秋の寺歩き~醍醐寺
京都の醍醐寺と滋賀の石山寺を、11月の連休を利用して訪れるという、かなり贅沢な寺めぐりをやってきた。
二人の娘が京都にいた六年間には季節に一度くらい出掛け、それなりの京都を味わうことが出来たのだが、今は二人とも京都を離れていて、京都へ行くぞといったモチベーションはかなりトーンダウンした感じだ。
ただ、下の娘がお隣の滋賀県草津市に住んでいるものだから、なんだかんだと言っては、それなりに京都はまだ身近な存在でもある。
初日、大津インターで下りて京都に入り、ナビに導かれるまま、かなり狭い住宅街の道を通って醍醐寺に辿り着く。
どうやら大津から入ったことが正解だったらしく、その道から行くと意外と空いていた。臨時みたいな駐車場にも簡単に入れて、ラッキーだったと言うべきだろう。
空はどんより冬色。ちょっと肌寒い。周りを見るとダウンなんぞを着た連中もいる。
しかし、こっちはセーターだけ。過敏すぎる都会の連中のファッション重視志向と勝手に決めつけて歩き出した。
しばらくして、密度は低いが、細かい霧雨のようなものが舞い始めてきた。しかし、なんとかなりそうだと前進。
醍醐寺と言えば、やはり桜だろう。
秀吉が催した『醍醐の花見』は、この寺の代名詞になっている。
加賀國の住人としてついでに書いておくと、その中のメインイベントである「お茶会」のホスト的役割を務めたのが前田利家だったはずで、この頃の利家はかなりの重鎮だった。
かつて、石川の菓子文化の展示計画を手掛けた際、石川、特に金沢において菓子づくりが発展したのは、利家がお茶に通じていたからで、そのことを証明するのが『醍醐の花見』でのホスト役だったという話を参考にしたと記憶する。
今は秋。それも晩秋に近い。もちろん桜ではない。紅葉だ。花見でなく、強いて言えば「紅葉見」だ。
境内に入って行くと、やはりその広さに納得する。京都の寺の凄さは、まず境内の大きさにあって、そのことにより山門の大きさや、その他の建物などの大きさが比例して一様に驚きの源になる。
多くの観光客が、五重塔の前で写真撮影に興じる。しかし、その後ろにある、こじんまりとしながらも見事なバランスで建つお堂の存在には気が付かないでいる。これも重文のひとつなのだ。
ゆっくりと五重塔の裏側にまわり、紅葉の大木を眺め、自分もその木の下に入って、紅葉をとおして五重塔を見上げた。空が暗いせいか、今一つの感動とまでは行かない。
メインの道に戻るとすぐに、左手に太祖堂。その前の紅葉が美しい。
やはり皆さん、当たり前のように紅葉を求めている。中空を見上げたりしながら、美しい紅葉のシーンを見つけると足を向けカメラを構える。
一本の木がその美しさを際立たせていると、すぐに人が集まり、いろいろな角度から撮影を始める。
デジカメの普及で一億総カメラマン化が強まったなあと、今更のように思う。
小学生の頃、カメラ好きでもあった兄に影響され、Kodakの箱型カメラを触らせてもらえるようになった。シャッターを切る時、カチャッと軽い音がして、おもちゃみたいだと感じたことは忘れない。
その後、兄からメーカーは忘れたが一眼レフのとんでもないカメラをもらった。まだバカちょんが出る前だ。小学生が持つようなカメラではなかったし、小学生が写真に興味を持つということ自体も、少なくとも田舎の小さな町では普通でなかった。
白黒だったが、写真は自宅の部屋で現像していた。竹のピンセット(はさみと言うべきか)で、トレイから印画紙を引き上げる感触は今でも覚えている。
そして、今そのことがどれだけ影響していたのかは分からないが、人一倍の写真好きになっている。
奥へと進むと池があり、ぐるりと回り込むようにさらに進む。ちょっとまとまり過ぎた風景に、モチベーションはそれほど上がらない。
池に注ぎ込む流れに沿って上ってみた。写真のことばかりがアタマにあって、本来の観光の気持ちが萎えている。
「観光」と言えば、これも昔、『おあしす』という上質な雑誌に寄稿させていただいていた頃、『光を観る』という、生意気な巻頭エッセイを書かせてもらったことがある。
観光と物見の違いについて、分かったような文体で書いた。大学を出たばっかりの頃だから、二十代の前半。身の程知らずもいいとこだ。
物見はその字面からして何となく意味が分かるだろう。
しかし、観光は意味が深い。ボクは自分で調べた「光を観る」という仏教的表現について書いたのだ。
光を観る…、それは真実を観るということ。つまり、観光と言うのは、単に美しい風景や壮大な寺社などを見るということだけではなく、その場所の歴史や文化や風土などを感じ取るという意味を持っている。
そういったことを図々しく書いていた。
だから、今の状況のように、いい写真を撮るためにこの醍醐寺に来ているというのは、本来の観光をしていないことになる…のかも知れない。
……と、その場でそんなことを考えていたわけでは当然ない。
何となくもう行き止まりというところまで来て、ずっと気になっていたフェンスの存在について思った。
上ってきた右側、小さな流れがあって、その向こう側に素朴な道があった。
その道を観光客ではない、普段着に近い人たちが歩いている。その光景が気になっていた。
戻って、三宝院の庭に見入る。先日、郡上八幡でも美しい庭を見てきたが、基本的に庭は部屋の奥から見るのが好きで、ここでもとんでもない襖絵などが設えられた部屋からそうして見た。
しかし、庭を見る人たちの数が違う。縁にずらりと並んだ背中ばかりを見ることになる。
それにしても、部屋ひとつひとつから伝わってくる三宝院の歴史観はさすがに凄かった。相変わらず京都はさすがなのだ。
仏像を数多く安置した施設にも満足した。近くでガラス越しでもない仏像に接することが出来るのは、何だかとても新鮮だった。
ここで帰ろうかと思ったが、さっき見たフェンスの向こうの素朴な道が気になっている。
その道は、醍醐寺の核心部とも言うべき「上醍醐」への道。
ここまで来たら、行かなくてはならない……(つづく)