余呉湖と、街道をゆくの旅
司馬遼太郎の『街道をゆく』にかなり影響を受けたという話は、何度か書いている。
1971年、週刊朝日で連載が始まり、ボクはその7、8年後には読み始めていた。
金沢の老舗ジャズ喫茶「ヨーク」に置いてあったのが、読むきっかけだった。
マスターの奥井サンが最初に「これ面白いよ」と言って教えてくれ、それからは新しい号が出るたびに、今週はどこそこだと言って渡してくれた。
歴史や旅も好きだったボクは、タイトルの素朴な響きのよさとともに、その内容の深さが気に入り、いつの間にこの旅スタイルに憧れのようなものさえ感じるようになっていた。
まだ二十代の中頃の話だ。
週刊誌で書かれていたものが単行本になっているのを知ると、すぐに書店で買い求める。
国内紀行のものはほとんど買ったような記憶がある(今手許に一冊も残っていないのはなぜか?)。その後に文庫も出て話題となった。
そして、その頃ボクは初めて『街道をゆく』をベースにした旅をした。
大袈裟なことではない。とにかく、司馬遼太郎が辿った街道を自分の目で確かめたくなったのだ。
地図を買い込み、本の中の話と合わせながらいろいろと調べた。
もちろん、そんなに遠くへ出かけるつもりはなかったが、まず第一巻からスタートしようと思っていた。
そして、その旅のスタイルはかなり続いた。今も近場だが、それがきっかけとなって通い続けている場所も多い。
タイトルにある余呉湖に寄ったのは、記念すべき第一回目の「街道をゆく旅」の途中でだ。
福井県から京都の大原に抜ける道は、朽木谷に沿った「朽木街道」と呼ばれていた。
今は「鯖街道」という方が通りがいい。もちろん道路も見違えるほど美しくなっている。
話は、ここから始まる。敦賀で北陸自動車道を下りて、田園の中の道を南下。
バスなどが来ると、やっと交差できるような狭い道もある。
信長が戦に負けて、京都までの決死の逃亡に使った道だという。かなり厳しい道のりだったことが当時の道を思うと分かった。
大原に着いて、早速次なる道を探す。
鞍馬へ抜けようと考えている。司馬遼太郎が実際に書き記してある道だ。地図には薄い線で描かれている。
ところが、京都の街から来ているバスの運転手に聞いても知らないと言われた。
そして、何台目かの運転手に話すと、「林業の人たちが使っている道がある。けど、その道で鞍馬まで行けるのかは分からない…」とのこと。
とにかく、その道しかないのだから、それが鞍馬へ抜ける道だと勝手に決めて走った。
大きくて真っ直ぐな杉の木が、傾斜のかかった山肌に、無数に立ち並んでいた。
そして、道は斜面に一本。山肌に合わせて蛇行しながら細く伸びていた。
交差はところどころの広い場所まで行かないと全く出来ない。
その後、どういうルートを通ったのかは全く覚えていない。地図を見れば何か思い出すのかも知れないと思ったがダメだった。
ただ、今の地図にはたしかに大原と鞍馬を繋ぐ道路が、立派に描かれている。
道端にシャクナゲ?が咲き乱れる場所があった。シャクナゲについては、司馬遼太郎も書いていたのではなかったかと思う。
シャクナゲの咲く場所には霊気が漂うようなことが書いてあって? そのことはずっと予備知識的に頭に残っていた?のだ。
それからたしかに鞍馬街道に出た。陽が真上から西の方に傾き始めていた頃合いだ。
意外とその時の鞍馬の記憶はない。その後、数年前に鞍馬山に登ったが、懐かしさもなかったので、その時の印象は薄かったのだろう。
やはり、道中の風景などがボクにはよかったのだと思う。
それから、明智光秀について書かれた亀岡街道に出た。シャクナゲは、ここだったかもしれないとも思える。
石積みの段々畑が続く風景を見ていたような記憶がある。大家族が畑で仕事をしている光景を見ていた記憶もある。
下ってその夜嵐山、渡月橋近くの旅館に泊まった。
翌日、嵯峨野を歩いたことは間違いないが、帰路として京都の街中からどこをどうやって走ったのか、記憶はないままだ。
ただボクの中には、滋賀県の余呉湖という小さな湖へ行くという目的だけが明確に刻まれていて、そのことばかりを考えていたように思える。
穏やかな田舎の風景の中に、その余呉湖はあった。午後の遅い時間だった。
空気の流れが止まり、湖面は波ひとつ立てずに静まり返っている。
向かい側の小高い山並みが、美し過ぎるほどに湖面に映っていて、定番的な日本の風景に、こちらが照れ臭くなるくらいだ。
そこには、天女伝説があった。そのことを司馬遼太郎は詳しく書いていた。
滞在時間は三十分ほどだったろうか。いや、二十分ほどか。
余呉湖(よごこ)だが、古い時代の「よごのうみ」という呼び方の方が好きである。
あれから三十年ほどが過ぎて、つい数日前、余呉湖へ行こうと決めた。
北陸高速の木之本インターを通るたびに、この奥に余呉湖があるということを意識していたが、なかなか踏ん切りがつかないでいた。
決めてしまえば、意外とあっさりコトは運ぶ。
そして、念願?の再会となった。
三十年ぶりの余呉湖は、かつてよりも、釣り場としての整備が進んでいるように見えた。
しかし、相変わらずの静けさと、湖面の美しさは記憶と変わっておらず、周囲を少し歩くと、逆に当時のことが蘇ってくる。
クルマの中で聴いていた音楽は、ラルフ・タウナー率いる「OREGON」のライブ盤の録音テープだった。
当時、ラルフ・タウナーのギターが好きで、よく聴いていた。何だか、思い出すとすぐに聴きたくなったが、もうレコードは手元にない。
もうひとつ蘇ってきたのは、余呉湖のあまりの静けさに押しつぶされていったことだった。
帰り道の北国街道は切なかった。
山の中の道は、特に夕暮れ時ということもあって、気持ちを落ち込ませたのだ。
余呉湖は、そういう意味で、不思議な思い出とともに記憶の中に残っていた場所だ。
自分の中で存在感を示している。
それにしても、旅の話は尽きない……
余呉湖。小学生の時、初めて大阪の親戚へ向かう途中、車窓から見て、凄ーい琵琶湖に着いたんだと勘違いした湖。今でも、その思い出が、鮮明に焼きついています。前から気になっていました。 いつか必ず訪れたい場所です。
お互いに凄く古い思い出話ですね。春になったら、いい風景に出会えそうですよ。