カテゴリー別アーカイブ: 写真ばかり編

冬晴れゴンゲン森の浜にて

正月が過ぎたあとにまたやって来た連休。その中日。

内灘で言うと海の方の空が、みるみる明るくなっていく。

しばらくすると、海の上の空が青で占められるようになっていた。

カメラを持ち、フリースを羽織っただけで外に出る。

まずは放水路付近からの海岸を眺め、そのあとにゴンゲン森の浜辺におりた。

風が強い。海は荒れて、波しぶきが舞う。浜では砂が飛んで顔に当たる。

カメラを構えると、体が揺れた。

なかなか安定した態勢が取れなまま、我慢しきれずにシャッターを押してしまう。

黒いマントのようなものを着たオトコが一人、砂浜をずっと歩いていた。

激しい風にあおられて、マントが翻ったりしている。

身体が右へ左へと傾き、時々大きく態勢を崩したりしている。

一時間ぐらいいただろうか?

頬も耳も手の指先も、みんな冷たくなっている。

今年初めて、海と相対した午後だった……

秋の終わりの上高地を歩く

秋の終わりの上高地へと出かけてきた。

八月にも夏真っ盛りの上高地に出かけてきたが、その空気の違いに納得しつつ、どこか奇妙な感覚にもなった。

それは、秋の終わりなのに冬の始まりの匂いを感じなかったことだ。

かつて何度となく足を踏み入れた上高地だが、何かがおかしい。

これは当然上高地に限ったことではないが、大好きな山の世界のことなので、少々拍子抜けなのだ。

本来あっておかしくない雪は、奥穂高の稜線にわずかに薄らと載っかっている程度だった。

暖かくて、歩くには申し分ない。しかし…と、余計なことを考える。

河童橋の脇に立ち、岳沢から突き上げるようにして聳える穂高連峰を見上げた。青空の下に秋の岩肌が鈍い光を放っている。かつて秋の白馬で、岩肌に西日が当たる重厚な山容を目の当たりにしたことがあったが、今の穂高も陽を受けて美しい。

岳沢まで登って見上げれば、その雄々しさに言葉を失うだろうなあ…と、強く思う。

トイレを済ませて、すぐに小梨平から明神の方へと向かった。

梓川左岸の道は、左岸と言うほど川と接していない。鬱蒼とした森の中の道というイメージがメインだが、今は葉も落ちて裸木が無数に立ちつくしている。その裸木の肌を木漏れ日が浮かび上がらせる。

ひたすら歩いて、ひたすら秋の終わりらしい光景を探し、ひたすらファインダーを覗いてシャッターを切ることにした。

しばらく歩くと、明神岳のごつごつした山容がはっきりしてくる。

かつて、そのゴリラの顔のような山容に親しみを抱き、じっと見上げていた場所があった。その場所がかつてのようなのどかさを失って荒れている。自然の世界では不思議なことではない。

河童橋から約一時間。明神池の入り口に建つ「明神館」の前の陽だまりで昼飯を食った。

そして、明神館の売店に入る。シーズンも終わりに近く、中はがらんとしている。スタッフらしい若い女の子に、明神館名物?の手ぬぐいがあるかと聞いた。ありますよという元気な声が返ってきた。ずっと欲しいと思いつつ、買い込んでなかった手ぬぐいだ。ようやく手にして、何だか妙に嬉しくなった。

明神池は秋の真っ盛りをとうに過ぎていた。

美しいが、さらに美しい秋の風景を知っている。だが、この風景もまた明神池だ。

背後の山をくっきりと映し込む穏やかな水面をマガモのツガイが泳いでいた。しばらくすると、すぐ足もとまで近付いてくる。人慣れしたマガモにこっちが照れる。

午後に入って、空が曇り始めてきた。

河童橋に向かって、右岸の道を戻ることにする。

途中、上高地の名物ガイドだった上条嘉門次ゆかりの「嘉門次小屋」があるが、以前より拡張して大きくなっていた。囲炉裏から流れていた煙など見えない。

道はぐねぐねと曲線を描いたりしながら、梓川に近付いたり離れたりを繰り返す。

夏は多くの人のすれ違いでうんざりする木道も、ゆったりと歩けて、気の向くままにカメラを構えたりしている。

周囲を見回す視線もゆったり、そのせいか枯れ木や倒木などの造形や、沢のせせらぎの変化などに敏感になれる。

こんな開放的な気分に浸れる上高地は何年ぶりだろうかと考えた。

上高地を通過点にしていた時期。朝早くに急ぎ足で歩いていた頃にも、たしかにゆったりとできる時間があったはずだが、その頃は目的地が山だった。今いるような場所への関心は薄らいでいた。

時も過ぎて、今は上高地の別な顔を見出している自分に納得している。

ブラブラと歩きながら、時折道から少し離れてカメラを構える。それを繰り返しているうちに河童橋へと戻ってきた。

見上げる穂高連峰は、西穂高から流れてきた雲によって、奥穂高あたりまでが姿をぼかし始めていた。

人のいない河童橋を渡り、もう十分だと、五千尺のカフェでコーヒーを飲んだ。

窓際に座ると、ガスに巻かれた穂高の山並みが見えていた。

今回の上高地で、強く思ったことがある。それはこれからもずっとここへ通おうということで、あらためて自分の原点みたいなものが上高地にあるような気になった。

文句なしに美しく雄々しいものを前にした時、ニンゲンはひたすら素直になれることを、いい歳をして再確認した。

上高地…。相変わらずいい響きなのだ……

 

ススキの滝と、一宮海岸の夕焼け

羽咋市滝町から柴垣へ抜ける道沿いの田園地帯は不思議な場所だ。奥に見える日本海と、さらにその上に広がる空とのバランスが、切ないくらい?胸に迫ってくる。

ボクにとっては、どこかの島にいる雰囲気だ。北海道の微妙な記憶とも重なる。

夏は夏らしく、青々とした草原のような輝きを放って生気に満ちたいい風景なのだが、秋口もまた、ぐぐっとくるほどのシンプルないい風景を創り出している。特にススキが生い茂る頃には、どこか幻想的なムードも漂わせ、誘い込まれていくような感覚に陥る。

背景に海があるからだろう。

午後から輪島へと向かったある日の夕方、帰りも遅くなったついでに、無理やり寄ってみることにした。

柴垣の町を過ぎ、左手奥に妙成寺の五重塔をかすかに見ながら進むと、しばらくして右手がパーっと開放的になる。その開放的な空間が過ぎる頃に、国道から滝(海)の方へと下る狭い道があり、その道へと入っていく。

左手は滝の住宅地。右手は農地。右へ入る最適な道を探しながら、小さな道があるたびに覗きこむ。何本かをやり過ごして、田圃の方に伸びた狭い道にハンドルを切った。何が決め手だったのかは、自分でも分からない。

実際にその場へと入っていくには勇気が要った。道が農作業用の様相に変わり、轍(わだち)の中には雑草が伸びたままになっている。その辺りまでクルマを乗り入れると、ちょっとした緊張感も走った。

  クルマを下りて、歩いてみることにする。道沿いに揺れるススキは、ほとんどがボクの背丈より大きい。海に向かって真っ直ぐな道の果てには太陽がある。

その太陽の下で、日本海が光っている。昼間で時間があれば、この広い空間を歩きまわりたいのだが、ススキの穂が揺れ、今は妙に切なさも募ってきた。

クルマに戻り、すぐ横にあるポケットパークに入った。その辺りからの眺望もかなりいい。思い切って来てみて、よかったと納得している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま滝港口から海岸の方へと向かった。

ここまで来れば、やはり滝・港の駅に寄っていくのが正しい人の道だ…。

と思って、海岸線に出ると、海がまた激しく美しかったりする。

まずやはり、写真なのだ。このまま素通りするわけにはいかないのが、正しいカメラマンの道でもあることにする。

贅沢なくらいに大きな駐車場の、いちばん海に近いところにクルマをとめた。ここから見上げる空は本当に気持ちがいい。左右にひたすら広がっている。

  海に向かって歩く。海浜植物の中に漂流物が散在する砂の上は、革靴では歩きにくいが、そのうち植物も途切れると砂浜は急に歩きやすくなる。

ここはやはり、千里浜と同じような地質なのだろうか。気持よいくらいに弾力的な砂の感触が靴底から伝わってくる。

太陽がゆっくりと落ちていくところだった。すぐ沖にいる二艘のヨットも、ハーバーに戻ろうと向きを変え始めていた。

シャッターを押しながら、その度にふーっと息を吐く。波の音もほとんど聞こえないくらい穏やかな浜辺に、逆に息を殺したりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりの浜辺は、「一宮海岸」と言うらしいことが、近くの案内板で分かった。

今まで単に滝の海岸と言う認識でいたのだが、そのネーミングの方が何となくいい感じがしないでもない。そう言えば、近くの廃校になった建物も旧一宮小学校だったことを思い出す。

ほんのしばらくで、 二艘のヨットもハーバーの中に消えた。ひたすらとにかく夕陽を見るだけとなった。

風景が止まったように見えるが、太陽は確実に移動している。

水平線のオレンジ色も少しずつだが狭くなっていく。またしばらくして、駐車場の方に戻ることにした。

ふと足元を見下ろすと、砂の上に靴底の跡がくっきりと浮かび上がっている。さらに目を前に向けると、砂の上に長い自分の影も伸びている。

 クルマに戻り、あわてて港の駅へと向かったが、店の中の電気がぼんやりと弱い光を放っているだけだった。人影も見えない。

最近食ってない激しく美味な油揚げが、お預けとなって瞼の裏から消えていく。O戸さんの顔もしばらく拝見していない。

わがままで、人の道からはずれた自分を反省した………

久しぶりに上高地を歩く

かなり久しぶりに上高地に行ってきた。盆の休みに入る前、どこか予定は?と聞かれ、何もないと軽く答えたら、それはナカイらしくないと言われた。その言葉がグサリと胸に突き刺さった。やはりそうだよなと軽率な返答を反省し、それなら久しぶりに上高地にでも行くかなと、五秒ぐらいの間に決めた。

上高地は最近ずっと気になっていた場所だ。二十代の頃には春の終わりから本格的な夏の始まりの頃合いを見て、いつも足を運んでいた。多いときには、一ヶ月に五回ほどは通った。それくらい上高地が好きだった。

初めは上高地の平らなエリアを歩きまわり、梓川の美しさと樹林帯の静寂、穂高連峰など山々の圧倒的な姿に酔いしれた。平らなエリアだけでも、ほぼすべて歩いて元の位置に戻るまでには、八時間くらいかかる。早朝に着いて、夕方に上高地を出る。当時はマイカー規制のない期間があり、その期間を中心にして精力的に出かけていた。楽しい時間だった。

慣れてくると、歩きまわることよりも、どこかでゆっくりと時間を過ごすことの方に楽しみを感じるようになっていった。

特に誰もいない梓川の河原に出て、せせらぎを聞きながら山並みを眺めている時間は最高だった。想像を働かせていると、江戸時代、上高地で働いていたという樵(きこり)たちの声が聞こえてくるような気がした。新田次郎の『槍ヶ岳開山』に出てくる、槍ヶ岳の初登頂者・播隆(ばんりゅう)上人たちの一行が、近くを通り過ぎていくような気配を感じ、思わず振り返ったりもした。

それらをもたらしていたのは、空気だった。あの時ボクの周りにあった空気は、時代や日常という感覚を超越していたように思う。ボク自身が過敏になり、それを求めていたということもあろうが、そういう空気を自分が歓迎していたことは間違いない。

上高地に通ううち、途中から山深くに入るようになり、上高地は通過点みたいになっていく。それでも早朝や夕方の上高地は新鮮だった。朝は快調に早足で河童橋を出発し、そして疲れ切った翌日の夕方は、開き直りの早足で横尾からの道を戻った。

忘れもしない穂高初山行の時には、梅雨明け直後の晴天の下、一泊二日では厳しいスケジュールにも関わらず、無理やり睡眠時間を短縮して歩きとおし、放心状態で下山してきた。梓川の水が憎たらしいほど美しかった。

横尾から徳沢という場所までの道すがら、ボクは真剣に靴もソックスも脱いで、川の中に入って行き、そのまま河童橋付近までザブザブと歩いて行きたいと考えていた。今で言う熱射病に近い症状だったのだろうが、確かに飲み物というとビールとコーヒーばかりで利尿効果抜群、体内にはあまり水分は残っていなかったのだろう。冷静な思考力などおこるはずがない。

完璧なヤケクソ状態のまま河童橋までたどり着いた。が、休憩はせず、そのままバスターミナルまで進んだ。その頃のボクは休まない登山者だった。たとえば、三、四時間くらいであれば、一度も休まずに歩くということは全く普通だった。

だいたいコースには決まって休憩地点がある。しかし、そこには決まっていくつかのグループがいる。単独であるボクは、ついついそんな場所を避け、もうちょっと先で気ままに休もうと思うのだが、なかなかそんないい場所はない。そのうち休憩などどうでもいいと思うようになり、どんどん行ってしまう。そんなことを繰り返すうちに、ボクは休憩しない登山者になった。しかし、これはよくない。体力を消耗するだけだ。

上高地の思い出にはきりがない。自分でもおかしく思えるくらいに、ひとつひとつが鮮明だ。そしてもうひとつ大切で鮮明なのは、上高地周辺での思い出だ。忘れられないのが、上高地への長野県側からの入り口である沢渡(さわんど)の土産物屋さん。かつて毎年のように立ち寄っていたその店は、いつの間にか店じまいしていた。

長身で上品そうな店の奥さん(その頃からおばあさんだったが)の顔は、今でも何となく覚えている。初めて店に入った時、タバコ吸ってもいいですか?と、ボクが聞いたことから会話が始まった。そのことを奥さんはずっと覚えてくれていた。旦那さんが亡くなり、店の営業範囲が狭くなり、それから数年したら店は閉じられていたと記憶する。

そして、上高地への岐阜県側からの入り口、平湯温泉までの道にある上宝村の風景もまた忘れられない。今回もその素朴な風情に触れてきた。

久しぶりにやって来た上高地は、やはり美しかった。人が多いこと以外は、文句のつけようがないくらいに素晴らしく、さすが上高地だなあと嬉しくなった。河童橋横の五千尺さんは見事に今風に変身していて、今では「いなりうどん」を頼むような野暮なことは言えず、と言っても、登山者のニーズに応えるかのような「山賊定食」などを提供するあたり、これもさすがだなあと思ったりした。

とりあえず定番のような大正池~河童橋コースを歩かせていただいた。どこかによそよそしさを感じたりしたのは、いつも大きなザックを背負い歩いていた自分とは違う身軽さのせいだったのだろうか。何となく、穂高連峰が遠い存在に思えた。

ただ、少しずつ雲が出始めた空を見上げ、雨の気配を感じ、バスターミナルまで急いだあたりは、まだまだ山の感覚が残っていると嬉しくなったりもした。バスターミナルに着いた途端、山特有のスコールがやって来たのだ・・・・・・

写真エッセイ「雨の大原にて・・・」

 

 娘たちが京都の大学に行ったおかげ?で、ここ何年かの間に京都は行き尽くしていたと思っていた。ところが、一ヶ所だけ、はるか昔に行ったきりのところがあることを思い出した。それが、麗しの大原の里だった。

 大原には二十代の頃から何度となく来ていた。司馬遼太郎の『街道をゆく』の影響を受けて、福井の方から朽木(くつぎ)街道を下って大原に入るという渋いコースを知っていた。今では鯖街道と言って立派な道になっているらしいが、その頃はバスとすれ違うのもやっとというところがあった。途中で飯を食うようなところもほとんどなかったと思う。それがまたよかったのだが……

 朽木街道は、織田信長が越前の朝倉の軍勢に敗れて京都まで逃げ帰ったという、信長にしては屈辱の道だった。かねてから武田信玄を深く愛してしていたボクは、その話だけでも痛快な気分になり、その街道を走ることに快感さえ覚えていた。

 その街道を使って、大原や比叡山に何度も来るようになると、今度は大原を起点にした新しい道を求めた。すると、司馬遼太郎の『街道をゆく』は、すぐにまた新しい楽しみを教えてくれた。それは大原から鞍馬に抜けるという、その時のボクとしては画期的な新しいルートの発見であった。

 杉木立の中の細い一本道。地図には点線で表記され、地元のバスの運転手もほとんど知らないと言った。その中で、ひとりだけあの道ではないかと教えてくれた人がいた。教えてもらったとおり思い切って行ってみると、素晴らしい雰囲気のある道だった。地元の林業関係者が主に利用するという細い道で、交差する場面が来てしまうのを恐れながら進んだ。が、杉木立の道では一台もすれ違うクルマはなかった。道は杉木立の中を過ぎると、シャクナゲの咲くのどかな雰囲気に変わっていた。シャクナゲが咲くところには霊が漂っていると、司馬遼太郎は書いていたが、そのことでボクは意味もなく息を殺していたように思う。空は晴れていて、無性に暑いという印象だけがあった。今と同じような季節だったのだ。

 それからとにかくひたすら走り、山里のさまざまな風景と地元の人々の表情を見ながら進んだ。鞍馬への道に出て、その日の最終目的地である嵐山に着いたのは夕方だったと記憶する……

 大原には細かい雨が降りはじめていた。初めて訪れた時も雨だったかも知れない。寒かった。湯豆腐を食べて暖まった記憶がある。今回、その雨が大原のよさを助長してくれた。京都市内から初めてクルマで入ったが、北山からは意外に簡単に着いてしまうのでびっくりした。驚いたのはもうひとつ、三千院の庭の凄さだ。雨ではあったが、こんなにゆっくりと歩いたのは初めてだったと思う。三千院までのアプローチの道も静かでよかった。

 帰り道、盆地の真ん中あたりに立って見回すと、大原の里は小雨に洗われたように静かな時間を刻んでいた。やはり、京都は深い。自分次第で、そのことの価値観を認められる。のんびりと周辺を眺めていると、京ことばのやさしい響きが耳に届いてきた。

 雨、あがったみたいどすなあ……

写真エッセイ「やっぱり今頃は、白川郷だな・・・」

 

今どきの季節には、決まって五箇山や白川郷あたりに出掛ける。目的はたっぷりの山里の新緑と、雪解け水のせせらぎと、水田や畑などののんびりした風景が、とにかくこれでもかと楽しませてくれるからだ。

今年はちょっと遅めで、かなり焦りの日々を送っていた。特に水田には機を逸したかも知れないという諦め感もあったのだが、全く落胆することはなかった。

出掛ける前までは、その日の最初の目的地が五箇山なのか白川なのか、明解ではなかった。特にいつものことなので、どうってことはないのだが、北陸道から東海北陸道に入り、五箇山インター手前で突然白川郷に決まった。奥から戻るというのもいいのではないかと思ったのだ。

白川郷にはもう数え切れないくらい来ているのだが、今回初めて全域を歩いたような気がする。集落の、山手にあるちょっと高台の道や、展望台にも歩いて初めて登った。

世界遺産になってからは、とにかく賑やかになったようだ。アジアの集団旅人たちでいっぱいだ。お店もひたすら増えていく。しかし、ユニークな店がたくさん出来て、自然に歩く距離も延びたのかと思ったが、そうでもなく、昔からのんびりと歩いていたエリアとあまり変わりはないのでホッとしたりもしている。

このあたりは真冬以外はすべての季節に来ている。それぞれにいいが、この時季が最も好きだ。この時季の季節感を味わうのには、白川・五箇山がいちばんだと思う。大らかで、文句のつけようがない。人が少ない方がいいなあと思ったりもするが、まあ仕方ないだろう。そういうわけで、今年もまたやって来ましたといった感じの白川郷なのであった・・・・・・・・

「 JAZZ AT 紺屋坂 vol2 」スナップ集

熱演する出演者たち。みな、なかなかいい顔してる。

■金沢工業大学軽音楽部「MAJO」

■金沢ラテンジャズオーケストラ

■金沢市立兼六中学校吹奏楽部

■石川県立工業高校吹奏楽部

■デキシー・ユニオン・ジャズ・バンド

■アイユール