植村直己は、なぜ“どんぐり”だったのか…


8月某日、NHKテレビで興味深い番組がふたつ放送された。

ひとつが、総合テレビの“冷奴のおいしい食べ方”についてをテーマにした『ためしてガッテン』。そして、もうひとつが、教育テレビの『こだわり人物伝~笑顔の冒険家・植村直己~どんぐりからの脱却』だった。両方とも見たという人は少ないと思う。

前者は、名前負けの、何ら得るもののない無意味な番組だった。冷奴はどのようにしたら美味いかなど、考えるだけムダで、そのまま生姜を少々のせて醤油をかけ食べる。できれば、少し砕き気味にして食べるとなお美味い。それだけだから、5分もあれば番組は終わってしまうくらいのものだったが、それをクドクドと45分もやった。当然ボクは途中で見るのをやめた。その点、さすがに後者の内容は濃く、嬉しく懐かしく、しっかりと見た。

植村さんが北米の最高峰・マッキンリーで消息を絶ってから何年が過ぎたんだろう? なかなか思い出せない。“まさか、あの植村直己が…”と、誰もが疑った冬の遭難。

当時、植村さんはどこかで生きているということを、多くの人が思った。こんなことぐらいで死ぬわけがないと。しかし、植村さんはそのまま帰って来なかった。

学生時代、大学の先輩にあたる植村さんが、北極圏の極点を目指したとき、ボクたち現役学生も多くのカンパをした。一口1000円だった。そして世界初の成功をおさめた時には、お茶の水の大学正門前で振る舞い酒が出たのを覚えている。

それ以来、植村さんはボクの中でのヒーローの一人となった。

 植村さんの足跡はすごい。29歳で世界の5大陸の最高峰すべてに登頂。日本人最初のエベレスト登頂者という栄誉も得ている。また、アマゾン川を筏(いかだ)で下ったり、犬ぞりで北極の極点に単独で立つなど、登山家・冒険家としての地位は世界でもナンバーワンだった。

そんな植村さんだったが、学生時代は山岳部の落ちこぼれで、あだ名が「どんぐり」だったという話は有名だ。とにかく田舎者を絵に書いたような素朴な青年で、山では全く弱かったという。

しかし、合宿で自分の弱さを知ってからの努力は凄まじいものがあり、植村さんは自分を力強く鍛え上げていった。毎日9キロのランニング。冬の立山連峰に単独で入り、テントを使わず、雪洞を掘って過ごしながら縦走するという離れ業も成し遂げた。

卒業後は就職もせず、アメリカに渡って果樹園でのアルバイト生活。最終目的はヨーロッパ・アルプスに行くことだった。そして、ヨーロッパ・アルプスではスキー場で働きながら山歩きに没頭した。ヨーロッパの最高峰モンブランに登頂。南米の最高峰アコンガグア、アフリカの最高峰キリマンジャロなどにも登った。

もうかなり前になるが、植村さんの生まれ故郷である兵庫県日高町に出かけたことがある。

春の暖かい雨の降る午後だった。日高川の穏やかな流れと、川沿いに咲く桜の並木に目をやりながら、ボクはめざす「植村直己冒険館」へ思いを馳せていた。そして、そこで見たり聞いたりした植村直己の世界に強い衝撃を受けてもいた。無線で叫んでいる植村さんの声は、いつまでも耳から離れなかった。

植村さんは負けず嫌いだった。それも無類の負けず嫌いで、さらにそのことをあまり表には出さなかった。そして、人並み外れた努力家でもあった。

番組の中で案内役を務めた登山家・野口健は、植村さんの著書『青春を山にかけて』で登山家を目指すようになったという。高校を中退して人生の迷路に立っていた時期だった。

植村さんもまた、山の世界へと足を踏み入れていく中で、決してそのことをすべて肯定していたわけではなかった。植村さんには、自分が世の中の普通の流れに乗って行けない人間であるという、大きな不安がのしかかってもいた。同僚たちがサラリーマンとして会社勤めをする中、自分はアメリカに渡り、ヨーロッパに渡り、定職にも付かず、山で暮らしている。そのことは“どんぐり”植村直己にとって、ある意味許せないことだったのかも知れなかった。それほど、植村さんは“真面目”でもあったのだ。

番組のサブタイトルは、「どんぐりからの脱却」であったが、ボクは、植村さんは“どんぐり”のままだったと思っている。ずっと、どんぐりのまま、世界の5大陸最高峰の最初の登頂者にもなり、北極点にも立ったのだと思っている。

だからこそ、「笑う冒険家」だったのだ。笑うこと、つまり“笑顔とどんぐり”には共通するものがあり、その素朴さの中に本当の強さが隠されているのだとボクは思う。

 ところで、この番組は続いているのだ……

※写真は、我が家に来たての50インチTV~NHK教育の画面より…


「植村直己は、なぜ“どんぐり”だったのか…」への4件のフィードバック

  1. この文章には、書ききれない強いメッセージが込められている。
    植村直己さんへの哀悼の思いだけではなく、
    自分自身への叱咤激励のメッセージもある。
    やはり笑わないとだめだ。心の底から、植村直己さんのように笑える人間でないと。
    この文章を書きながら、
    今年唯一自然に笑えたのは、
    東京の赤羽駅でホームから電車に乗るときに、
    入口を間違えたときだったことを思い出した。
    あんな自然な笑いを今は忘れている。
    植村さんのように、苦しくても笑いを忘れないくらいでないといけない…

  2. 私もなんとなく植村直己さんが好きでしたね。
    西田敏行さんが主演した映画「植村直己物語」を見て、
    せつない気持ちになったのを覚えています。
    こんな人がほんとにいたのかなあと、素朴に思ったんですが、
    奥さんが可哀想だったですね。ひとり残されて。
    冒険したりする人は、これからもたくさん出てくるでしょうけど、
    あの人のような人間性でやっていく人はいないだろうなあと、
    何も知らないですが思ってしまいます。
    古い話ですが、
    ヒトビト創刊号の、植村直己冒険館を訪ねた紀行エッセイも、グッときましたよ。

  3. 11日(水)教育テレビ。
    午後10時25分から、第2回目がある。
    是非見てほしい…です。

  4. 第3回も終わって、いよいよ次回がラスト。
    北米の最高峰・マッキンリーでの厳冬期単独登頂を成功させるが、
    そのまま消息を絶つ・・・・・

    9月には「星野道夫」が始まる。
    NHKはやはり偉い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です