日本に京都があって


 久しぶりの京都。

 いつ以来だろうかと考えてみたら、去年の秋の終わりに醍醐寺へ来ていたから、大したご無沙汰でもないことに気付く。

 天気は快晴。だが日陰では寒い。前日まで春から初夏みたいな陽気で緩んでいた体が、久しぶりの冷気に引き締まる。

 目的は、京都駅前のキャンパスクラブで開催される日本サイン学会の「デザインフォーラム」。

 サインデザインを学問的に考える会で、ボクは会員ではないが、いろいろと関係している人たちがいて、もちろん仕事の上でも大事な会なので、時折参加している。

 京都で開かれるフォーラムには、これが二度目の参加だ。今回のテーマは、「古都から考える日本の景観づくり」。

 京都と金沢と奈良という、三つの“古都”からそれぞれの取り組みの発表があった。ちょっと金沢を古都と呼んでいいのかと後ろめたさもあったが、考え方の根本は一緒だろう。

 行政の担当者や大学教授、そして業界の発表はいつもどおりだったが、京都のというより、日本の代表的観光名所・先斗町の地元からの発表は興味深かった。

 特にお店のサインを整理しなくても、十分におつりがくるくらい優れた風景をもっているのだが、京都市が景観対策に力を入れ始めて、その流れに乗ったといった具合だ。

 あの狭い道にはみ出すようにして、かなり乱立状態にあったお店のサインが、行政からの指導の下で地元によって整理されたという、活動としては理想的なパターンの報告だった。

 大袈裟だが、世の中の不思議な仕組みが、日本一の歴史都市の一画で具現化されている。

 古い街ほど、新しい。古くなったものも、かつては新しかったということを、現代が証明している。

 先斗町の話を聞いていると、自分たちの存在が文化そのものだと自負している人たちは強いのだと感じてくる。

 街を美しくしようという作業を、さり気なくやってのけている。

 東京理科大の先生が講演したテーマの「CIVIC PRIDE(シビック・プライド)」という概念に合致している。

 実にカッコいい。要は未来に引き継いでいくために今を美しくしておこうということなのだろう。

 京都の至る所で『日本に京都があって良かった』というコピーの入ったポスターを目にした。

 明治維新で日本は別の国に生まれ変わったが、首都を京都へ戻さなかったことは結果オーライ的に良かったのかもしれない。

 京都の1000年以上に及ぶ歴史文化がそのことによって守られたのだと思う。

 京都が東京のようになっていたらと想像すると、背筋が寒くなる。やはり、日本に京都があって本当に良かったのだ。

 ところで、金沢はどうなんだろう…?

 ボクはたまたま金沢市が景観対策の部署を立ち上げた時から、三年間ほど駆り出されて関係する仕事に参画した。

 その時に感じたのは、景観という言葉への妙な“よそよそしさ”で、景観には、“いい”とか“悪い”という形容詞しか付かないような気がした。

 ボクの身近にあったのは風景という言葉で、風景には“切ない”や“寂しい”や、“愉しい”や“爽やかな”などといった形容詞が付く……。

 だから、根本的にはあまり力が入らなかったということだ。

 その反対にとでも言おうか、ボクは広告業界のニンゲンのくせに、自分の業界を批判するような論文を書いて、賞までいただいたが、その時審査委員長から、勇気を讃えられた?ような記憶がある。

 それはどうでもいい話だが、とにかくそういうことで夕方までフォーラムは続き、夜は夜で四条烏丸あたりの居酒屋で飲み一日は終わった。

 烏丸のホテルまで歩く帰り道は、何となく寒さも和らいだ気がしたが、飲んでいたせいだろう。

 ホテルのカフェでコーヒーを大きいサイズで頼み、ボーっとしてから、部屋に入ったのは11時頃。まあ早い時間だ。

 京都に、特に京都のこの辺りに何となく馴れた感じでいられるのは、長女が四条に住んでいたからだ。

 四条烏丸まで歩いて五分という環境に住んでいた長女は贅沢をしていたと思うが、長女もバイト代を部屋代にあてたりして、自分なりに頑張っていた。

 今は、桂に次女がいて、京都との縁は不思議と長く続いている。

 快晴の翌朝は、ちょっと早起きして京都駅へと向かった。

 出張・京都は、小さな寺ひとつ訪れることもなく帰路に、というわけだ。

 せめて春の京都の日差しを浴びながら、京都らしい名前の入ったバスターミナルの表示でも見ておこうと、駅前の日陰から日向へと足を伸ばす。

 日向はさすがに暖かい。特にどうということもなく、時計を見る。

 桜を見に来れるかは分からないが、どっちにしても、また来ることになるだろうと改札へと向かった……


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