ススキの滝と、一宮海岸の夕焼け
羽咋市滝町から柴垣へ抜ける道沿いの田園地帯は不思議な場所だ。奥に見える日本海と、さらにその上に広がる空とのバランスが、切ないくらい?胸に迫ってくる。
ボクにとっては、どこかの島にいる雰囲気だ。北海道の微妙な記憶とも重なる。
夏は夏らしく、青々とした草原のような輝きを放って生気に満ちたいい風景なのだが、秋口もまた、ぐぐっとくるほどのシンプルないい風景を創り出している。特にススキが生い茂る頃には、どこか幻想的なムードも漂わせ、誘い込まれていくような感覚に陥る。
背景に海があるからだろう。
午後から輪島へと向かったある日の夕方、帰りも遅くなったついでに、無理やり寄ってみることにした。
柴垣の町を過ぎ、左手奥に妙成寺の五重塔をかすかに見ながら進むと、しばらくして右手がパーっと開放的になる。その開放的な空間が過ぎる頃に、国道から滝(海)の方へと下る狭い道があり、その道へと入っていく。
左手は滝の住宅地。右手は農地。右へ入る最適な道を探しながら、小さな道があるたびに覗きこむ。何本かをやり過ごして、田圃の方に伸びた狭い道にハンドルを切った。何が決め手だったのかは、自分でも分からない。
実際にその場へと入っていくには勇気が要った。道が農作業用の様相に変わり、轍(わだち)の中には雑草が伸びたままになっている。その辺りまでクルマを乗り入れると、ちょっとした緊張感も走った。
クルマを下りて、歩いてみることにする。道沿いに揺れるススキは、ほとんどがボクの背丈より大きい。海に向かって真っ直ぐな道の果てには太陽がある。
その太陽の下で、日本海が光っている。昼間で時間があれば、この広い空間を歩きまわりたいのだが、ススキの穂が揺れ、今は妙に切なさも募ってきた。
クルマに戻り、すぐ横にあるポケットパークに入った。その辺りからの眺望もかなりいい。思い切って来てみて、よかったと納得している。
そのまま滝港口から海岸の方へと向かった。
ここまで来れば、やはり滝・港の駅に寄っていくのが正しい人の道だ…。
と思って、海岸線に出ると、海がまた激しく美しかったりする。
まずやはり、写真なのだ。このまま素通りするわけにはいかないのが、正しいカメラマンの道でもあることにする。
贅沢なくらいに大きな駐車場の、いちばん海に近いところにクルマをとめた。ここから見上げる空は本当に気持ちがいい。左右にひたすら広がっている。
海に向かって歩く。海浜植物の中に漂流物が散在する砂の上は、革靴では歩きにくいが、そのうち植物も途切れると砂浜は急に歩きやすくなる。
ここはやはり、千里浜と同じような地質なのだろうか。気持よいくらいに弾力的な砂の感触が靴底から伝わってくる。
太陽がゆっくりと落ちていくところだった。すぐ沖にいる二艘のヨットも、ハーバーに戻ろうと向きを変え始めていた。
シャッターを押しながら、その度にふーっと息を吐く。波の音もほとんど聞こえないくらい穏やかな浜辺に、逆に息を殺したりする。
このあたりの浜辺は、「一宮海岸」と言うらしいことが、近くの案内板で分かった。
今まで単に滝の海岸と言う認識でいたのだが、そのネーミングの方が何となくいい感じがしないでもない。そう言えば、近くの廃校になった建物も旧一宮小学校だったことを思い出す。
ほんのしばらくで、 二艘のヨットもハーバーの中に消えた。ひたすらとにかく夕陽を見るだけとなった。
風景が止まったように見えるが、太陽は確実に移動している。
水平線のオレンジ色も少しずつだが狭くなっていく。またしばらくして、駐車場の方に戻ることにした。
ふと足元を見下ろすと、砂の上に靴底の跡がくっきりと浮かび上がっている。さらに目を前に向けると、砂の上に長い自分の影も伸びている。
クルマに戻り、あわてて港の駅へと向かったが、店の中の電気がぼんやりと弱い光を放っているだけだった。人影も見えない。
最近食ってない激しく美味な油揚げが、お預けとなって瞼の裏から消えていく。O戸さんの顔もしばらく拝見していない。
わがままで、人の道からはずれた自分を反省した………
ほんとに不思議そうな場所です。
ナカイさんの感性が発見する場所なんでしょうか?
行ってみたいけど、
たぶん私の感性では発見できないだろうな。
もうすすきの季節で、ちょっと山道に入れば、
たくさん目に入ってきますね。
瓜生というところもそうでしたが、
こんな場所、もっといろいろと期待しておりますよ…。
どうもありがとうございます。
こうやって地名もしっかり覚えておくことも
大切だと思うんですね。
でないと、その土地に対して失礼だと。
地名を知ることで、
地名と風土みたいなものも繋がる気がします。
期待していてください…