自分たちのスタイルで勝つことのむずかしさ


 ロンドンのオリンピックをとおして、競技としてのスポーツに対するさまざまな思いが再燃してきた気がする。

 惨敗した日本柔道のあり方や、銀メダルを手にした“なでしこジャパン”のゲームスタイルなど、いくつかの現象の中から、スポーツに対してもってきたイメージを再確認することがあった。

 勝てなかった柔道には、当然だが多くの疑問を投げかけられた。

 一方で、なでしこは自国からは称賛されつつ、相手国からはあまりいい評価を得ていなかったりもする。

 たとえば日本に負けたブラジルの監督は、日本チームをチャンピオンに相応しくないといった意味の言葉で表現していた。

 ボクはもともとサッカーに関しては、アンフェアがそのまま当たり前のように通ってしまう、かなりおかしなスポーツだと思っている。

 相手選手のユニフォームを摑んだり、大した衝撃でもないのに、大袈裟に倒れたりする、あのような行為は実にアンフェアでおかしい。

 レフェリーが見ていなければ何でもやる。見えにくければ、オーバーアクションで訴える。

 スポーツの世界に限らず、ああいうことが許されることはめずらしい。

 超国際的とも言えるサッカーだからこそ、それがまた罷り通っているのだろう。

そう言う意味で、その不可思議なスポーツの最強国のひとつであるブラジルチームの監督が、自国のスタイルを正当化し、日本を非難するのは、一方でなるほどなと納得もできるのだ。

 柔道については、発祥国としてのそもそも論が日本にはある。

 しっかりと組んで、一本を取る…。日本柔道は、当然のようにしてそのことを重視する。しかし、それでは勝てなくなった…?

 競技としてのスポーツ、特にオリンピックのような四年に一度しかない大舞台はもちろんのこと、普通に一年に一度開催される大会などにも、多くの選手たちの目標が宿っていて複雑な要素があるのは当然だ。

 ずっと苦しい練習に耐えてきて、簡単に一度の勝負に屈するわけにはいかない使命のようなものもあり、勝つための方法論が重視されていく。

 たとえば……

 大学時代、我々の明治は、常に早稲田と大学ラグビー界のナンバーワンを争っていた。

 毎年12月の第一日曜日に行われる、伝統の「早明戦」は国立を満員にし、チケットを手に入れるのも難しい人気カードになっていた。

 両校の部員たちにとっても、その一戦への思い入れは深く、その試合のために一年間練習してきたといってもいい緊張感があった。

 応援していた学生たちも、OBも学校関係者も皆そうだった。

 明治には、もうすでに故人となった北島忠治という名物監督がいた。

 有名な「前へ」を徹底した名指導者だった。

 明治ラグビーを象徴する、その「前へ」は、ボールを持ったら、ひたすら真っ直ぐゴールラインをめざして進めといったもので、フォワードを中心にした単純明快なラグビーの凄味をボクたちに見せてくれた。

 それに対して、早稲田はバックス中心のチームで、前へというよりはパスによって横へ展開するという、表現としては「華麗な」ラグビーを実践した。

 この両チームが激突するわけだから、勝利はチームカラーが強く現れた方に傾く。

 明治の全盛の頃は体力的に早稲田を圧倒し、試合はいつも明治の攻撃中心に進んでいたような感じだった。

 当時試合は、テレビばかりでなくラジオでも放送されていたが、こんな感じである。

 「ゴールまであと五メートルでの、明治ボールのスクラム。ボールが入った! 明治、押す! 明治、押す! 早稲田、懸命に堪える! 押す、明治! 堪える、早稲田!」

 アナウンサーが何度も同じことを繰り返す。

 明治はスクラムからボールを出して展開すれば、簡単にトライが奪えそうなのに、そうはしない。

 何度も何度もスクラムから、フォワード中心でゴールラインを越えようとしている。

 そして、試合が終わってみると、あれだけ圧倒していた明治だが、僅差の勝利か引き分けか、ひどい時は負けていたりもする。

 しかし、どんな時でも、試合後の北島監督のインタビューはこうだった。

 「選手らは、明治らしいラグビーをやってくれましたわ…」

 応援していたボクたちには、なんとまあ歯痒い言葉だったが、北島監督はいつも勝ったか負けたかではなく、自分たちがやって きたスタイルを、しっかりと表現できたかについてのみ語った。

 柔道で金メダルをとったフランスの選手が、やはり日本には優れた柔道家がいる、柔道は日本だといった意味のことを語っている。

 しかし、競技としての柔道は、今、日本式では通用しないのかもしれない。

 サッカーもそうだが、そのスポーツの発祥国は、基本を示すことはできても、完全な勝利から徐々に遠ざかっていく。

 イングランドは常に上位に入ることはできても、ナンバーワンにはなれない。

 WBCで日本がアメリカに勝つ。攻撃よりも守備。ホームラン一発よりも、シングルヒットにバント、その積み重ねが勝利を導き、日本は二大会連続ナンバーワンになった。

 日本が本場アメリカの野球に勝つために仕掛けてきたものは、まさしく外国の柔道家たちが日本の柔道家たちに仕掛けてくるポイントをとる柔道と同じではないか。

 前述の、あの明治のラグビー精神などは今や理解されにくい。

 ブラジル女子サッカーチームの監督が口にした言葉も、今では情けない響きしか持たない。

 身体の小さい国の選手たちが、大きい国の選手たちに勝つために、さまざまな戦法を考えていくのは当たり前のことでもある。

 正直、なでしこの試合を見ていて、サッカーチームとしての力はすべて相手の方が上のように思えた。

 近い将来、あのデカい図体をしたフランスなどは日本を叩きのめすほどのチームになるのかも知れない。

 しかし、なでしこたちもまた考えていくだろう。何をどうすれば、自分たちは相手よりも一点でも多く取れるかを。

 大袈裟な言い方だが、ボクはスポーツの美学というものも信じる。

 競技スポーツの中で、絶対に勝利を得なければならないという使命は、どこかに歪をつくると思っている。

 甲子園で松井秀喜が五打席連続敬遠された事件があった時も、当時の山下智茂監督は、後年このように語っている。

 相手校である明徳義塾監督との野球観の違いだが、しかし、自分は負けても勝負させる。

 勝負して負けたことによって、投手もまた成長できると。

 特に、松井の前に走者もいない場面での敬遠に、山下前監督は大きな違和感をもったと語っている。

 競技スポーツは、よほど相手が反則でもしないかぎり、相手より多く得点するとか、相手より早くゴールに辿り着くとかが求められるものだ。

 そういう競技スポーツの発祥国のチームとか、チャンピオンになったチームとか、伝統を重んじるチームとか、そういった宿命みたいなものを持ち合わせたチームが、自分たちのシチュエーションをどう維持したり発展させたりするかには、大いに興味がある。

 そして、スポーツの美学を語る上でも、そういった宿命を背負いつつ勝つことも求められたチームのチャレンジを、ずっと見つめていきたいと思う。

 柔道は言うまでもなく、なでしこも、ついでに明治のラグビーも、基本的には「自分たちのスタイル」を大切にするチームである。

 できるならば、その自分たちのスタイルのまま勝利を勝ち取っていけるチームでいてほしい。

 まとまり切らないが、眠い目をこすり、いつも以上にボーっとするアタマを叩きながら、ここまで書いてみた……


「自分たちのスタイルで勝つことのむずかしさ」への2件のフィードバック

  1.  なでしこの、佐々木監督が決勝戦で、ゴールエリア内でのアメリカのハンドの事を、報道陣から質問された時、何か有りました?と、とぼけた顔で、主審の判断を尊重しますと答えた。国民性の上で、ブラジルの監督に比べ、そこに彼らしい感性が、見えます。        そんな佐々木監督を本当に素敵に思えました。                     

  2. スポーツは負けた時の満足感にも
    意味があるように思いますね。
    でなければ、ずっと練習して鍛えてきたことが
    無意味なものになってしまいます。
    ボクも、自分たちのスタイルを持ったチームが
    好きですね。

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