カテゴリー別アーカイブ: 飛騨のこと編

晩夏っぽい初秋の白川郷雑歩

 

 思い立ったように、家人と白川郷へと向かう。

 若い頃の思い立ったという状況には、ときどきクルマを走らせてから咄嗟に決めるということがあったが、齢を食うと、そんなことはほとんどない。

 今回は、なんとなくアタマの中でどこへ行こうかと迷いつつ、前夜のうちにほぼ決めていた。ただ、なかなか踏ん切りがつかず、一応朝決めたみたいな状況になったために、“思い立ったように”と書いたまでである。

 そういうことはどうでもよくて、久しぶりの白川郷は、まずとにかく暑かった。

 木陰も気持ちよかったが、歩いている途中で見つけた休憩所になった旧民家の畳の間も気持ちよくて、横になっていると、そのまま浅い昼寝状態に落ちていった。

 最初は我々だけだった。しかし、我々の気持ちよさそうな姿を見つけた往来の観光客たちは、当然のように、しかも怒涛の如くなだれ込んで来て(ややオーバーだが)、しばらくすると、かなりの混み具合になっていたのだ。

 さすがに世界遺産・白川郷なのである。

 今回も金沢から福光へと抜け、城端から五箇山へと山越えし、岐阜県に入ったり富山県に戻ったりを繰り返した。途中、五箇山の道の駅「ささら館」で昼飯を食べた。

 ささら館の店では久しぶりに岩魚のにぎり寿しを食べたのだが、早めに入ったおかげで、ゆとりのある昼食タイムになった。あとからあとからと客が入って来て、一時ほどではないにしろ、相変わらず高い人気であることがうかがえる。

 初めて来たのは、NHKの人気番組で紹介された後だった。あまりの客の多さに、店員さんたち自身が怯えているように見えたほどだった。

 白川郷に着いても、特に焦って動くほどでもなく、駐車場の奥の方にあったスペースにクルマを置いてゆっくりと歩きだす。

 庄川にかかる長い吊り橋には相変わらずすごい人が歩いている。真ん中が下がって見えるから、人の多さに吊り橋が緩んでいるのかと錯覚してしまうほどだ。言うまでもないが、実際にはそんなことはない。

 9月の終わりだからコスモスが目立つ。

 最近見なくなっていると、自分の尺度で珍しがっている。

 街なかの住宅地の空き地にコスモスが植えられていると、そのことが「しばらくここには家は建ちません」といったお知らせ代わりになっている…そんな話をこの前聞いた。

 コスモスはやはり高原とか、畑地に咲いているといったイメージがあり、ボクにはそうした場所で見るコスモスに強い親しみを感じたりする。だから、住宅地に無理やり凝縮型に植えられたコスモスを想像すると、なんだか情けなく感じる。

 そういえば、いつか能登の道沿いで出会ったコスモスのいっぱい咲く畑に居たおばあさんはまだ元気だろうか……と、白川郷のおばあさんを見ながら、能登のおばあさんのことを思い出したりした。

 もう何度も来ているから、白川郷のほとんどの場所は行き尽くしている。見学できる有料の合掌家屋なども、世界遺産になる以前に入っていたりするから、今さらながらだ。

 そんな中でまだ入ったことのない(であろう)一軒の家屋を見つけた。

 今回は特にメインの道というよりも、田んぼの畦に近いような脇道を歩いていたせいだろうか、その家屋はふと今まで見たことのなかった視界にあった。

 地元の人ではないような?… 都会的な匂いのするスタッフがいた。てきぱきと受け答えをし、忙しそうだったが、この家が生活の場でもあると確認し、ああやっぱり白川郷だなあと思った。

 世界遺産になって初めて訪れた時、こんなにも違うのかと、目を疑うほど観光客が増えていたのに驚いた。ちょうど今回と同じような夏の終り頃だったと思う。

 そして、集落の中を歩いていた時、部活から帰ってきたらしい中学生の女の子が、畑にいた母親の手伝いをしに行く様子を見た。

 すぐそこにあるといった日常の光景だった。

 周囲には自分も含めた観光客たちが、かっこよく言うと非日常を求め彷徨っている。しかし、その母娘の姿はまぎれもない白川郷の日常だった。

 もともと、日常が見えるからこそ旅は面白いのだという感覚があった。この集落を歩く時にも、なんとなく地元の人たちの日常を探すようになっていた。

 ずいぶん前のことだが、年の瀬の木曽で、年の瀬らしい日常を見せつけられ、独り淋しい旅の夜を過ごしたことがあった。学生時代の帰省と合わせた旅であったから、そこで見せられた民宿の中の日常の光景に望郷の念(大袈裟だが)が高まったのかもしれない。

 若かったが、冷たい冬の空気が体の芯にまで沁みていた夜だった。

 旅人が非日常を求めるというのは、そこで暮らす人たちの日常を見るということだとよく言われたが、それはさりげなくであるのがいい。

 ただ、自然などの普遍的なものとともにある生活様式も、時代とともに変化して当然だ。

 中学生の女の子が着ていた、どこででも見るような体操着。母親のおしゃれな帽子。どれもが日常である。

 暑さも増した午後、水田では稲刈りが普通に行われていた。

 こちらはただその場を通り過ぎていくというだけでいい。なんとなく感じるものがある。

 白川郷でいつも新鮮な思いを抱かせてくれるのが“水”だ。特に暑い日には、道端のその流れの様子そのものが爽やかさを伝えてくれる。

 道端の水が勢いよく流れているのを目にすると、その土地の豊かさを感じる。どこの山里でも同じで、それは単に農業や生活への恵みなどといったものを超越した豊かさのように思える。水の持つパワーは偉大なのだ。

 何気なくといった感じで、白川郷を訪れ、何気なくといった感じで白川郷を後にした。

 いつも立ち寄っていたコーヒー屋さんが閉まっていたのを、行くときに見ていたので、どこかで新しいコーヒー屋さんを見つけようと思っていたが、果たせなかった。

 国道を走ると、高速への分岐を過ぎたところで喧騒が消える。

 走っているクルマは極端に少なくなる、特に五箇山方面は。

 静かな五箇山の、村上家の近くで、ソフトクリームを食った。

 家人は「美味しい」を連発していた。自分もまあそれなりに美味いと思い、適当に相槌を打っていた。

 神社ではお祭りの準備が整っている。こきりこの祭りだ。 

 慌ただしそうで、それなりにのんびりとした時間が流れているなあと思っていた………

いつの間にか、郡上八幡仕様になっていく

 一年二ヶ月ぶりに郡上八幡へとやって来た。

 数日前までは、長野の小布施へ行こうかと考えていたのだが、何となく“栗おこわ”が頭に浮かび、口の中がごわごわする感触に襲われたので、水の綺麗な郡上八幡に変更したのだ。妙な理由だ…

 出るのが遅かった。一週間前、桂湖まで行っており、同じ東海北陸道を走ったのだが、郡上八幡は五箇山よりはるかに遠い。

 白川を過ぎて、荘川も過ぎて清見も過ぎる。ひるが野も過ぎ、さらに行かないと郡上八幡には着けない。

 分かっていたはずなのに、到着時刻が正午前になったこともあってか、随分と時間を要した気になる。

 さらに、途中の山中における黄葉たちの美しさが一級品であったこともあって、その美しさを堪能できないまま、通過していくもどかしさにも苦しめられている。

 ようやくにして郡上インターに下りると、すぐに城山へと向かった。

 ただ何となく、“まず一番高いところへ”となったわけだ。

 途中の無料駐車場にクルマを置き、歩く。

 紅葉はまだ早いが、黄葉はまずまずかな? と思いつつ坂道を上ると、ほどなくして城の入り口に着いた。

 もう少し時間がかかった方が、その土地への順応作用的には良かったのだが、これもまあまあ素っ気なくやり過ごしてしまった。

 城の中には前に一度入っているので、今回は周辺をぐるりと回るだけにした。

 ボクはどうも城の中を見るのは好きではない。城は外から見るのがいいと思っている。

 それはどこの城に行っても同じだ。中はあまりにも味気ない。

 引っ切りなしに、たくさんの観光客が登って来るが、とりあえず下ることにする。

 クルマで街へと下り、すぐ下の安養寺という寺の境内にある駐車場に入った。ここは有料(500円)。

 係のおじさんたちが、丁寧に対応してくれるのがいい。

 まずはやはり腹ごしらえということになり、芸もなく前回と同じウナギを食わせる店に入った。

 待ち時間は十分くらいだったろうか。

 席に着くと、さっきまで気にかけていなかった大声でバカ笑いする一団が気になり始める。

 ウナギ丼を食いながらも、突発的に起こる超が付くくらいのバカ笑いに、一瞬自分は何を食しているのかさえアタマから消えそうになったりする。

 話を聞いていると、村の消防団秋季慰安会・宴会翌日の昼食編だということが分かってきた。

 少々は大目に見てやるかと思いつつ、警戒しながらの「ウナギ丼定食」が終わった。

 さて、どこへ行くか? ここからが勝負だ。心身ともに、まだ郡上八幡が沁み込んでいない。

 とりあえず左へ。だいたいは見ているようで、まだ見ぬところもまだまだありそうな感じなのだが、深くは考えない。

 左の方向、つまり吉田川に向かうことにする。

 橋の上からの見慣れた景色にあらたな満足を得て、川べりへと下る。

 見慣れた水の美しさにも、あらためて満足。

 のどかな生活感にも、あらためて満足。

 郡上八幡の郡上八幡たるところは、こんなさまざまな要素の見事な調和にあるなと、ここでまたあらたな満足が生まれる。

 川べりから旧庁舎記念館の前に上ると、たくさんの人たちが行き来している。

 慈恩禅寺という庭の美しい寺があるという案内板を見つけて、そこはまだ見ぬ郡上八幡だなと行ってみることにした。

 記念館の後方に回る。ふと見ると、寺とは違う方向に「いがわこみち」という小さな案内が出ている。

 当然、そこもまた、まだ見ぬ郡上八幡。行くしかない。

 名前の由来は分からないが、そこは家々の裏側を流れる小さな用水に沿った、文字どおり小さな道だった。

 途中から流れの中に大きな鯉が何匹も、かなりの数で泳いでいるのが目に入ってきた。

 美しい流れと鯉のコラボ、どこにでもありそうなセッティングだが、この狭い空間を縫うような流れはちょっと違う世界を創出してくれる。

 小太りの観光オカアサンが、何だか怖いわねえと呟いた意味も分からないではない。

 夜、独りで歩いていて、鯉たちがドドッと動いたりした時のことを想像すると、驚くだろうなあとも思う。

 しかし、ほんの数十メートルしかないこの空間には、郡上八幡の郡上八幡たる何かがあるように感じて、しばらくこの場を離れたくなくなった。

 もう一度入り口に戻って、慈恩禅寺へと向かう。

 わずかに上り気味の小路を歩くと、ちょっと広い通りに出た。

 広いと言っても、クルマがやっと交差するくらいの通りで、軒下にぶら下がった「常磐町」と書かれた古い看板に目がいく。

 長屋風の町家、この辺りは昔、郡上八幡城下の足軽町だったところだろうと想像。

 金沢城下の見事な足軽町のことを思い出したが、今は百万石の足軽たちの恵まれた境遇など考えていても意味がない。

 左右をじっくりと見てから、また小路に入り、慈恩禅寺をめざす。

 いや、郡上八幡では、「めざす」などとは言ってはいけない。

 のんびり歩いていれば、いずれそのうち着いてしまうのだから、めざさなくていい。

 徐々に郡上八幡仕様になってきたなと嬉しくなる。

 あっ気なく慈恩禅寺前に着いた。

 いや、郡上八幡では「あっ気なく」などとも言ってはいけない。

 では何と言えばいいのかと問われると困るのだが、「さり気なく」か、「気が付いたら」みたいなところだろうか。

 石段のすぐ奥に山門があり、その右手前に「鍾山(しょうざん)慈恩護国禅寺」と彫られた石柱が建つ。

 山門をくぐると、すぐ参道は左に曲がりその奥にまた山門がある。

 鐘楼を見上げると、その屋根の先を飛行機雲が伸びていた。

 庭を見るのは有料(300円)なんですが…と、申し訳なさそうに係の女性が言う。さらに、撮影も禁止だとのこと。

 そんなことぐらいなんだ…と、毅然とした態度で入らせていただく。

 腹の中では、これでつまらない庭だったら覚えてろ的な思いも芽生えつつあるのだが、そこも冷静に対応する。

 そして、その後……、驚く。あるいは息を止める。さらに感嘆する。

 なんと美しい光景なんだろうと、まず畳の上に腰を下ろし、それから縁側の方へと進み、さらに部屋の奥へとまた下がり、いろいろとビューポイントを変えながら、その庭や部屋の雰囲気に浸った。

 特にボクの好きなビューポイントである、部屋の奥から部屋と庭を観るというシチュエーションには、果てしなく参った。

 残念ながら写真撮影が許されていないので、読み手の皆さんには、とにかく行ってみてくださいと言うしかないのを許していただきたい。

 高速代やらウナギ丼代やらと、いろいろと出費もあるが、この寺の庭は実に見事、背景の巨岩や大木や滝、さらに庵の風情など文句を言ったら罰が当たる。

 いい場所と出会えたことの喜びを噛みしめ、本堂でお参りし、仏様に感謝しながら慈恩禅寺を後にする。

 そしてまた、町をぶらぶら。

 有名な食品サンプルの店は、相変わらずの人気だ。

 奥の壁にギターが飾られた、以前から気になっている楽器屋さんには、今日も客がいない。

 郡上八幡で楽器屋を営むというのはかなり無謀なのではと、前を通るたびに余計なお世話的な心配をしてしまうが、多分しっかりと本業があったりするのだろう。

 そんなことなどを思いながら歩いていると、心持ちは、カンペキに郡上八幡仕様になっている。不思議だが、やはり、いい町なのだ……

秋の定番・桂湖にまた行く

五箇山から白川村へと向かう途中に、桂湖への道がある。

一気に高度を稼ぎながら境川ダムまで登り、あとは湖を見ながら水平に進むと、湖畔の公園が見えてくる。

家からだと、金沢森本インターから北陸自動車道、東海北陸自動車道を経て、一時間強もあれば桂湖に着いてしまう。

もの凄く得をしたような気分にさせてくれる場所だ。

得をしたと感じるのは、その短い時間で、こんなにも素晴らしい風景に出会えると思うからで、贅沢を言えばきりがないが、何度来てものんびりできる場所で好きだ。

今回は途中の城端サービスエリアで、一応名物になっているおにぎりを食ったせいもあり、二時間近くかかった。しかし、それも得の一部なのだ。

ついでに言っておくと、このサービスエリアの奥には桜ヶ池というスポットもあって、ぶらぶら歩くのにいい。

 

桂湖は四回目だと思うが、記憶は定かではない。

きっかけは、カヌーが出来るということだったが、あの広い水面を見て独りでのカヌーはやめた。

ほとんど人がいなくて、初心者みたいな自分にはかなりの決断と慣れた同乗者が必要だった。

クルマを下りて、ゆっくりと見回す。

去年の同じ時季に来た時ほど紅葉は熟しておらず、ちょっとがっかりした。

去年の紅葉は凄かった。正確には黄葉と紅葉で、前者の存在感も大きい。

ボクとしては、黄葉にもなかなかの好感をもっており、紅葉は鮮やかすぎると少しいやになる。

そんなわけで、桂湖周辺で見る紅葉と黄葉にはいいバランスがあり、かなり好きなのだった。

ところで、桂湖の奥には、石川県から言うところの「犀奥の山々」への登山道が伸びている。

最奥というのは、犀川上流のその奥のことで、山々が石川と富山の県境になっている。

金沢からだと熊走の奥、かつて倉谷という村があった場所を経て登る。

実際に登ったことはないが、かなり厳しい道だということだ。

桂湖奥からも、いきなりハシゴ状の登りになり、切れ落ちた台地状の道を最初に進む。

ハシゴ状の登りもスリルがあるが、その後で出くわすマムシやトカゲなどの爬虫類たちの多さにもかなりスリルを感じる。

決して楽しいスリルではない分、途中でイヤになる。

ボクもそうして途中から引き返した。

特にその時は山登りに来たわけでもなかったから、装備も全くなくて、一時間も歩かずに戻ったのだが、仮に登山準備万端で来ていても逃げ出したかも知れない。

それほどに足元でガサガサ動くアヤツらには参った。

ところで、桂湖はダムによってできた貯水湖だ。

そして、察しのとおり、その底にはかつての桂という村が眠っている。

五戸の合掌造りの家があったという。

初めて訪れた時、水が少し涸れていて、奥の方にまで来た時に何となく人工的な道のようなものが目に飛び込んできた。

湖の底にかつての生活の場が眠っていることを想像した。

白山麓の深瀬や桑島、大日岳の麓の村など、近場にもいくつもそういった土地があって、その場の空気のようなものを感じたことがある。

ビジターズハウスで、展示紹介されているそんな情報をあらためて確認しながら、少し離れた湖畔にある大きなログハウスの店に初めて入った。

知的な老紳士が、奥様だろうと思える人と一緒に立って、もう一組の老夫婦に話しかけている。

後で分かったのだが、その老紳士はこの地域にあった小学校の先生だったらしく、その日の午前中、かつての住人達が集まり、 その先生の講演があったということだった。

桂に語呂がよく似た加須良(かずら)という村が、今の湖の反対側上部にあったらしく、桂よりも多くの人たちが住んでいたということだ。加須良は、岐阜県に入る村だった。

                       ※お店に掲示されていた写真

桂には五軒しか家がなく、屋根の茅葺きなど多くのことを加須良の人たちとの助け合いでやっていたらしい。

しかし、厳しい生活環境から、加須良は村自体を解散することにした。

それによって、桂の人たちもそこで生活ができなくなった。

桂村の美しい夏の風景が写真に残されているが、生活の厳しさは想像を絶するものだったのだろう。

 

独りで店を切り盛りしているらしいおカアさんに、コーヒーを頼んだ。

するとオカアさん手作りの漬物などが、まるでスイーツのセットメニューみたいにしてテーブルに届けられた。

何もかもが美味い。根本的に苦手としているミョウガすらも、アッと驚くような後味を残して、ボクの中に好印象をもたらした。

我が家風に言うと「クサムシ」、一般的に言う「カメムシ」もアッと驚くほど多かったが、ミョウガの後味ほど印象深くはなかった。

そして、おカアさんは最後に青い葉っぱのいっぱい付いた赤カブを持ってきた。

これ、邪魔でなかったら持って行って…。

そして、漬物にしても、煮て食べても美味しいよとビニール袋に入れた。

コーヒーもそれなりに美味かったが、味わっているゆとりがなかった。

おカアさんは、店の外まで出て、見送ってくれた。

また、来られよ。

境川ダムのすぐ上に、ススキの繁茂する崖があるが、ちょうど山に隠れる太陽の光が差し込む時間だった。

秋には必ずここのススキを撮影している。

いつもそれほど長い時間滞在しているわけではないが、ここへ来た時はいつもいい気分になる。

今回もそのことに納得した桂湖であったのだった……

 

 

 

 

郡上八幡~あれこれの一日

恥ずかしながら、この歳になって初めて郡上八幡を歩いてきた。そして、今更ながらになかなかいいところだなあと思ったりもした。

普通この歳になって初めてというと、パリのなんとか通りに七回も通って、やっと自分に合った美味しいカフェと出会ったよ…などというのが正しいのだろうが、残念ながら今のところも、近い将来もそういったことは考えられない。

さて、五箇山、白川、荘川、清見、ひるがの・・・、そして、郡上。順番は曖昧だが、このあたりは東海北陸自動車道や国道156号で繋がれていて、とても分かりやすい。そればかりか、風景も生活の匂いも似通っていて、昔から安心して訪れることのできる大好きな一帯だ。

秋も深まりつつある十月の、ある快晴の一日。まだまだ紅葉には早いが、夏の暑さからも解放された飛騨路には、相変わらず多くの人がやって来る。ちょうど秋の高山祭の日と重なったせいだろうか、名古屋方面からのクルマは見事に数珠つなぎだった。

行きは高速、帰りは低速(下道)が、このあたりに来る時の決まりになっている。当然、帰りの方が楽しい。

快適に行きの高速をこなして、九時半頃には郡上八幡インターで下りた。家を出て約二時間。

とりあえず行き当たりばったりの行程だから、いきなり方向を間違う。これもほぼ想定内のことだが、リカバリーが重要だ。それと不幸中の幸いと言うやつも、ないよりはあった方がいい。

ああもう間違っているなあ…と分かった頃に、幸いと遭遇した。長良川鉄道の郡上八幡駅に着いたのだ。予定していなかった場所なのだが、できればやはり見ておきたい場所である。

なかなか雰囲気のある駅舎が、背後の小高い山並みを背景にして静かに建つ。若い女の子がひとり佇んでいる。一人旅、しかも鉄道利用というところがいい。見た目だけでなく、心も逞しそうな女の子であった。

駅の中もシックで、待合室では駅員と地元の利用者らしき男性とが、普段着のままの会話を繰り返している。奥には古い鉄道資料の展示コーナーがあったりする。電車は来なかったが、ホームの雰囲気もひたすらよかった。

郡上八幡と言えば、まず郡上八幡城へと登るのが正しいと思って来た。それがどういうわけか、まず駅に行ってしまったのだが、小さな町なので案ずることはない。城への登り口を見つけると、一気に登り詰める。

クルマで行ってもいいのだろうかという狭い道なのだが、城の真下まで来るとちゃんと駐車場があった。それに一方通行になっていて、帰りは反対側に下ればいい。

周辺がきれいに整備されていた。城郭を見上げたり、城下のまちを見下ろしたりする見せ場がある。城自体も美しい。歴史的にはさほど重要とは思えない城だが、やはり山城の雰囲気は好きだ。

永禄二年(1559)の建造らしい。というと、武田信玄・上杉謙信が戦った川中島の合戦の最激戦があった永禄四年の二年前か…と知見を披露しようとしたりする。このあたりの話にピンとくるのは、よほどの戦国通だが、そんな時代にこの城が出来たことなど、歴史には出てこない。

思いっきり話を脱線させるが・・・・・・・・、永禄四年の川中島の合戦では、武田軍の有名な戦術家・山本勘助が戦死した。勘助の作戦によって信玄の弟信繁も戦死。武田軍は上杉軍よりもはるかに多くの死者を出した。世の中の多くは両者互角などといった非現実的な評価を下しているが、あの壮烈な戦いの中で最後に川中島一帯の雄大な土地を有したのがどっちであったかを考えれば、勝敗ははっきりしている。武田軍が勝ったのだ。

武田信玄と上杉謙信。戦国時代、最も強かったと言われるこの両者の中では、常に謙信が美化されてきた。大河ドラマでも石坂浩二やガクトなどが演じてビジュアル系は謙信の方だった。

しかし、現実の謙信は毛深くて男色(生涯独身…)で、戦でも常に大義名分や正義ばかりを唱え、自分を毘沙門天の生まれ変わりみたいに錯覚していたと言われている。要するに統治能力のない、戦争好きの、この前まで戦争ばかりしていたどっかの国の大統領みたいなものだったのだ(かなり個人的な感情も入っているが)。政治が上手く、家臣たちを大事にした信玄とは人間の器が違っていた。

ついでに書くと、信長も家康も武田軍の前では、NYヤンキースと横浜ベイスターズみたいなもので、戦は五回コールド。

家康は三方ケ原というところでボロクソに蹴散らされ、わずかな家来と共に城に逃げ帰った。武田の軍は巣に逃げ帰った子狸など追いもしなかった。

信長は最強の武田軍が上洛する報せを聞いて、逃げる手段や命乞いの言い訳に苦慮していたが、信玄はその途上に駒場というところで病死し、天下統一の夢は果ててしまう……。

歴史は信玄の味方をしてくれなかった。もし、信玄が天下を取っていたら、あの下品極まりない秀吉も世に出てこなかった。前田利家なんぞは、愛知の山の中で兼業農家をしていたかもしれない。

金沢も今のような金沢にはなれなかっただろう。兼六園もなく、武家屋敷もなく、伝統工芸も伝統芸能もなく…とは言わないが、平凡なひとつの都市になっていたにちがいない。

 大学時代の最期の方から、社会人の初めにかけて、ボクは山梨の友人の影響を受けて、武田信玄の足跡を追った。それもかなり並はずれた追い方で、多くの本を読み、ゆかりの土地にもほとんど出かけた。さっきの川中島合戦の実況中継も、できないことはない。

 ………そんなことを思い出すきっかけとなった郡上八幡城。 城内は幾層にもなっていて、最上階から眺める城下のまち並みが美しい。やはり川の流れが特徴的だ。

城を後に一気に下ると、山内一豊と妻の千代の像があったりする。大河ドラマで仲間由紀恵が演じて有名になった千代だが、その父親が郡上八幡城の初代城主だったという。

町中の狭い道をたどって、郡上八幡博覧館という施設の後ろにクルマを置き、そこを見学してから柳町と言う古い家並みが続く裏道を歩く。安養寺と言う大きな寺があり、その前に湧水が出ていた。カップも置かれていて、飲もうかなとちょっと躊躇していると、後ろから来た若い女の子たちが一気に前に出てきて、がぶがぶと飲んでいった。

ここで飲むと間接なんとかになってしまう。さらに躊躇し、結局飲むのをやめた。

昼飯はというと、もちろん郡上八幡では“うなぎ”ということになっている。吉田屋さんという名前の知れた?うなぎ屋さんがあって、迷うことなくそこへと歩く。

予想どおり待たなくてはならない。ただ待っていても仕方ないので、名前を書いてから外に出て、すぐ横にあるおみやげ品のスーパーみたいなところをブラブラする。店もでかいが、その商品構成たるやも凄い。それと、郡上八幡はサンプル品のメッカらしく、食品のサンプルがずらっと並ぶ。専門店もあったりして、その精巧さに驚かされた。

出てきたうな丼は、豪快な盛り方で、脂ののった美味い昼飯となった。

クルマを取りに戻り、今度は本町の駐車場に入れる。さっきは無料だったが、今度は五百円止め放題。

ようやく郡上八幡らしい古いまち並みと川の流れを、たっぷりと楽しむことにする。

川は、長良川に注ぎ込む吉田川というのが町の中心部を流れ、その吉田川に小駄良川という小さな川が流れ込む。それも美しい。

まず、郡上八幡のシンボルと言われる宗祇水という湧水のあるところへ下りて、小駄良川にかかる清水橋という朱塗りの橋を渡る。しばらくして吉田川と合流する河原に出ると、子供たちの水遊びをしている歓声が聞こえてきた。まるで演出されてでもいるかのような光景だ。石の上を渡りながら、流れの中の方へと行ってみる。流れは早く、水はあくまでも透明だった。

吉田川の流れも格別に、ただひたすら美しい。親水遊歩道と名付けられた道を歩きながら、あまりの水の綺麗さに何度も唸る。白い大きな犬が水の上を泳いでいる。

子供たちが川に飛び込む光景で知られる新橋に立つと、あまりの高さに足がすくんだ。これはちょっとどころか、かなり勇気が要るぞと驚く。四万十川の橋から飛び込むのは、まだやれそうな気がしたが、ここは無理だと腰を引いた。

郡上八幡旧庁舎会館をぶらついた後、町中に戻るようにして、乙姫川という可愛らしい名の付いた川沿いの道に入る。川というよりは整備された用水みたいな小さな流れだ。このあたりの佇まいも落ち着いた歴史感というか、もっとシンプルで静かな生活感みたいなものを漂わせていた。

人が多いのに本当に驚かされる。小さな美術館もあったりして、一ヶ所に落ち着かせてくれない。

古い商家の座敷が喫茶になった店に入って、ようやくコーヒーブレイク。ボーっと庭を見ながら…と思ったが、この中もひっきりなしの客で慌ただしかった。

ひたすらぶらぶらしながらの郡上八幡。人の流れは夕方近くになっても変わらない。人気の蕎麦屋さんなのだろうか、昼からの列がまだ引いていなかった。

クルマに戻って、ゆっくりと郡上八幡の町を出た。下道をひたすら走る。白川辺りで日は完全に暮れる。真っ暗になった、白川郷を過ぎて、白川インターから高速に乗った。

飛騨古川も変貌した当時唸ったが、郡上八幡はそれ以上だ。城下町であったことが大きいのだろう。福井の大野に似た水のきれいな城下町だが、ボクの中では郡上八幡の方がはるかに上だった。

やはりそれは、飛騨だからだろう。昔から、ボクは信州とか飛騨とかという名前に弱かった。その漢字を見ただけでも参っていた。

次回はいつにしようか? いつも簡単に出かけているエリアだ。いつでも行けるが、もう、また行きたくなっている………

 

写真エッセイ「やっぱり今頃は、白川郷だな・・・」

 

今どきの季節には、決まって五箇山や白川郷あたりに出掛ける。目的はたっぷりの山里の新緑と、雪解け水のせせらぎと、水田や畑などののんびりした風景が、とにかくこれでもかと楽しませてくれるからだ。

今年はちょっと遅めで、かなり焦りの日々を送っていた。特に水田には機を逸したかも知れないという諦め感もあったのだが、全く落胆することはなかった。

出掛ける前までは、その日の最初の目的地が五箇山なのか白川なのか、明解ではなかった。特にいつものことなので、どうってことはないのだが、北陸道から東海北陸道に入り、五箇山インター手前で突然白川郷に決まった。奥から戻るというのもいいのではないかと思ったのだ。

白川郷にはもう数え切れないくらい来ているのだが、今回初めて全域を歩いたような気がする。集落の、山手にあるちょっと高台の道や、展望台にも歩いて初めて登った。

世界遺産になってからは、とにかく賑やかになったようだ。アジアの集団旅人たちでいっぱいだ。お店もひたすら増えていく。しかし、ユニークな店がたくさん出来て、自然に歩く距離も延びたのかと思ったが、そうでもなく、昔からのんびりと歩いていたエリアとあまり変わりはないのでホッとしたりもしている。

このあたりは真冬以外はすべての季節に来ている。それぞれにいいが、この時季が最も好きだ。この時季の季節感を味わうのには、白川・五箇山がいちばんだと思う。大らかで、文句のつけようがない。人が少ない方がいいなあと思ったりもするが、まあ仕方ないだろう。そういうわけで、今年もまたやって来ましたといった感じの白川郷なのであった・・・・・・・・

五箇山から桂湖 そしてまた出会った店

五箇山は合掌づくりだけじゃない。山間(やまあい)の豊かな自然との接点で言えば、桂(かつら)湖がいい。

桂湖へは、五箇山から白川郷へと向かう国道156号線を右手に折れ、山手の方に入っていく。しっかりとした道はあるが、意外に知られていないような気がするところだ。ボクにとっては、あまり知られてほしくないところでもある。11月中旬に出かけた時も、紅葉最盛期にも関わらず、国道とは打って変わって道は静かだった。

桂湖周辺がきれいに整備され、カヌーやキャンプの楽しめる場所として生まれ変わったのは最近のことだ。ボクもその頃に最初に来た。偶然目に入った標識に従い、そのまま山道を登った。何があるのかも全く知らなかった。

しかし、来てみて驚いた。想像をはるかにこえる美しい風景が広がっていた。ダム湖だから人口の湖なのだが、周囲の山々も美しく、歩いてみてもほどよい広がりがあった。ビジターセンターも立派だった。デッキからの眺めもよく、貸しカヌーの装備などかなり充実していると見た。

 実はここからは石川と富山の県境の山々を歩く登山道が伸びている。始めから険しくスリル満点なルートなのだが、そんなスリルよりも40分ほど歩いてみてマムシの多いのに閉口した。登山道の脇の草むらにガサガサと音がして、トカゲやマムシが次から次へと出てくる。ヘビの嫌いさでは絶対的な自信をもつ者としては、もう歩けたものではない。登山口に戻って、小屋に置いてあったノートを見たら、「マムシの多いのには参った」という意味のコメントが多く記されていた。

桂湖周辺の紅葉は黄葉も交じって果てしなく美しい。湖があるから尚更のことだが、山の木々の色や空の色がよく映える。

 夏休みなどにはオートキャンプ場がいっぱいになり、何とかのひとつ覚え的な肉焼き風景が広がったりするが、秋はそんな喧噪(けんそう)もない。奥へと足を運べば、人の姿を見ることも少なくなる。初めて来たときも静かな季節であり、歩き疲れると、ボーっと湖面や山並みを見ていたりしていたのを思い出した。

さすがに陽が当たっているところは暖かいが、木陰や山影などに入ったりすると一気に冷え込んでくる。夫婦連れだろうか、あまり山慣れしている風には見えない若いカップルが、湖を見下ろす道沿いに腰を下ろし、弁当を食べていた。脇を静かに通り過ぎる。大した靴も履いていないから、本格的な山道に入ることはやめたが、最近は熊に注意しなければならないから消極的になってしまう。

ほとんど人のいないビジターセンターの美しいトイレを借り、桂湖を後にした…

 

 国道まで戻り、もう少し足を延ばしてみようかと思った。白川郷まで行けば、美味いコーヒーにもありつけるだろう。それに白川郷にしても、ここしばらく行ってない。

大した距離でもない。そろそろ西に傾き始めた陽の具合を見ながら、アクセルをちょっと強めに踏んだ。

白川に入り、しばらく走ったあたりで、不意に見慣れたものが目に止まった。それが何だったかすぐに分からなかったが、それのあった店らしき建物がアタマに残った。2、300メートルは走っただろうか。どうしてもそれが気になった。それに美味いコーヒーが飲めるかもしれないという期待も交差する。

クルマを止め、Uターンする。しばらく戻って店の駐車場にクルマを入れた。

目に止まったものが分かったが、まだ確信は持てなかった。それよりも美味いコーヒーが飲めそうであることは間違いなかった。

 店の名は「AKARIYA」。古い蔵のような建物と民家とが一緒になった造りだった。中に入ると、和洋のアンチークな内装イメージで、手前がテーブルの並んだ喫茶、奥は個性的なクラフトなどが並ぶ小さなショップになっていた。落ち着いた雰囲気だった。母と娘といった感じの女性二人が店を切り盛りしていた。

店の中を見回し、壁に飾られていた一枚の額を見て、その中のスケッチと外で見た見慣れたものがボクの中で一致した。なんとそれはあの森秀一さんのタッチだったのだ。外で見たものとはサインの文字で、額に入っていたスケッチもボクがもう見慣れている森さんのものだった。

ボクは確信を得て、店の人にそのことを聞いた。間違いないことが分かった。しかも、ボクが森さんの知り合いだと知って驚いていた。

 後日、森さんにそのことを電話すると、白川のあたりで10軒ほどの店づくりに関わっていると話していた。そして、「それにしてもナカイさんもいろいろなとこ行ってるから、よく見つけるね」と笑っていた。

コーヒーは予想どおりの上品さで美味かった。忘れてしまったが、豆の名前とかもあれこれ話してくれた。

3、40分ほどいて店を出る頃には、もう空気も冷えてきていた。もう白川へは向かうつもりもなかった。秋も深まると、このような地域では冬支度の匂いを感じる。かつて、12月の押し詰まった頃に白川へ来たことがあるが、民宿などでは客への気遣いよりも、冬支度の方に神経が行っているように感じたことがあった。

しかし、そのとき、そのことに何の違和感ももたなかった。信州の木曽でも同じことを経験したが、やはりこういう地域の人たちの生活には、どうしてもやっておかなくてはならないことがあるのだと思った。そのことを感じ取れたことがよかったのだと思った。

店の前に立っていると、中からお母さんの方が出てきて、一礼し歩いて行った。山里の風景の中に、ゆったりと歩いていく後ろ姿が印象的だった。

また冬が来るんだなあ… そう思ってクルマのドアを開けた…