートしていくばかりだ。
もう一度日差しの中に出て、いつものように角海家横の石畳の道を、海に向かって歩いた。腹が減っていた。
K端さんも帰り際に言っていたが、何となく “いしるの匂い”が鼻から離れなかった……
いしるって、知ってるけど
味わったことないです。
作業場が凄いのでびっくり。
歴史みたいなものを感じさせます。
こういう伝統的なものが
どんどんなくなっていくんですね。
頑張れ、ナカイさん!
関係ないか?
能登の美しい景色を守るために、
たとえば原発をなくそうという人がいます。
けど、原発がなくなっても、
能登の美しい風景は残っても、
能登の人の営みは残らないかも知れない。
そんな思いが、無性に迫ってくるんですね・・・