秋の終わりの上高地を歩く


秋の終わりの上高地へと出かけてきた。

八月にも夏真っ盛りの上高地に出かけてきたが、その空気の違いに納得しつつ、どこか奇妙な感覚にもなった。

それは、秋の終わりなのに冬の始まりの匂いを感じなかったことだ。

かつて何度となく足を踏み入れた上高地だが、何かがおかしい。

これは当然上高地に限ったことではないが、大好きな山の世界のことなので、少々拍子抜けなのだ。

本来あっておかしくない雪は、奥穂高の稜線にわずかに薄らと載っかっている程度だった。

暖かくて、歩くには申し分ない。しかし…と、余計なことを考える。

河童橋の脇に立ち、岳沢から突き上げるようにして聳える穂高連峰を見上げた。青空の下に秋の岩肌が鈍い光を放っている。かつて秋の白馬で、岩肌に西日が当たる重厚な山容を目の当たりにしたことがあったが、今の穂高も陽を受けて美しい。

岳沢まで登って見上げれば、その雄々しさに言葉を失うだろうなあ…と、強く思う。

トイレを済ませて、すぐに小梨平から明神の方へと向かった。

梓川左岸の道は、左岸と言うほど川と接していない。鬱蒼とした森の中の道というイメージがメインだが、今は葉も落ちて裸木が無数に立ちつくしている。その裸木の肌を木漏れ日が浮かび上がらせる。

ひたすら歩いて、ひたすら秋の終わりらしい光景を探し、ひたすらファインダーを覗いてシャッターを切ることにした。

しばらく歩くと、明神岳のごつごつした山容がはっきりしてくる。

かつて、そのゴリラの顔のような山容に親しみを抱き、じっと見上げていた場所があった。その場所がかつてのようなのどかさを失って荒れている。自然の世界では不思議なことではない。

河童橋から約一時間。明神池の入り口に建つ「明神館」の前の陽だまりで昼飯を食った。

そして、明神館の売店に入る。シーズンも終わりに近く、中はがらんとしている。スタッフらしい若い女の子に、明神館名物?の手ぬぐいがあるかと聞いた。ありますよという元気な声が返ってきた。ずっと欲しいと思いつつ、買い込んでなかった手ぬぐいだ。ようやく手にして、何だか妙に嬉しくなった。

明神池は秋の真っ盛りをとうに過ぎていた。

美しいが、さらに美しい秋の風景を知っている。だが、この風景もまた明神池だ。

背後の山をくっきりと映し込む穏やかな水面をマガモのツガイが泳いでいた。しばらくすると、すぐ足もとまで近付いてくる。人慣れしたマガモにこっちが照れる。

午後に入って、空が曇り始めてきた。

河童橋に向かって、右岸の道を戻ることにする。

途中、上高地の名物ガイドだった上条嘉門次ゆかりの「嘉門次小屋」があるが、以前より拡張して大きくなっていた。囲炉裏から流れていた煙など見えない。

道はぐねぐねと曲線を描いたりしながら、梓川に近付いたり離れたりを繰り返す。

夏は多くの人のすれ違いでうんざりする木道も、ゆったりと歩けて、気の向くままにカメラを構えたりしている。

周囲を見回す視線もゆったり、そのせいか枯れ木や倒木などの造形や、沢のせせらぎの変化などに敏感になれる。

こんな開放的な気分に浸れる上高地は何年ぶりだろうかと考えた。

上高地を通過点にしていた時期。朝早くに急ぎ足で歩いていた頃にも、たしかにゆったりとできる時間があったはずだが、その頃は目的地が山だった。今いるような場所への関心は薄らいでいた。

時も過ぎて、今は上高地の別な顔を見出している自分に納得している。

ブラブラと歩きながら、時折道から少し離れてカメラを構える。それを繰り返しているうちに河童橋へと戻ってきた。

見上げる穂高連峰は、西穂高から流れてきた雲によって、奥穂高あたりまでが姿をぼかし始めていた。

人のいない河童橋を渡り、もう十分だと、五千尺のカフェでコーヒーを飲んだ。

窓際に座ると、ガスに巻かれた穂高の山並みが見えていた。

今回の上高地で、強く思ったことがある。それはこれからもずっとここへ通おうということで、あらためて自分の原点みたいなものが上高地にあるような気になった。

文句なしに美しく雄々しいものを前にした時、ニンゲンはひたすら素直になれることを、いい歳をして再確認した。

上高地…。相変わらずいい響きなのだ……

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です