疲れた夜によくある雑想
久しぶりに訪ねた友人の事務所に、山の本が、文字どおり山積みになって置かれていた。
彼は、その本を通販で、しかも古本で買う。
ジャズのCDは新品(輸入盤が多い)で買うが、本はほとんどが中古本である。
自宅ではなく、事務所に届くという点が羨ましい。
彼はその事務所で、軽くジャズを流しながら仕事をし、仕事の合間に好きな本を開いて、その世界に自分を置いたりする…のだろう。
そのような世界は、若かりし頃の自分にも憧れとしてあったものだ。
そして、そろそろ時間の先取り的に“リタイア”した後の自分を考えたりする時、少しだけ現実味を帯びてくることでもある。
しかし、あと何年かは、ひたすら微量の脳ミソをかき混ぜながら、一途にやっていかねばならないポジションにもある。
元来、性分が「やり始めると、とことんやってしまう」というタイプなので、ある意味ではかなり損をしてきたところもある。
しかし、今さら悔やんでも仕方がない。
学生時代、将来は八ヶ岳山麓に住まいして、そこでカッコよく仕事をしながら過ごそうと考えていた話は、ずっと以前この雑文集で書いた。
そこまでの回帰はないが、やはりどうせなら、山があって(見えて)、家を出たらすぐに自然があるといった環境がいい。
雪も降り、リビングから、いや縁側からでもいいが、すぐにスキーを付けて歩き出せるくらいでないといけない。
朝日でも夕日でもいいから、家に差し込んでくることもそれなりに重要だ。
庭でコーヒーを淹れ、家の中から聴こえてくるラルフ・タウナーのギターや、ヨーヨー・マのチェロなどにボーっとすると言うのも、かなり心地よいことだろう。
本も読み、文章も書き、カメラを持って歩きまわりもする。
どこかにそんな人が何人かいた。
ただ、ボクが考えるシンプルさとはちょっと違っていた。
だから、自分自身が求めることも、どこまでが真実なのか不明でもある。
誰かが何か言ってくれても、自分自身がどれだけ踏ん張っても、人生の時間的な制約は変えられない。
だからこそ、今自分が置かれている立場でとにかくやるだけやり、その後は自分を出来るかぎり解放させてやりたいと思う。
どっと疲れた仕事の帰り。
一杯のコーヒーにホッとしながら、こんな文章を書いている自分に、今気付いた……
仕事の合間に、山の本が開けたりするので、実際は作業がはかどらなかったりします。
おそらくは、何回目かの人生の一大転機であろう時機を迎えて(笑)、慌しくさせていただいています。・・・あれ?日本語がヘンかな?
老後の愉しみ(にすべきであろう生活パターン)を今に持ってきてしまっているものだから、もう、ナニがなんだかww 自分で言うのもナンですが、相変わらずの迷走ぶりです。
今日は日曜日。その事務所で、夜を明かしてしまいました。聞いているのは、最近手に入れた輸入盤のブロッサム・ディアリーのソロ。あ。これ言うと、YORKではいつも鼻で嗤われていましたが。
さて。ちょっと寝坊をしてしまいましたが、今から白峰の渓流に魚釣りに行ってきます。その帰りには、もうすっかり定番になってしまった白山里温泉。家族には申し訳ありませんが、こうやって、私のロクでもない人生は過ぎてゆくのでありますね・・・。
また、事務所でアレの話やナニの話をしましょう。・・・美味しい水出しコーヒーが手に入りました。