いつの間にか、郡上八幡仕様になっていく


 一年二ヶ月ぶりに郡上八幡へとやって来た。

 数日前までは、長野の小布施へ行こうかと考えていたのだが、何となく“栗おこわ”が頭に浮かび、口の中がごわごわする感触に襲われたので、水の綺麗な郡上八幡に変更したのだ。妙な理由だ…

 出るのが遅かった。一週間前、桂湖まで行っており、同じ東海北陸道を走ったのだが、郡上八幡は五箇山よりはるかに遠い。

 白川を過ぎて、荘川も過ぎて清見も過ぎる。ひるが野も過ぎ、さらに行かないと郡上八幡には着けない。

 分かっていたはずなのに、到着時刻が正午前になったこともあってか、随分と時間を要した気になる。

 さらに、途中の山中における黄葉たちの美しさが一級品であったこともあって、その美しさを堪能できないまま、通過していくもどかしさにも苦しめられている。

 ようやくにして郡上インターに下りると、すぐに城山へと向かった。

 ただ何となく、“まず一番高いところへ”となったわけだ。

 途中の無料駐車場にクルマを置き、歩く。

 紅葉はまだ早いが、黄葉はまずまずかな? と思いつつ坂道を上ると、ほどなくして城の入り口に着いた。

 もう少し時間がかかった方が、その土地への順応作用的には良かったのだが、これもまあまあ素っ気なくやり過ごしてしまった。

 城の中には前に一度入っているので、今回は周辺をぐるりと回るだけにした。

 ボクはどうも城の中を見るのは好きではない。城は外から見るのがいいと思っている。

 それはどこの城に行っても同じだ。中はあまりにも味気ない。

 引っ切りなしに、たくさんの観光客が登って来るが、とりあえず下ることにする。

 クルマで街へと下り、すぐ下の安養寺という寺の境内にある駐車場に入った。ここは有料(500円)。

 係のおじさんたちが、丁寧に対応してくれるのがいい。

 まずはやはり腹ごしらえということになり、芸もなく前回と同じウナギを食わせる店に入った。

 待ち時間は十分くらいだったろうか。

 席に着くと、さっきまで気にかけていなかった大声でバカ笑いする一団が気になり始める。

 ウナギ丼を食いながらも、突発的に起こる超が付くくらいのバカ笑いに、一瞬自分は何を食しているのかさえアタマから消えそうになったりする。

 話を聞いていると、村の消防団秋季慰安会・宴会翌日の昼食編だということが分かってきた。

 少々は大目に見てやるかと思いつつ、警戒しながらの「ウナギ丼定食」が終わった。

 さて、どこへ行くか? ここからが勝負だ。心身ともに、まだ郡上八幡が沁み込んでいない。

 とりあえず左へ。だいたいは見ているようで、まだ見ぬところもまだまだありそうな感じなのだが、深くは考えない。

 左の方向、つまり吉田川に向かうことにする。

 橋の上からの見慣れた景色にあらたな満足を得て、川べりへと下る。

 見慣れた水の美しさにも、あらためて満足。

 のどかな生活感にも、あらためて満足。

 郡上八幡の郡上八幡たるところは、こんなさまざまな要素の見事な調和にあるなと、ここでまたあらたな満足が生まれる。

 川べりから旧庁舎記念館の前に上ると、たくさんの人たちが行き来している。

 慈恩禅寺という庭の美しい寺があるという案内板を見つけて、そこはまだ見ぬ郡上八幡だなと行ってみることにした。

 記念館の後方に回る。ふと見ると、寺とは違う方向に「いがわこみち」という小さな案内が出ている。

 当然、そこもまた、まだ見ぬ郡上八幡。行くしかない。

 名前の由来は分からないが、そこは家々の裏側を流れる小さな用水に沿った、文字どおり小さな道だった。

 途中から流れの中に大きな鯉が何匹も、かなりの数で泳いでいるのが目に入ってきた。

 美しい流れと鯉のコラボ、どこにでもありそうなセッティングだが、この狭い空間を縫うような流れはちょっと違う世界を創出してくれる。

 小太りの観光オカアサンが、何だか怖いわねえと呟いた意味も分からないではない。

 夜、独りで歩いていて、鯉たちがドドッと動いたりした時のことを想像すると、驚くだろうなあとも思う。

 しかし、ほんの数十メートルしかないこの空間には、郡上八幡の郡上八幡たる何かがあるように感じて、しばらくこの場を離れたくなくなった。

 もう一度入り口に戻って、慈恩禅寺へと向かう。

 わずかに上り気味の小路を歩くと、ちょっと広い通りに出た。

 広いと言っても、クルマがやっと交差するくらいの通りで、軒下にぶら下がった「常磐町」と書かれた古い看板に目がいく。

 長屋風の町家、この辺りは昔、郡上八幡城下の足軽町だったところだろうと想像。

 金沢城下の見事な足軽町のことを思い出したが、今は百万石の足軽たちの恵まれた境遇など考えていても意味がない。

 左右をじっくりと見てから、また小路に入り、慈恩禅寺をめざす。

 いや、郡上八幡では、「めざす」などとは言ってはいけない。

 のんびり歩いていれば、いずれそのうち着いてしまうのだから、めざさなくていい。

 徐々に郡上八幡仕様になってきたなと嬉しくなる。

 あっ気なく慈恩禅寺前に着いた。

 いや、郡上八幡では「あっ気なく」などとも言ってはいけない。

 では何と言えばいいのかと問われると困るのだが、「さり気なく」か、「気が付いたら」みたいなところだろうか。

 石段のすぐ奥に山門があり、その右手前に「鍾山(しょうざん)慈恩護国禅寺」と彫られた石柱が建つ。

 山門をくぐると、すぐ参道は左に曲がりその奥にまた山門がある。

 鐘楼を見上げると、その屋根の先を飛行機雲が伸びていた。

 庭を見るのは有料(300円)なんですが…と、申し訳なさそうに係の女性が言う。さらに、撮影も禁止だとのこと。

 そんなことぐらいなんだ…と、毅然とした態度で入らせていただく。

 腹の中では、これでつまらない庭だったら覚えてろ的な思いも芽生えつつあるのだが、そこも冷静に対応する。

 そして、その後……、驚く。あるいは息を止める。さらに感嘆する。

 なんと美しい光景なんだろうと、まず畳の上に腰を下ろし、それから縁側の方へと進み、さらに部屋の奥へとまた下がり、いろいろとビューポイントを変えながら、その庭や部屋の雰囲気に浸った。

 特にボクの好きなビューポイントである、部屋の奥から部屋と庭を観るというシチュエーションには、果てしなく参った。

 残念ながら写真撮影が許されていないので、読み手の皆さんには、とにかく行ってみてくださいと言うしかないのを許していただきたい。

 高速代やらウナギ丼代やらと、いろいろと出費もあるが、この寺の庭は実に見事、背景の巨岩や大木や滝、さらに庵の風情など文句を言ったら罰が当たる。

 いい場所と出会えたことの喜びを噛みしめ、本堂でお参りし、仏様に感謝しながら慈恩禅寺を後にする。

 そしてまた、町をぶらぶら。

 有名な食品サンプルの店は、相変わらずの人気だ。

 奥の壁にギターが飾られた、以前から気になっている楽器屋さんには、今日も客がいない。

 郡上八幡で楽器屋を営むというのはかなり無謀なのではと、前を通るたびに余計なお世話的な心配をしてしまうが、多分しっかりと本業があったりするのだろう。

 そんなことなどを思いながら歩いていると、心持ちは、カンペキに郡上八幡仕様になっている。不思議だが、やはり、いい町なのだ……


「いつの間にか、郡上八幡仕様になっていく」への2件のフィードバック

  1.  郡上城に行くには、車道を歩かないで、脇に山道がありますから、そちらが、お薦めで す。N居さんは、きっと山道を歩かれたものと存じます。                      ところで,鰻の高騰で郡上のウナギ丼、高くなったのかな。

  2. ウナギ丼は値上げしてなかったと思いますよ。
    うな重も。
    もとがいい値段ですけどね。
    城への道は、今度試してみます。
    詳しくは理解していません・・・

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