金沢ジャズ・ストリート
今年の金沢ジャズストリートに、“チック・コリア氏が来る”という記事が載っていた。
全盛期はすでに過ぎているとは言え、ビッグである。
ただ、氏は余計だ。グラミー賞をとったということで氏が付いたのかも知れないが、ジャズの世界ではグラミー賞などどうでもいい(…と思っている)。
カウント・ベイシー・オーケストラも来る。
すでに御大カウント・ベイシーは他界しているが、ビッグバンド・ジャズの神髄を知りたい人は、是非聴いておくべきだ。
実は第一回目に優秀な大学ビッグバンドを呼ぶことを提言したのは、何を隠そう?この自分である。もちろん裏の、さらにその奥での話だ。
東京などの学生ビッグバンドは真摯にジャズをやっていて、彼らの参加を促し、支援していくことは金沢の催し物として、いい効果をもたらすかも知れないと思ったからだ。
彼らが、それなりの力量を持っていることも当然背景にあった。
話を無理やり母校のビッグバンドの方向へと繋げるわけではないが、このカウント・ベイシー・オーケストラの演奏スタイルを、何十年にもわたってベースにしているのが、わが「明治大学ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ」だ。
第一回のコンサートで、明治のビッグバンドの演奏に、思わずカラダを揺らせてしまった人たちが大勢いたと思うが、あれがカウント・ベイシーのスタイルなのである。
楽しさは自信を持って請け負う。安心して、コンサートに行ってください……
ついでに、余計なお世話的話を書くと、明治を含めたいくつかの大学のビッグバンドが、二回目以降呼ばれなくなった。
ビッグバンドは大勢だから経費がかかるのは分かるが、あのしっかりとした演奏を聴かせてくれた威勢のいい若者たちのステージがなくなってしまってから、ボクはもうこの催し物に魅力を感じなくなっている。
明治大学は地元で、『お茶の水ジャズ』というイベントを毎年やっているが、ビッグバンドの連中は、次の年の参加も楽しみにしていた……
話を戻す。
もう一人のビッグなゲストは、我らが山下洋輔(本当は「さん」を付けたい)。
これは一応覚悟をして行くべきである。
と言っても、最近のヒトビトはいろいろな音楽が氾濫しているから、何を聴いても驚かなくなっているだろうが。
何度も書いているが、昔、片町に「YORK」(現在は香林坊日銀裏)という店があり、その店では、若き山下洋輔トリオの爆発的痛快及び奇想天外白熱ライブが時々行われていた。
フリージャズなど、ごく限られた人しか聴いていない時代、このトリオのナマは実にハゲしくカラダに迫ってきて圧倒された。
こんな音楽を聴いていることは、絶対に人には話してはいけないと思った……というのは嘘だが、誰かに教えてやろうなどとも全く思わなかった。
山下洋輔は、ちょっと前にも石川音楽堂でガーシュインを演奏していたが、売れない時代、いや堅気には受けない時代に、よく金沢のYORKで演奏していたということを覚えておこう。
そう思って、コンサートを聴くと、またそれなりにいい感じなのである。
ところで、もともとジャズストリートは小さな発想から生まれた音楽イベントだった。
しかし、金沢にはラフォル・ジュルネというクラシックの音楽祭があったことによって、一気に企画が膨らんでしまった。
春がクラシックで、夏の終わりはジャズといった具合だ。
そして、模索状態のまま第一回が開催され、それはそれで、それなりに良かったりしたのだ。
ただその後、ボクが最も嫌いなイメージへと、この催し物は流れていく。
ジャズが、大人たちの上品な世界?に嵌め込まれていったように感じた。
自慢したって特に意味はないが、そろそろ60歳に近付くボクは、14歳の頃からジャズを聴いてきた。
ある夜、ラジオのNHK-FMで聴いた、コルトレーンの「マイ フェイバリット シングス」にアタマをガツンと打たれ、その後のエバンスの定番「ワルツ フォー デビー」で未来を確信した。
オレは、この音楽と共に生きていくのであろうなあ~と。
16歳になったばかりの頃、アート・ブレーキ-&ジャズ・メッセンジャーズのコンサートに行った。
ミントンハウスという、モダンジャズ発祥に深く関わった店での歴史的セッションに参加していた、ドン・バイアスというテナーサックス奏者がいて、彼の演奏に何も分からないまま痛く感動したのを覚えている。
先ほど出てきた金沢ジャズのメッカ「YORK」にも通い出す。
今は亡き、マスター・奥井進サンとの付き合いはそれから何十年も続いた。
その奥井サンと初めて?二人で行ったコンサートが、実はチック・コリアだった。
当時はよく招待券というのがあって、奥井サンから誘われて何度か一緒に行った。
「リターン・トゥ・フォーエバー」という話題作を引っ提げての金沢公演だったが、ボクが一生懸命聴いている横で、奥井サンは時折ぐっすりと眠っていた。
奥井サン流にいうところの、“いい音楽を聴くと、よく眠れる”というやつだった。
チック・コリアはたしかにジャズ界のエリートであり、マイルスのグループで活躍した後、一時深く音楽を追究するフリー系に走ったが、その反動のようにして「リターン・トゥ・フォーエバー」を発表した。
その表現は実に爽やか、知的、そして美しく、シンプルだった。
苦悩したジャズ・ミュージシャンには、時折そういったシーンを見ることがある。
ジャズは、オシャレな音楽になってしまった。
ある時、チケットの押し売り?を頼まれて、知り合いにお願いしようとしたら、「ジャズのコンサートって、何着て行けばいいんですか?」と、質問された。
そんなことどうでもいいよと言ったが、その人にとって、それは重要な問題みたいだった。
ジャズのコンサートには、出来ればシューズだとか軽めのサンダル系のものさえ履いていれば、あとはどうでもいいとボクは思っている。
一度、最悪のことを経験したのが、コンサートの途中に聞こえてきた女性の足音。
どうしても、トイレが我慢できなくなったのだろうか。
あれは絶対に良くない。くしゃみをしたり、咳き込んでも、神経質なミュージシャンは嫌な顔をする。
あのK・Jなどは、咳が止まらなくなった客に集中力を奪われて、途中でコンサートを中止したと言われるくらいなのだ。
話はかなり方向を見失ってきたが、今のところ、金沢ジャズストリートにあまり興味はない。
いろいろと啓発的な活動をしている人たちも知っていて、その人たちには敬意を表するが、楽譜を見ながらアドリブもどきを演っているプレイヤーたちには、同情的になったりするだけで、芯から楽しめなかったりする。
路上など、たしかに演奏しているのはジャズの曲だったり、ジャズのアレンジだったりするが、自然と発散されるジャズ的な感覚はそれだけでは感じ取れない。確かに違うのだ。
そのあたりが、ちょっと残念な気もして、何でもかんでも、ジャズって、なんかいいんじゃない? と言ってしまっている人たちを、斜めから見てしまう。
こんな自分に誰がしたのか…? やっぱ、自分でしょ…なのである。
むずかしい話はしたくないが、やはり、名盤・名演というやつを、レコードやCDで聴いているのがいちばんなのかも知れない……と、あらためて思ったりしている・・・・・・