歴史が好きだから思うこと
夏真っ盛りの午後、本多の森の歴博の展示室を緑の隙間から見ていた。
中を見たかったというわけではなく、周囲を歩きたかった。
煉瓦壁の、夏でも涼しげな雰囲気が好きだ。
汗もかかず、いつもサラサラとした肌触りをイメージさせる。
歴博の窓の奥には明かりが見えた。その下で、石川の歴史が語られている……
もともと歴史、特に日本の歴史が大好きだった。
NHK出版の「知られざる古代」などから始まり、武田信玄を軸にした戦国時代が最も盛り上がった。
奈良や京都の古寺や古道もめぐり歩いた。
司馬遼太郎との出会いによって、街道めぐりもした。
宮本常一を知って、さらに農村や漁村、一般民衆社会の歴史にも心を傾けた。
宿場はずれの松の木を見ていると、そこを通り過ぎて行った旅人たちの思いも伝わってくるような、そんな感性も持ち合わせているような気がした。
ずっと信州の上高地を、自分にとっての聖地のように位置付けてきたが、それは風景の美しさだけでなく、上高地の歴史を知るようになったことも大きかった。
たとえば、人気のない梓川の川原に立つと、旧松本藩の林業に携わっていた杣人たちの姿や、W・ウエストンを導いた上条嘉門次など山案内人たちの表情が想像できた。
空気がその時代に戻ったような感覚になり、どのような場所にいても、今自分は時の流れの中にいるのだと考えるようになった。不思議な感覚だった。
ついでに見境なく書くと、野球の歴史やジャズの歴史などにもかなりのめり込んだ。
仕事の上でも、展示施設の計画などには、まず歴史を第一に考えるようになる。
ヒトにも、土地にも必ず歴史があり、それは絶対に外すことのできないものであると認識していた。
歴史とはそんな存在だったのだ。
…… 最近、「歴史認識」という言葉をよく耳にするようになっている。
歴史にはひとつの事実しかなかったはずだが、後に何とおりもの解釈が生まれる。
それで普通だと自分では思っていたのだが、どうやら「歴史認識への認識」という点にポイントをおくと、歴史を考えるということが少し面倒臭くなった感じだ。
歴史小説の作家たちが、自分の解釈であれやこれやと物語化していくのを読み、それはないだろうと思っても、それを歴史認識が……とは言わない。
政治家が動くと、歴史認識がどうのこうのといった話になる。
だから、身近に戦争、特に第二次大戦とか太平洋戦争という事件を考えさせられると、そのことを歴史というカテゴリーに入れることそのものに、ボクは抵抗してしまうのだ。
もともと平安期と、明治から昭和の戦前までが、唯一好きになれない日本史のゾーンだった。
明治維新後、清もロシアも打ち破って、日本は一応強国の一員となっていくが、そのことにより却って少しずつおかしくもなっていく。
司馬遼太郎も書いているように、日本にとっては、帝国陸軍の横暴さが増長していく暗い時代なのだ。
明治維新はそういう意味で、どうも胡散臭い。
アジアへの侵攻などという言葉には寒気がするし、現にそういったことが新政府の課題として生まれてきたことに大きな疑問が生じる。
古くは白村江の戦いというのがあり、秀吉の朝鮮出兵もあったが、日本人は何を基本に考えてきたのだろう。
明治政府軍の将兵たちは新式兵器の効き目に陶酔し、無力な反体制派(彼らが称した朝敵)の国を徹底的にぶちのめして、のし上がっていった。
歴史という言葉を使うから、美しく聞こえたり、同情的に解釈されたりするが、こういったひとつひとつの“事件”は、かなり恐ろしい要素を持っている。
たとえば、信長の比叡山焼き討ちなどの行為を、信長ファンどころか、一般の人たちも決して否定的に見ていないことにずっと疑問を抱いてきた。
武田信玄の武将としての才能と、為政者としての才能を中心に据えてきたボクとしては、信長は軽石みたいな存在としてしか見えない。
そして、日本における最初で最後の無差別大量殺人の首謀者であるのに、現代ではヒーローなのである。
さらに、信長は重要な家臣であったはずの明智光秀によって殺されている。
つまり、信長は人望もなかった。あのように無残な反抗を受けるくらいであったということは、かなり低次元な指導者であったとも考えられる。
ただ高圧的に、家臣たちを押さえつけていただけで、情けをかけることも知らなかった。
北条早雲や斎藤道三のような下剋上の例はあっても、憎しみや切迫感だけによって、あのような最期を遂げたのは信長くらいではないか。
日本人は、そんな男をヒーローにしている。
その後の秀吉も家康も、信長派の流れを汲むことから、歴史は、信長を悪人にしないまま甘やかし、そしてヒーローにしてきたのだ。
ちなみに、信長がかなりの強運のもとに命拾いをしてきたことは、戦国時代に造詣の深い人なら知っているだろう。
戦国最強と言われた信玄は、信長を都から蹴散らすために軍を進めていた途上、持病の労咳が悪化し死んだ。
もうひとりの猛将・上杉謙信も、その数年後にこの世を去り、信長は蹴散らされずにすんだ。
信玄上洛の報を受けた時の信長は、間違いなく乱心したことだろう。
話はちょっと外れ気味に進むが、ボクは、ジャズも好きだし、ベースボールも好きだし、西部劇も好きで、もっと言うとカリフォルニアのワインも好きだ。
アメリカという国と仲良くなかったら、ボクの人生は決して楽しいモノにはならなかったかも知れない。
しかし、今この話題の中で語るアメリカという国には大いに疑問がある。
アメリカ自体へというよりは、アメリカに対する日本人への疑問と言えばいいのかも知れない。
アメリカはかつて、大戦末期に日本本土の多くを空襲し焦土化させた。
とどめは、広島と長崎へ原爆まで落としていった……
一般市民の犠牲者数は、歴史の上でもケタ外れである。
しかし、日本人はやはりアメリカを、多くの自国民を殺害した国として見ていない。
アメリカの攻撃は仕方なかったという思いなのだろうか?
だとすれば、自分たちが近隣諸国にしたとされる愚行の責任も認めているということなのか?
信長もアメリカも、日本ではヒーローなのだ。
このことがボクの考える“歴史認識”という認識には、どこかおかしな認識があるということなのかも知れない。
これ以上むずかしく考えたくないので、これくらいにしておく。
やはり日常に歴史がないと面白くない……、そのことだけは確かなのだ。